Princeについて
ご存じだろうか?
Prince
キンプリではない。
マイケル・ジャクソンがキング・オブ・ポップ、マドンナがクイーン・オブ・ポップとして名を馳せていった時代。Princeはキング・オブ・エンターテイナーだろうか。
ミュージックビデオをショートフィルムとして世に送り出したマイケル・ジャクソンも、露出甚だしい格好で舞台を演出したマドンナも、その他の数多のアーティストが浮かんでは消えた時代、とにかくエンターテイメントが熱く滾った時代。音楽がブルース、ジャズから派生しロック、ポップ全盛期。
その男は、作詞作曲編曲演奏演出に至るまでたった1人でこなし、その上イケメン。なのに変態。とかく話題の尽きない男。ワーナーブラザーズの副社長就任と引き換えに版権をワーナーに奪われた為に、自ら
slave
と頬に描き、それまでのPrinceの名前を捨て、シンボルマークそれだけで自身を表すという、未だかつてない表現をした男。
to→2
for→4
当たり前に使用しているがこの表現もPrince以降出てきた表現に思う。
その創作活動で残した楽曲は数えきらぬほどあり、アルバムは年に1度必ず出していたし、死後10年程経った今でも未だに新作が出てくる始末。
とんでもない創作意欲と活動、そしてそのどれもが愛されるべき名曲なのだ。
ジャンルも、ロック、ポップ、ソウル、R&B、ブラコン、ファンク、ジャズ等々、ジャンルに囚われず、アルバム1枚でオムニバス状態。何か無いかと困った時にPrinceのアルバム1枚あれば事足りるというとんでもない音楽モンスターなのだ。
そんなPrinceが私の大学時代にZepp仙台で来日公演をした。私は人生初のライヴ。真夜中にCMで流れていたライヴ告知。深夜にも関わらず思わず叫んだ。叫んだ後すぐにコンビニにチャリンコを飛ばす。前売りチケットを買うためだ。何度も言うが人生初ライヴ。チケットの買い方が分からん。とにかくコンビニ店員に言って取って貰った。
チケット代は12000~13000だったと思う。貧乏大学生だが喰えなくなっても行かねばならないと思った。
ライヴ前日。
何度も言うが人生初ライヴ。前売りチケットの予約券を持ってコンビニ店員に渡す。なんと期限切れ。
嘘だろ...
私はすぐにチケット会社に電話した。しかし、どうにもならぬと言われた。当日券を買えと言われた。仕方ない。朝早く行こう。
私は前日から眠れず、ほぼ徹夜で朝8時半には仙台駅東口のZepp仙台前にいた。Princeの被ってそうな白いニットのハットを被っている人が目立っていた。私は当時パンクファッションを好んでしていた。上はThe Clashのロンドンコーリングのジャケ写プリントのパーカー、その上に安全ピンと缶バッジをしこたま付けたジャケット、下は蛇柄の革パンに厚底ラバーソール。
Princeのファンの方々が声をかけてくれた。チケットを無くしたことを話すとそれは不憫なと笑っていた。しかし、その話をしたお陰で良いことが起こる。それは、開演1時間前に起きた。なんと、ファンクラブの連れの方が1人来れなくなったのでチケットが余ったというのだ!それを真っ先に私に教えてくれ、その場で即買った。何の迷いもない。それもファンクラブの席で見れるのだ。ステージを前に3列目。超近い。ここにあのPrinceが来るのか。
何度も言うが
人生初ライヴ
である。
Princeがステージに降臨したと同時に押し合いへし合い号泣しながら叫んでいた。そこから先はもう覚えていない。辛うじてPrinceのウィンクでハートを撃ち抜かれたのとパープルレインで涙腺崩壊していたのを覚えている。
こうして人生初ライヴをPrinceに捧げた私は、ライヴ会場前に居たグッズの売子から限定Tシャツを買った。帰りの電車は既に無くその日は友達の家で過ごした。興奮冷めやらぬ俺。眠れるわけもなく、次の日、大学近くの柴田駅まで爆睡して帰った。
Princeはもうこの世に居ないが、未だにあのウィンクは私のハートを射貫いて離さない。