あらすじ
「では、話そうか。」
向井はゆっくりと維納珈琲を飲み干して口を開いた。
「まとめた書類は文月君が書くことになるのだと思うが、勿論、僕も原作を読ませてもらっている。
僕の認識に間違いがないか、メモを取りながら聞いてくれたまえ。」
向井はそう言って話始めた。
江戸川乱歩の久方ぶりの本格ミステリ『悪霊』
この物語は、作家が買い上げた手紙を発表する形式の物語である。
差出人は祖父江という男
受取人は岩井という男である
事件は祖父江が第一発見者になった事件のあらましという形で展開する。
被害者は姉崎曽根子
年齢は30歳過ぎ
夫は1年前に亡くなっている
9月23日午後に絶命したと推測される
第一発見者は祖父江進一
新聞社で働いている。
姉崎夫人とは、恩師主催するの交霊会のメンバーで、次の交霊会の打ち合わせのために夫人宅に向かい、現場の発見者になる
夫人は自宅の蔵のなかで全裸で血に塗れて倒れていた。
履き物は使った形勢はなく、服は蔵のなかで発見されている。
凶器はカミソリのような薄刃のもので、致命傷にならない六つの傷がある。
流れた血液の流れ方が不自然である。
「それだけですか?」
文月は少し不満げに聞いた。
「まあ、事件に関係あるのはこれっ暗いだろ?」
向井は飄々と言った。
「まだありますよ。交霊会の話が出てきません。ここに被害者と加害者がいるはずです。」
文月は少し不機嫌に言った。ここで、もう一人『美しい人』が殺されるとか、現場にあった謎のマークの答えがわかるとか、そんな所で連載は切れているのだ。
「それは、わからないだろ?」
向井は肩をすくめる。
「いいえ!書いてありますよ。」
文月は少し怒って声が大きくなる。
そう、次の締め切りまで日もないのだ。先輩もまた、音信不通のままだし、先生も連絡がない。こんな状態でなんとかしなくてはいけないのに、原稿をみんな読まないなんてありえない。
向井はいたって冷静だった。文月を見つめて軽くため息をつく。
「では聞くが、それはどこに書いてあったかね?」
「祖父江進一の一信目に書いてありますよ。」
不機嫌に文月がいった。
「そうだね。殺人現場の第一発見者の主観的な手紙の中に、ね。」
向井に言われて文月はハッとする。その顔をゆっくり観察してから向井は話し始めた。
「そう、この話は穴だらけなんだよ。まず、
初めの次元には探偵小説家が雑誌か何かに発表している世界がある。
ここで、小説家は所々、修正を入れたと書いてある。
次に祖父江進一の手紙の次元
彼は、被害者の知り合いで第一発見者だ。
探偵小説の雑誌を扱っているならわかるだろ?警察はまず、第一発展者を怪しむって事を。
祖父江が真実を書いているとはどこにも書いていないし、乱歩先生は、こういう所でイタズラするのが好きは御仁だ。」
そう言われて文月は合点がいく。
乱歩先生は『人間椅子』という作品で手紙を使った怪しい話を発表していた。
「分かっただろ?細かいところを拾っていたら、混乱するだけだ。殺人の状況だけをまずは考える方が得策だと思うんだ。」
向井の説明は納得できると文月は思った。
でも、今回は違うんです!
文月は大きく息をした。そして、つい3時間前に聞いた真実を披露する決意をした。
「はい。先輩の言いたいことは分かりました。確かに乱歩先生は、奇想天外な物語を得意とする方です。でも、今回は違うんです!
本当は、結末は考えてあったそうなんです。」
「面白いね。」
向井はしたり顔で文月をみる。
「面白くなんてないですよ。あの殺人は犯人が念動力と催眠術で殺したらしいんです。」
文月は重罪を告白するように深くこもる声で言った。
が、向井はそれを聞いて笑い出した。
「素晴らしいじゃないか!さすが大先生と叫びたくなるね。編集くん。」
不意に背後から声をかけられて文月は驚いて振り向いた。
そこには新春映画から向け出てきたような、現実味のない美青年だ。
身長は6尺はあるだろう。スラリと細い優雅な出立ちだった。
肌は白く輝き、オーデコロンのいい匂いがした。
この美青年を見た向井が嬉しそうにこういった。
「やあ、明智くん、きてくれたんだね。」