二重人格
向井の考察は、参考資料の特定の話になってから鋭さを増していった。
ここにきて、霊媒の龍ちゃんの話になる。
『悪霊』の作中で現れる龍ちゃんは霊を呼び寄せる、古い言い方をすれば『口寄せ』をする巫女にあたる。
が、西洋の最新の心霊研究をするにあたって、彼女は日本の古来の口寄せとは少し雰囲気が変わっていた。
「文月くん。君が指摘したように、龍ちゃんは極めて醜い顔立ちとして誇大表現された登場人物だね。
僕も、言われるまでは東北地方のミコ、おしら様の類と混ぜた乱歩先生の創作だとそれほど気にしてまかったんだ。
でも、言われてみれば確かにおかしいよね?
僕らは、商業小説を作ってる。読者は主に若い男性で、彼らは非現実な危険とエロチズムを求めて雑誌を買いに来るんだ。
クック嬢を知っているなら、彼女をモデルに設定する方が売れると思う。
君の言うとおり、クック嬢をモデルにインチキか、本物かを追求する話の方がエログロ満点で面白かったと僕も思う。
でも、そうはしなかった。そこに、なんらかの意味があるんだと思うんだよ。」
向井の言葉に文月も頷いた。
「わかります。でも、密室殺人をしたかった、とも、考えられますよね?」
「それはどうかな?初めから密室殺人の計画があったなら、今乱歩先生が逃げる必要は感じないしね。どちらかというと、編集側が乱歩先生の意思を汲まずに密室を宣伝して混乱しているように思えるがね。」
向井に言われて文月は不満になる、なんだか自分達を非難慣れたようなきがしたからだ。
「そうでしょうか。」
「どうかね。僕にもわからないけれど、龍ちゃんの設定は乱歩先生の創作ではない気がするんだよ。」
向井は文月に上の空で答える。
「どうしてですか?」
「クック嬢との違いかな…龍ちゃんはコントロールという別人格の織江さんが登場するが、クック嬢はケイティと名乗る女性の霊が現れる。
普通、何もないなら、霊媒が呼ぶのは霊でいいはずだ。わざわざ二重人格なんて言葉を挟む必要はないし、思い浮かばないだろ?」
向井は自分でも考えるような素振りをしながら話した。
「二重人格、『ジギルとハイド』みたいな感じですかね?」
文月も、なんだか不思議な気持ちになる。確かに、向井と話す前には龍ちゃんの事なんて、それほど気にしてなかった。
ミステリでは、このような物語の先を読者に予測させる人物が現れる。
それは物語の役割であり、それ以外の意味を考えたことはなかった。
「いや、二重人格の織江さんが幽冥界から霊を呼んでくると書いてあるけれど、心理学では、これは病気と捉えているみたいなんだ。
日本では中村古峡先鋭が『変態心理の研究』で研究成果を発表されている。
でも、民間学者の中には、狐憑きなどの憑依と二重人格を同じと考える人物も多くて、この辺りは現代の科学を持ってしても、いまだに結論がつかない話なんだ。」
向井はそこまで説明し、ウイスキーを一口含んでから、ゆっくりと続きを話し始めた。
「問題は、なぜ、ここで『二重人格』と黒川博士が言い始めたか、という事だね。」
向井はそう言って、しばらく無言になる。
「それは、龍ちゃんが霊媒ではないと、そういう事でしょうか?」
文月は不安になる。この話はどこへとあがれてゆくのだろう?
「さあ、でも、今は、作者目線で参考資料を考えてるから、小説部分を混ぜて考えてはいけないよ。」
向井は穏やかにそう言った。
「ああ、そんなに参考資料なんて必要でしょうか?物語を考えないと、いつまでも終わらない気がしますよ。」
「ふふ、でも、『赤本』と手にしたら、世界を征服できるぞ。」
向井の言葉に文月はため息をつく。
「世界征服より、来月号の連載をなんとかしたいです。」
と、ぼやいで、文月はある事に気がついた。
「そういえば、乱歩先生の参考資料なら、本人に聞いたらいいのではありませんか?」
そう、向井は廃刊したと言っても編集長の経験がある。うちの編集長にお願いしたら江戸川乱歩に会わせてくれるのではないだろうか?
「いや、無理だと思う。新年パーティで近づくなって言われたからね。」
向井は苦笑する。それから、文月のことを見つめて言った。
「じゃあ、君が代わりに参考資料を見せてもらいに行ってくれるかい?」
「え?」文月は思わず叫んだ。「いや、無理。無理です!乱歩先生の人見知りは有名ですし、ぼ、僕のような若造に会ってくださるわけないですよ、まして、参考資料とか、ネタ本なんて、そんな大事のもの!」
慌てる文月を向井は面白そうに観察する。
「だろ?その上、現在失踪中だしね。わかったら、もう少し、考えようじゃないか。参考資料は、一冊に纏まってるとは限らないからね。
乱歩先生の頭の中にあるものだったら、拝見はできないしね。
でも、二重人格は面白い発見だよ。これについてはフランスのマルタン・シャルコーの研究が有名なんだ。フロイトもフランスの病院で研究している。
が、正確なメカニズムはわかっていなくてね、日本では中村古峡先生が現在進行形で研究せらていると記憶している。」
「中村古峡…」
またしく登場する名前。文月は興味を惹かれてくる。




