切り抜き
「ミステリ作家の先入観について、僕はさっき話したね?でも、神秘の探求をする僕もまた、推理小説という先入観で見えるはずのものを見えずにいた。
推理小説のオカルト要素など、ただのハリボテの言葉の羅列だと。
でも、文月くん、君のおかげで見えなかったのを見ることが出來たきた気がするよ。」
向井は文月を愛おしそうに見た。突然褒められて文月は戸惑う。
「はあ、お役に立ったなら、何よりです。」
混乱しながら文月は話した。
「ふふ、よくわかってない様だね。まあ、いい。とにかく、僕は推理小説の作家は心霊や怪異の類を読者を脅かすおもちゃの様に物語に配置しているだけだと考えていたんだ。
それらしい資料から、いい感じの文言を飾っている意味のないものだとね。
でも、違うんだ。例え、それが作者にとって意味のない切り抜きの言葉だとしても、その言葉には選ばれた理由があるんだ。
そう考えて再度『悪霊』を読み返すと、面白いものが見えてくる。」
向井はそう言って説明を始めた。
「悪霊の作中作者は不眠症とある。これは乱歩先生の経験だと思う。そして、それが事実なら、不眠症になる程、心が追い詰められていたのかもしれないね。」
向井はやるさなそうに苦笑する。
「作家も大変ですよね。」
文月は見たことのない推理の巨匠の心の内を想像した。雑誌の全面笑顔で戦う作家という人種を、このとき初めて戦闘民族なんだと、文月は感じた。
「ああ、その時、乱歩先生は自宅にある、何かの資料を暇つぶしに読んだんだと思う。そして、こんな入り込んだ遊びを考えられたんだろう。」
向井は将棋でもはじめるような楽しげな笑いを漏らす。
「それが、竹溝先生の資料、なんですね。」
文月は少し楽しくなる。ドイルの全集を書くにあたって竹溝先生は英国の心霊学を調べたのかもしれない。
「さあ、それは分からない。この話は、よく出来た密室のミステリのようだけれど、確かに思いつきで複数の資料を切り貼りしたような、そんな印象があるんだ。
それで、その1つに『赤本』に関するものがはいってる可能性がある。」
「また、赤本ですか?赤本って、何ですか?確か、魔王の本とか言ってっましたね?」
文月は怪しげな本の出現が心配になる。
「ああ『アッピンの赤い本』か。この本は英国の北の地方の言い伝えなんだ。
この本はバアルと言う西洋の魔王の貴重品でね、この本を持つものは魔神・バアルを思うままに使役できるといわれているんだ。」
向井は淡々と童話のような話をする。
「はあ、『アラビアンナイト』の物語のようですね。」
文月はいつか、浅草の演劇でみたアラジンと魔法のランプを思い出した。
「ああ、ランプの妖精か。まあ、系列からすると、無関係ではないよ。でも、今回はバアルの職能は関係ない。僕も君に指摘されるまで『悪霊』の『赤い革の表紙』なんてだだの脅し文句だと思っていたからね。でも、これは、不眠症で不意に読んだ乱歩先生の参考資料の表紙の可能性が高い。」
向井は楽しそうに笑う。
「え、乱歩先生は『アッピンの赤い本』を手にしていたと言うんですか?」
なんだか、怪しげな方向に話が流れていることに文月は心配になる。彼の欲しいのは来月号で読者が評価してくれる推理小説であって、怪談ではない。
「どうだろう?手紙の綴りとあるから、違うと思うよ。『悪霊』を見る限り、オカルト的に怪しげな点もあるし、日本人の研究者のレポート、と、考える方が無難だね。」
向井は探偵のように目を輝かせて謎を解く。
「それがどうしたのですか?」
文月は向井の言う趣旨が理解できない。
「どうしたも…この日本で赤本を見た、もしくは、その情報を知り得る人物が存在するってことだよ。」
向井の興奮を文月は大げさだと思う。向井は自分の気持ちが文月に届かないことが歯がゆく感じる。
「その本…そんなに凄いんですか?」
向井の表情に並々ならない何かを感じた文月は恐る恐る向井に聞く。
「凄いよ。学術的な意味においても、歴史的な意味合いとしても、勿論、神秘学的な意味合いでも、ね。」
向井はそう言って説明をはじめる。
アッピンの赤い本とは、英国の北部、スコットランドのアッピン地方の言い伝えで、羊飼いの少年が大魔王・バアルから、知恵を使って赤本を奪う話でその本にはバアルの本当の名前が書いてあると言われている。
「名前を知られると、魔王を使役できると言うわけですよね?でも、そんなおとぎ話、締め切りに関係ないですよね?」
キリッっと文月に睨まれて向井が慌てる。
「い、いいや…ある、うん、関係あると思う。何しろ、大魔王だからね。うん、そう、何だ…神秘学に触れる本を書くと言うのは精神に、だな、そう、精神をいたく消費するのだよ。ほら、エドガー・ポーもアルコールに溺れていたし、ううんと、そう、そうだ、ゲーテ、そう、モーツァルトは秘密結社の葬送曲を作っている時に怪しげな影に悩まされて亡くなったとか、言われているし、乱歩先生も執筆10年目で、新たな文学の新時代を感じながら悩まれたりしていたかもしれない。
そう言う時に悪魔がつけ込むのだよ。」
向井は少し混乱していたが、最後の方では強い意志を感じる声で語る。
「つまり、乱歩先生の精神状態の方に関わる問題なのですね?それは、確かに問題です。」
文月は難しい顔になる。ここで乱歩先生が全く書けなくなったら困る。西洋の大魔王だろうと連載を危うくする存在は排除しなければ!
「ま、まぁ、そんなものかな。で、ここから、その視点で再び『悪霊』を読み返すと、それらしい人物のアテが見えてくるんだよ。」
向井は挑戦的に笑う。
嫌な予感とともに、文月は覚悟を持って頷いた。




