ロクデナシ
「大丈夫もなにも…今月分の原稿を耳を揃えて提出してもらえれば、我々のこの努力は徒労に終わるが、雑誌は滞りなく出版される。」
向井は穏やかに笑う。文月はその笑顔に少しホッとする。そう、これは緊急事態、応急処置でしかないのだ。残念でもあるけれど、僕の様な下っ端が江戸川乱歩に会える方がおかしいのだ。と、気を許してチェイサーを口にする文月に向井の低くおどろしいセリフが聞こえる。
「そう、締め切りに間に合いさえすれば、ね。原稿を落としたその瞬間から、巨匠も下っ端もないのだよ。ソレはただの『ロクデナシ』でしかないんだから。
原稿を提出できない時点で、田舎芝居だろうと、下っ端のダメ出しだろうと、その穴を埋めるものに先生は迎合するしかないんだよ。」
その時、向井は鬼になった。編集長を3年やった鬼の顔に。
「そう、かもしれませんね。」
文月は驚きながらも共感する。この企画に文月の結婚と向井、担当の先輩の一軒家の夢がかかってるのだ。もしかしたら、竹溝先生の人生だって関係あるかもしれない。
「そうだろ?それに、最悪、書けなくなった時の穴埋めも考えなければいけないからね。新人の連載とは違うんだよ。穴の大きさが。」
向井のまっすぐな瞳に文月は唾を飲み込む。怖い。仁王様のように頼もしい怖さがみなぎっている。
「そうですね。江戸川乱歩の穴埋め…それも、新年、新年度の時期の穴埋めですから。」
文月も暗くなった。4月号の売り上げは、その後の1年、もしくは大学など卒業、その後、成人してからの1人の読者の購買に影響する。
「ああ、皆んな、今頃、知恵を絞っていると思うけれど、我々も考えなきゃ、いけないからね。今までの会話で、実況型の新しい作品を目指せるのはわかったから、この辺りで考えよう。こうなれば、先生がどう考えていようが構わない。書けなくなった時点で、我々がその穴に入り込むくらいの勢いで書いて行かなくてはね。
2、3月号分の原稿を作って、4月号から誰か共作する作家を探さないとね。そして、新感覚、実況型小説の発明者として表に立って貰わないと。」
向井の表情に作家と言う稼業の辛さを思い知る。締め切りが守れなければ、非常な提案をこうして押し付けられるのだ。それは作家の世界に土足で踏み込む様な、野蛮な行為ではないだろうか?
出来ればなんとか穏便に済ませたい。
「わかりました。人外の…念動力と催眠術を使える犯人ですよね?それでは、祖父江の容疑ははれた、と、考えていいのでしょうか?」
文月は明るく言ってみた。
「いや、祖父江は犯人だ。これは複数の結末がある作品だから、祖父江が犯人の結末は存在する。でも、今回は人外の犯人をさがすんだ。」
向井の言葉の意味は文月には理解出来なっかった。でも、そこは流して話を進めることに文月はした。
「わかりました。でも、人外って、カッパのようなものでしょうか?それとも、外国の鬼とか…」
文月は口にしながら混乱していた。カッパが犯人のミステリなんて読んだことがなかったからだ。
「それはもう少し設定をしてから考えよう。まずは参考資料を特定しなくては。」
「参考資料がお宝…って。言ってましたよね?」
文月は向井の言葉を思い出していた。
「ああ、多分。が、この話は複数の資料が混在して使われている感じがする。」
「複数の資料?」
文月はおうむ返しに聞いた。向井は少し考えて
「ああ、でもまずはホームズの関係の資料について考えよう。」
こう言った。




