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幽霊作家  作者: ふりまじん


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19/40

保険


しばらく、2人は黙って酒を飲んでいた。

明智小五郎は軽快にピアノを弾く。更け行く夜を包む闇のように静かに濃密に絡むような軽快な西洋のミュージック。アメリカで近年流行っているというジャズと言う曲らしかった。

その小川のような気持ちの良い旋律に身を任せ、文月は考える。

作者が犯人を忘れても、見つけ出すのが編集だ。

こうなったら知恵比べ。文字通り生きるか死ぬかの戦いだ。

文月は水を貰うと飲みながら冷静になる。色々と言われたが、冷静にならなければ見えるものも見えなくなる。と、気合いを入れたその時に、明智小五郎、歌い出した!!

それは精錬とした冬の大気に舞う細氷さいひょうのようなテナーで、


中山 晋平しんぺいが名曲 『ゴンドラの唄』を!


西洋モダンに改変されたその曲に、文月の思考がとまった。

それは少年時代、叔父さんとレコードを聴いてると母に怒られた曲だった。

しかし、当時はは吉田勇の作ったその詩の艶めきを感じることすらなかった。

でも、今なら…さっちゃんと…


「本当に人というのは面白いよ。死を忌み嫌いながら、人の死をこんなに美しい曲に仕上げてしまうのだからね。」

向井に言われて文月は赤面しながらハッとする。

「え、は、死?え、この曲って無理心中するんですか?」

文月はさっちゃんと月の信濃川を渡る夢を首を振りながら振り払う。

冗談じゃない、僕たちは夫婦めおとになって家族を作るのだ。未来を悲観して死んだりなどしないんだ。

「違うよ。作詞の吉田氏が母親の死を想い作られたとか、聞いたことがあったんだ。」

向井は寂しそうに笑った。そして、重々しく続けた。


「僕は初めから『悪霊』には大きな仕掛けがあると思っていたんだ。乱歩先生の事だからね、文月君は絶望しているみたいだけれど、誤解だよ。あの江戸川乱歩だぜ。

この激動の10年をエログロで食い繫いだ大物なんだぜ。

文章や、設定の破綻なんて計算済みなんだよ。

計算済みで遊んでやがるんだ。

そして、破綻に気がついた奴をトリックにかける。

ちゃんと保険をかけていらっしゃるんだ、と、おもう。」

向井は少し寂しそうに明智を見る。文月は睡魔が襲いかかってくるのを水と共に飲み込んで向井を見た。

「仕掛け?そんな物があるんなら、ケチケチしないで見せたら良いじゃないですか!こっちは結婚がかかってるんですよ。もう、乱歩付きの先輩だって一軒家が借りられるって喜んでたのに。

そんな、秘密兵器があるなら、雲隠れなんてしないでさっさと犯人をあげてくださいよ。」

文月は泣きたくなった。勿論、泣いたりはしないのだが、こんな夜更けに清らな歌声で少年時代の流行歌なんて聴かされたらたまらない。

純真なあの頃の思い出が、少女のさっちゃんの笑顔が胸を締め付ける。

麗しい乙女の時代を、自分の我儘に捧げてくれたさっちゃん。幼馴染はみんな結婚したというのに、文句も言わず今でも自分が迎えにくるのを信じて待っているのだ。


こっちは本気で人生をかけてるんだ!それをなんだよぅ。


「まあ、落ち着けよ。ジンジャーエール貰ってやるから。それに、誰だって好きな人の余命を聞かされたら、混乱するのは仕方ない。」

向井の言葉に文月は顔をあげた。好きな人の余命って…

文月の脳裏にさっちゃんのやつれた顔が浮かんだ。

さっちゃんがもし、病気で余命が少しと言われたら…僕はどうしてこの先を生きていけば良いのだろう?

「一体、誰がご病気なんですか?」

絶望的に同情する文月の姿に向井は共感しながら切なく言った。

「竹溝先生がね、肺病が重くなった来たようなんだ。」

「た、竹溝…センセイ?」

文月は突拍子も無い声でそう言った。

「嫌な奴だな。何か文句でもあるのか?貴様、僕が危篤になっても飄々としてそうだな。」

責める向井の顔に文月は慌てて訂正する。

「そんな事、ありませんよ。ただ、少し、意外だったと思っただけで。」

歯切れの悪い文月の言葉を向井は疑うように睨みながら話す。

「まあ、いい、が。今回は特別なんだと思うよ。

作家なんてものは、小説に自分の命を注ぎ込んで書いたりするからね。芥川氏や太宰氏のように、我々とは違ってデリケートなんだ。」

向井のセリフに少し不満はあったが、文月はとりあえず頷いた。

なんにしても、死んで花実は咲かないのだ。生きてくれないと幽霊作家も出番がない。

「で、なにが特別なんでしょうか?」

文月は結果を急かす。が、向井はウイスキーのグラスを見ながら焦らすように一口飲んだ。

「乱歩先生は、竹溝先生を励ましたかったんだと思う。と、同時に生活を援助もしたかったんだと思う。だから、竹溝先生の集めていた、ネタ帳…というよりも、資料みたいなものを買い取って話を2人で考えながら連載していたんだと思う。」

慎重に言葉を選ぶ向井の努力は文月には届かなかった。文月は犯人が居ないことに激怒した。

「なんですか、その、ふざけた話は!我々の雑誌をバカにしてるんですか!」

文月の勢いに向井が慌てる。

「まあ、落ち着いて最後まで聞きなさい。喫茶店からずっと、我々は『悪霊』について考えたね?この話は普通のミステリ作家の技量で考えてはいけないんだよ。

確かに、乱歩先生の作品は、インテリの批評家から手酷く批判されたりするが、しかし、売れる本を作ることにかけては右に出るものはいないだろ?

それは、新聞、雑誌の連載という、近代までなかった最新の創作の仕方で客を喜ばすすべを知っているということではないかね?

乱歩先生は物語の完璧な構成をもたない、持たないまま、物語を、客が望む楽しい話に仕上げる才能があると、僕は考えているんだ。

乱歩先生が自覚しているのか分からないけれど、先生は自然に複数の結末を頭に入れて物語を作成しているんだと思う。

客がわく結末を客の雰囲気を感じながら1つの結末に導いていくんだ。

こんなことは、誰も考えてやれるもんじゃない。

そして、そんな、複数の終わりが用意される物語は、きっと、この先、大衆に受け入れられると思う。

そして、保険の終わり方は用意されて居たと思うんだ。

聞いてくれるかな?」

向井の言葉に文月はただ頷いた。


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