05 使ってみよう
「……巣作りを見る…?」
ノアはヒートでぼんやりした頭で考えた。先ほどから手元のワイシャツや、クラウス本人からαのフェロモンが香ってきては、ノアの思考を甘く溶かしていく。
ノアのΩとしての本能は、自分が作った巣をクラウスが見たいと言ってくれていることに震えるほどの喜びを感じていた。
「わかりました。はじめてなので、うまくできるかわからないんですけど」
ノアは部屋の奥のベッドに向かい、シーツの上に腰掛けた。
「よかったら、他の服も借りていいですか…?」
「あ、うん、これ…」
クラウスは着てきた外套とジャケットも手渡す。
ジャケットと外套を縦に間隔をあけて並べると、ワイシャツを大事そうに手に持ち、その間にノアは横たわり丸くなった。
わずか3着であるにも関わらず、クラウスの服に挟まれたノアはとても幸せそうだ。
ワイシャツの襟首をつまむと、鼻先を布地にうずめてスンスンとにおいを嗅ぎ、目を閉じて恍惚の表情を浮かべた。頬は僅かに紅潮し、わずかにあいた唇を押し当て、感触を確かめるようにワイシャツにすりすりと擦り付けている。
クラウスは息を飲んだ。自分が先ほどまで着ていた服を大切に抱えているノアを見て、たまらない気持ちになる。あんなに嬉しそうに触れてくれるなんてと、身体の中から愛しさが溢れ出し、目を離すことができない。
ノアがうっすらと瞼を開け、瞳に不安げな色を滲ませクラウスを見つめる。
「あの…はじめて作るので、よくわからないんですけど、僕の巣、こんな感じで大丈夫ですか…?」
「俺も見るのはじめてで…。でもなんというか、すごく、素敵だと思う」
「そうですか…?よかった…」
そう言うと、ノアはへにゃりと笑った。
柔らかな蕾が花開いたようなその笑顔に、クラウスの心は完全にやられてしまった。湧き上がるはじめての感情で、ノアへの愛しさがさらに募る。
再び服に鼻を近づけるノアを見て、クラウスは疑問に思う。
そういえば先ほど読んだ本には、巣作りは番や恋人の服でするもの、と書いてあった。
クラウスはノアにとって、そのどちらでもない。
(なぜ…?)
ふと思い至ったその答えの可能性に、クラウスは一気に身体中が熱くなるのを感じた。確かめずにはいられず、心臓がドキドキと早鐘のように鼓動する。
「あの、ノア君、僕のうぬぼれだったら、本当に申し訳ないのだけど…、僕のこと、好きでいてくれてた……?」
ノアは息を飲み、瞼をあけると、うるんだ瞳をぱちぱちと瞬かせた。
「はい、あの……、実はずっと、好き、だったんです…」
そう呟くと、ノアは恥ずかしそうに服に顔をうずめた。
クラウスは感激し胸がいっぱいになった。ノアが自分のことを好きでいてくれていたなんて。
照れて耳の先まで真っ赤に染まるノアを見つめる。
かわいい。
傍に行きたい、においを嗅ぎたい、触れたいとクラウスの本能が騒ぎ出す。
クラウスは、息を飲むと、ためらいがちにノアに尋ねた。
「あの、ノア君がすごくかわいくて…。もし嫌でなければ、触れてもいい?」
「……はい…クラウスさんがよければ、僕も触ってほしい…です」
その答えに、クラウスの心は歓喜する。
ベッドサイドに腰かけると、ノアの火照った頬にそっと触れる。
「んっ…」
ノアは甘やかな声をあげる。
そして頬に置かれたクラウスの手を大事そうに取りすんすんとにおいを嗅ぐと、満足げにふわりと微笑んだ。
クラウスは、そんなノアの姿を見て、居ても立っても居られなくなる。
「あの、ノア君の巣にお邪魔しても…?」
ノアはクラウスを見上げるとこくりと頷き、身をよじって端に寄りスペースをあけた。
「どうぞ…」
クラウスは、ノアが作った巣を壊さないように、ゆっくりと隣に身を横たえる。
狭いベッドの上、二人はぴたりと横に並ぶ。
クラウスがノアの背中にぎこちなく腕を回すと、柔らかく温かい肌のぬくもりが伝わってきた。
腕の中のノアが幸せそうに、クラウスの胸に顔を埋める。
「ふふふ…これで完成です…」
「ん? 何が?」
「僕の巣です」
Ωは愛しいαのフェロモンに全身を包まれることにより大きな幸せを感じる。
巣作りは、そのためにΩが行う愛の行為だ。
自らが作るもっとも安心できるその場所は、愛する人の訪れによりようやく完全なものとなる。
発情期の熱に浮かされΩの本能に支配されたノアは、直接発せられるαのフェロモンに吸い寄せられるようにクラウスの首筋に鼻先を近づけると、その匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。
◆
翌朝ノアが目を覚ますと、窓から朝日が差し込んでいた。
ぼんやり天井を見上げると、うすら寒く感じ身体を見下ろす。そして自分が、何も身につけていないことに気づく。
正気にもどったノアは昨夜の記憶を徐々に取り戻していき、顔から火が出そうになる。ふと横を見ると、乱れたノアの巣の中で色っぽくクラウスが寝息を立てている。
「やってしまった…」
発情期の熱に浮かされて、クラウスをフェロモンで誘惑し、巣作りを見せた挙句一夜を共にしてしまうとは…。
ノアが頭を抱えていると、
隣のクラウスが瞼をゆっくりと開き目を覚ました。
青い瞳は朝日を反射して、宝石のようにキラキラと輝いている。
「ノア君、おはよう」
「おはよう、ございます」
クラウスは微笑み、ノアをぎゅっと抱き寄せた。
「昨日は、素敵だった」
そう言って、ノアのおでこに唇を落とす。
「ノアくん、よかったら、恋人になってくれない? 俺も君が好きだよ」
ノアは、その言葉に驚き目を丸くした。
「あの、僕でいいんですか……? 」
「うん、ノア君がいい」
「クラウスさんと、恋人になれるなんて、すごく嬉しい…」
目に浮かぶ涙を隠すように、ノアはクラウスの胸に顔を埋めた。
茶色の髪を優しく拭きながら、クラウスはノアの頭ごしにシーツの周りに散らばる自分の服を見つめた。
「ごめん、せっかく作ってくれた巣、だいぶ散らかしちゃって…」
「いえ、僕も夢中で…。結局試作品、使ってはみたけどよくわかりませんでした。途中からクラウスさん本人が来てしまうと、もうわけがわからなくなって」
「うーん、もう少し条件を整えて、比較する必要があるよね。あと、ノア君の口に触れるから、素材ももっと柔らかい方がいいし、やっぱり吸湿性は必須な気がする。いざという時に何かと拭き取る役割もできるし。それに見る側としては、濡れた跡がなるべく目立つ中間色の生地がいいな…はっ、これが当事者の発想…」
クラウスはすっかり仕事モードになり、アイデアが次々と湧いてくるようだった。
「今夜俺の服いろいろ持ってくるから、それでもう一度、巣作りしてみてくれない?」
「え…?今夜ですか…?さすがに早くないですか?」
クラウスは戸惑うノアの姿をみて目元を綻ばせ、微笑みを浮かべる。
「駄目…?」
「だめ、ではないですけど…。わかりました…、では今夜も」
ノアの頬が恥ずかしさに真っ赤に染まる。その姿を見てクラウスが眩しそうに目を細める。
「ふふ、よかった。また見れて嬉しい。巣作りって、こんなにいいものだったんだね」
窓から差し込む明るい朝日の中で、二人は微笑み合ったのだった。
◆◆◆◆◆◆
その後、改善を重ねた「巣作り用の服」は多数の試作やモニター調査を経て効果が実証され、専門家からのお墨付きももらい無事販売された。
しかし発売と同時に一部の番思いのαに買い占められてしまい即完売。
急遽再生産され、しばらく工房はてんてこまいになったのだった。