03 作ってみよう
それから2週間ほどたったある日、突然縫製室にクラウスがやってきた。
室内がわずかに色めき立つ。
「ノア君いますか?」
入り口近くの職人に聞き目線を上げると、ぱあっと顔を輝かせてノアのもとに近づいてくる。
「この前相談した服の試作品ができたんだ!ほら、あの巣づ」
「クラウスさん、外で話しましょうか!」
大きな声でクラウスの言葉に被せると、袖をひいて大勢の職人がいる縫製室を出た。
廊下を歩き休憩スペースに引っ張っていく。
休憩時間はとうにすぎているため人気はなく、しんと静まり返っていた。
部屋に二人で入り、ドアを閉めた瞬間、ふいにふわりと心地よくさわやかな匂いがノアの鼻をかすめた。
振り返ると、驚いた顔のクラウスと目が合う。
そうか、これがクラウスのフェロモンの匂いかとはじめて認識し、ノアは思わず赤面する。
「……ノアくん?」
「す、巣作りの話を、みんなの前でされては困ります…」
「わ!ごめん。考えなしで…」
と一瞬しゅん、としたものの、
で、これなんだけどね、とクラウスは元気に一枚のワイシャツを取り出した。
「ノア君の助言通り、吸着した匂いが持続するように時溜草の繊維を編み込んでみたんだ。よかったら、この試作品、試してもらえない?番とか恋人に着てもらって」
ノアはあまりの内容に真っ赤になって固まった。思わず耳を疑ってしまう。
「た…試す?」
「そう、巣作りに使ったら他の服より効果があったりしないか」
「こ…、効果って…」
クラウスは意味をわかって言っているのだろうか?
つまり、これを使って性的に興奮するか、ということなのだが…。
ちらりとクラウスを見上げると、キラキラとした曇りなき目でノアを見つめている。
ノアは思わず、はあと深いため息をついた。
「ごめんなさい…。僕、恋人いないから、試せません…。着てもらえる人がいないんです」
「あ、そうなんだ…。好きな人とかもいない? 工房内の人なら、着てもらったりもできるよ。君のことわからないように頼んでみるからさ」
「……!好きな人も、いません!」
「そうかぁ。困ったなぁ」
真っ赤になって否定するノアの態度を意に介さず、クラウスはどうしようかなぁ、などと言いうんうんうなっている。
「あの、もしかしたら全然意味ないかもしれないけど、着るの俺じゃだめ? 一応αなんで」
「え…? クラウスさんが着るってことですか…?」
「そうそう、それをノア君に渡すからさ」
自分の着た服で巣作りをしてほしいなんて、なかなかにとんでもないことを言っていることに自分で気づいているのだろうか。
恋人でもなければ、友達ですらない。会ったのだって今日が3回目だ。
そんな知り合い程度の相手に、自分の着た服で巣作りしてほしいなんて、普通の神経をしていたらとてもじゃないが言えないだろう。
クラウスの性格がよほど大らかなのか、はたまた無知なだけか、もしくはそれだけ必死と言うことか。
……あるいはその全部か。
クラウスは知らないが、本当はノアは密かにクラウスのことが好きなのだ。意味がないことはないだろう。むしろ効果抜群だ。
先ほどふと感じたクラウスのフェロモンはとてもいい匂いでドキドキした。
発情期はいつも苦しくて辛いが、その匂いがついた服が近くにあると考えたらノアの腹の奥がうずいた。胸いっぱいに匂いを嗅いだら、さぞかし幸せな気持ちになるだろう。クラウスの服を手に入れたいという欲望が腹の底から湧いてきてぐるぐると渦を巻く。どうやらこの欲望には勝てそうにない。
ごほん、と咳払いをすると、いかにも仕方なく、という風を全力で装う。
「では、そうしてみます……」
「本当?!ありがとう!じゃあ着たら渡すね!」
クラウスは意気揚々と自分の仕事場に戻って行った。
一人残されたノアは、とんでもないことになってしまったな、と思った。
普通に考えれば、好きでもない相手の服で巣作りなんてするはずがない。
もしかして、自分がクラウスを好きであることを勘付かれるかと思ったが、今のところ全くそんな様子はなさそうだ。
クラウスはどうやらΩのことをほとんど知らないらしい。それがいいことなのか、悪いことなのかはわからないが。
「ふう」
クラウスのことを考えるとなんだか体が熱い。その熱をクラウスのせいにして、ノアも仕事場にもどったのだった。
◆
次の日の朝、工房のミシンで今日の作業であるシャツの袖を縫製していると、ノアは「あれ?」と首をかしげた。
感じ慣れた下腹部の重み。
「あ、これ発情期になる前のやつだ。いつもより早いな……」
仕事終わりまでもてばいいけどと思いつつ、発情期が早まった理由について考える。
昨日、好きな人のフェロモンを間近に感じ、発情期にクラウスの服の匂い吸い込むことを想像したせいで、どうやら発情が誘発されてしまったようだ。だんだんと身体が熱くなり、下腹部が疼いてくる。
夕方、その疼きはますます強まっていき本格的に発情期に入りつつあることを感じる。
ノアは親方に休暇を申請し、受理されたためそのまま早退することにした。
縫製室を出た廊下で、クラウスにばったり会う。
「ノアくん、お疲れ様。明日、話してた巣づ…じゃなかった試作品渡したいんだけど、何時頃がいい?」
「すみません、体調不良なので、数日休暇を取りました。明日も休みなんです」
「えっ! 体調不良、大丈夫? 一人で帰れる? 送ってくよ」
「だ、大丈夫です…あっ」
しかし、ノアは言ったそばからふらふらとバランスを崩して足をもつれさせてよろけてしまう。とっさにクラウスは腕を伸ばしてノアの体重を支える。
「す、すみません…では、やはりお願いします。すぐ近くの寮なので…」
「うん、もちろん! その荷物も持つね」
クラウスはノアの腕をとったそのままの体勢てゆっくりと歩き出した。
途中、クラウスは通りかかった同僚に「ちょっと出てくるね」と言付けを頼み、工房を後にする。
道を歩きながら、クラウスは怪訝な顔をし、すんすんと鼻を鳴らした。
「なんか、甘い匂いしない?フルーツか、花の匂いみたいな…」
それを聞いて、ノアはぎょっとする。
それはきっと、自分のフェロモンの匂いだ。
クラウスはΩのフェロモンの匂いがどんなものか、まだ知らないらしい。
ちらりとクラウスを見ると、こちらを見つめるクラウスと視線が絡み合う。自分が原因であることを気取られないよう急いでさっと目をそらす。
発情期は周りに秘匿すべきことと教えられてきたノアは、自分が発情期に入りつつあることを知られないよう、全力でとぼけることにした。
「そうですか…? さ、さぁ、何でしょうね?」
「ノア君はしないか…。うーん。ごめんね、体調悪い時変なこと言って」
ノアはヒート前特有の熱と、発情期がバレそうな緊張感でダラダラ汗をかき始めた。
それに気付いたクラウスが「よかったらこれ使って」とハンカチを貸してくれたので、礼を言って受け取り目に入りそうになっていた汗を拭う。
「すみません、洗って返します」
「いいって!気にしないで。しばらく持ってて」
歩いていると寮の前に着いた。ドアの前まで来ると、「お大事にね」と言ってクラウスは工房に戻って行った。
部屋に入り、ベッドに倒れ込む。
左手に握られたハンカチから、微かにクラウスの匂いが漂ってくる。鼻を近づけ思い切り匂いを嗅ぐと、腹の奥がじわりと熱くなった。
「クラウス…さん」
本格的な発情期の到来に、ノアは心も体も熱に支配されていった。