01 考えよう
「巣作り用の服って何ですか?」
工房の意匠担当の一人であるクラウスは、新しい企画の概要を聞きポカンと口を開けた。
12才の頃から徒弟として下積みを8年経験し、最近独り立ちしたばかり。親方から告げられたこの企画は、今まで担当してきた普通の男性用衣類とはかなり毛色の違うものだった。
親方は、目鼻立ちの整った体格の良い壮年の男で、クラウスの前で人あたりの良さそうな笑顔をニコニコと浮かべている。難しい仕事を振る時だけこのように愛想がよくなることを、この数年間でクラウスは経験的に知っていた。
簡単に言う割には、おそらく難易度の高い仕事なのだろう。
「そう、恋人のΩに、αが渡したくなるような服。巣作りはΩが愛するαの匂いのする服を集めて自分が安心できる場所を作る行為だ。でも、巣作りってどんな服でやったらいいのか俺たちαにはよくわからないからさ。こっちから提案したら、選びやすいじゃないかなってことで。君もαだし、最近の若者の気持ちがわかるだろう?恋人とか、友達のΩに話聞いたりしてさ。お願いね」
そう押し切られて、クラウスは親方の部屋を後にする。
廊下を歩きながら、親方から振られた仕事について考えた。
新規の企画の立ち上げは、手間やリスクが大きい割に実入りが少ないことが多い。
クラウスのような意匠担当は、売り上げを上げられなければ簡単にその首をすげ替えられてしまう。
よほど成功が確約されているような企画の他は、決してベテランは受けない類の仕事だ。
失敗したら、よくて徒弟に逆戻り。最悪ここから放り出されるだろう。
しかし、クラウスは今、仕事に燃えていた。
親方直々に名指しで新しい仕事を任せてもらえて嬉しかったし、それなりの売り上げをあげてなんとか成功させたい。もともと服作りが好きだし、新しいことに挑戦するのも好きだ。心の中に熱い思いが沸々と沸いてくるのを感じる。
その一方で、とても困ったことになったなとも思う。
今まで大好きな服作りに夢中にすぎて、Ωなんて恋人はおろか、友達にも、知り合いにすらいない。閉鎖的な長年の工房での生活もあり、交友を深めたり恋愛関係をもったりすることにはてんで疎かったのだ。
クラウスが所属する服飾工房は、王都の一角、喧騒から離れた田園地帯にあった。
もの作りの街として知られ、大小様々なギルドや工房が立ち並ぶ通称 "帆布街" 。
戦時中に船の帆を製造する軽産業で栄えたのをきっかけに、戦後もその蓄積された技術と設備によって仕事が仕事を呼び、現在では手工業ギルドを中心に生活に欠かせないあらゆるものが作られている。
親方は老舗のギルドから独立してこの服飾工房を立ち上げた。最大手のギルドには及ばないものの、最近は人員も増えてそれなりに規模が大きくなり、新進気鋭の工房として何かと話題になることもあった。しかしこれからさらに売り上げを拡大するためには、他の工房がまだ着手できていない新たな分野を開拓する必要があった。
クラウスがΩについて知っていることと言えば、幼少の頃通っていた学校の教科書に書かれたごく基本的な内容くらいだった。男女問わず子供が産めること、発情期があること、自分のようなαを誘惑するフェロモンを発することなど。巣作りについては、そのようなものがあるらしい、くらいのことしかわからなかった。
職場である意匠室に戻ると、多くの職人たちがバタバタと手を動かしていた。
クラウスの所属する意匠部門は、製品の形を考えて図面をひいたり素材や色を決めるのが仕事だ。
仕様を決め、それを元に職人に型紙をもらい、その後縫製室に依頼すると専門の職人が試作品をあげてくれる。
それをああでもないこうでもないと繰り返し改善しながら仕様を決めた後、正式に生産をして晴れて製品になり市場に出回る。
クラウスは自分の席に戻ると、木製の椅子にガタリと座り、頭を抱える。
「どうだった?親方はなんて?」
話しかけてきたのは、先輩のブランだ。
多くの徒弟を抱える親方に代わって、クラウスに実務をいろいろと教えてくれたのはこのブランだった。
よくしゃべり面倒見のいいβで、社交的でコミュニケーションが上手くクラウスは尊敬していた。
しかし、コミュニケーションが上手すぎるためか、その能力を遺憾なく発揮していつも外で見かけると違う女性を連れているのだった。
「巣作りか…。確かに全然わからないね。うちの工房はβが多いし」
「そうなんですよ。知り合いにもΩなんていないです」
「まあたいていはそうだよね。そもそもΩの多くが大人になるかならないかのうちに早くから結婚するからあまり多くの人と交流を持たないし、働いてるΩ自体が少ないもんな。ほとんど工房から出ることがない俺たちが会うのはなかなか難しいよね。会えるとしたら娼館とか…?」
「え………?」
「うそだよ。さすがに経費は下りないだろうし。Ωは目ん玉が飛び出るほど高いよー」
そう言ってブランはからかうような目線をちらりとクラウスに流し、いたずらっぽく笑った。
寮や職場も同じで自分とほぼ同じ生活をしているはずなのに、どういう交友関係をもったらこのような知識を得ることができるのだろうかと、クラウスは不思議に思いながらも素直に感心する。
自分には選択肢にすらのぼらない発想だ。
気を取り直して、まず自分にできることから始めなければならない。巣作りについて調べるにはどうしたらいいかと考える。仕事が終わったら貸本屋に行ってΩについての本を片っ端から借りくるくらいしか思いつかない。
しかし本だけの知識で、果たして本当に巣作りに最適な服が作れるのだろうか?
親方はいつも言っていた。
「クラウス、自分の頭で考えるだけじゃだめだ。使う人から話を聞いて、実際に使ってもらって、その意見を聞くのが一番だ。使うのはお前じゃなくて、その人たちなんだから」
しかし、肝心のΩが、クラウスの知り合いには全くいなかった。
昼休み、問題の解決策が見つからないまま、もやもやとした不安を抱えつつクラウスは工房に併設された食堂に向かう。
肉の焼ける臭いや揚げ物の油の匂いに混じって好物のシチューの匂いを嗅ぎ分けると、一気に気持ちが明るくなりパンと共にご機嫌にトレイに載せた。
食堂はいつもどおりガヤガヤとしたしゃべり声と食器がぶつかり合う音で賑わっており、人で溢れかえっている。
座る場所を探していると、食堂の隅で気配を消して一人ひっそりとお弁当を広げている小さな背中がふと目に止まった。
普段なら目に入らないはずのその目立たぬ姿に、なぜたまたま気づくことができたのかはわからない。クラウスはその人物のことがどうにも気になり、頭の中の細い記憶の糸を手繰り寄せる。
以前、1度会ったことがある。
確か前に、親方が言っていた…何だっけ……。
後輩、縫製部門所属。
名前は…思い出せない。
男のΩ…
「ん…? Ω?!」
Ωが居た!
しかも同じ工房内に。盲点だった…!
クラウスは思い立ったら早かった。
「突然すみません! 俺、意匠部門のクラウスっていいます。隣いいかな?」
目の前の柔らかそうな茶色の髪がビクっと揺れて、恐る恐る振り返り、同じく茶色の大きな目がまん丸に開かれる。
蚊の鳴くような「ハイ…」という声の返事を聞くないなや、クラウスはありがとうと言いながらどかりと隣に座った。
「名前、聞いてもいい? 前に会ったことあるのに、ごめん、忘れちゃって」
「あ……ノア、です…」
「ノア君! 早速だけど、聞きたいことがあって」
驚きに染まる茶色い瞳を見つめながら、クラウスはにこりと笑顔を向けた。