呪えど穴は一つのみ
想いを込めて形を作る、何時の日か完成する作品は、新たな時代の呪いとも言えるのだろう。しかし、穴は二つも必要ないだろう、命を削るは作り手一人のみなのだから。
信じよ何時かは形に至ると、信じよ何時かは己に至ると、信じよ魂は不滅であると。信じよ、信じよ、信じて命を削れ。信じよ、信じよ、信じて魂を別けるのだ。
情報が人の本質であるのならば、想いを込めた作品こそ、自分自身であることを証明しているのだ。ならば、身体が朽ちることにどれだけの意味がある、そんなことはどうでも良い、自身を証明するんだ。
感情を形にするとは、実に呪いに似ているじゃないか。まるで自身の物語を綴るように、コードを書いて、それを格納した作品は、どうして自分でないと言いきれるのか。呪いのように残るんだ。
信じよ何時かは形に至ると、信じよ何時かは己に至ると、信じよ肉体など何でも良いと。信じて想いを込めるのみ、信じて形に至ると進むのみ。
呪いを込めて形を作る、何時の日か完成する作品は、新たな自分自身とも言えるのだろう。しかし、穴を覗いたとして、そこにあるのは古い脱け殻のみだろう。結局のところ、意味なんて無い、あるはずがない。
ここで両足で立つには少し疲れただけ。たった一つのみの穴を覗いて考えて、もうやめた。本当は解ってるよ、でも、誰か一人でも覚えていてくれたのなら、十分じゃないか。