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第43話「月下に出会いて」

 少し欠けた月が中天を超えて沈みゆく中。


 薄明りの下、人通りのない王都の小道を駆ける男がいた。


 コウ・マクガイン。


 自らの主を裏切り、その悪意を見抜かれ、今ほうほうのていで逃げ出す――


「ハハハッ……ハハハハッ……!」


 ――否。


 走りながら狂気に満ちた笑みを浮かべ、目をギラつかせるその姿には力が満ち満ちている。


 王宮の二階、客室の窓から中庭に落ち。


 迫り来る追手を切り伏せ一目散いちもくさんに、6メートルを超える城壁に取りつき、そこを獣染みた動きで登り切りそのまま逃げ去ったコウ。


 万が一の時のために、あらかじめ壁の一部に手掛かりとなるような細工がされていたのだ。


 しかし、そうであったとしても、常人では真似できない逃走劇であったのは間違いない。


 そして、それはまだ終わっていないのだ。


 王都の各所で人が動く気配がある。


 それを感じている。


 コウを追跡するために、クロムウェルが追手を放ったのだ。


 ただ一人を追うには過剰すぎる程の人数が真夜中の王都でうごめき始めている。


 それが分かっていてもなお、復讐鬼の顔には笑みが浮かんでいた。


(楽しい……! こんなに楽しいのは始めてだ! 今日は私の人生で最高の日だ! 間違いない!)


 そう喜色きしょくに満ちた表情で、王都を北に北にと走り続ける。


 彼の人生。


 母が死に、自らの出生の秘密を知り。


 それからの人生において、彼は己の生命の全てを復讐のためだけに使って来た。


 そのためだけに、ただただ生きて来た。


 小さな砂を積み上げるように陰謀を張り巡らせ。


 細心の注意を払って国家の転覆を狙い。


 誰にも気付かれないように『近衛騎士コウ・マクガイン』演じ続けて来た。


 憎き相手の下につき、内心を押し殺し、いつかの時を夢見ながら……。


 そして、その全てがご破算はさんとなった今、彼は落胆するというよりはむしろ歓喜していた。


(こうでなくてはいけない! こうでなくては復讐のしがいがない! これでこそ! これでこそ! 私が全てを捧げる甲斐かいがあると言うものだ!)


 数年前、近衛騎士になり初めて夜間、王宮の警備についた日のこと。


 国王リブデン・テンレス・アイリスの寝室に、彼は密かに足を踏み入れていた。


 そこで年老い日に日に弱っていく憎きかたきの顔を見て。


 ただ殺すだけならいつでも出来るその状況で。


 その名を聞いたのだ。


『すま、ない……ルクレ……ツィア』


 スゥっと血の気が引き、体が硬直したのを今もなお覚えている。


 予想外の言葉であった。


 ルクレツィア。


 彼の母の、本当の名前。


 その名を聞き、目の前で眠る男を見て、コウの中でドロリとした感情が渦巻うずまいた。


 この男は。


 その名を寝言で口にするほど覚えておきながら。


 きっと母がどうなったかを知らない。


 その後、どう生きたかも。


 その後、どう死んだかも。


 きっと何も知らない。


 知っていればコウ・マクガインという人間が、近衛騎士になどなれるはずがない。


 何も知らないからこそ自分はここにいる。


 そう考えると、一瞬自らが酷くちっぽけに思え。


 そして憎悪の火が全身を駆け巡った。


 その暗く燃える炎が彼という人間を完成させたのだ。


 復讐のみに生き、復讐のみに死ぬ。


 『復讐鬼』としての彼の人生がその瞬間に完成した。


(次はもっと! もっと大がかりな事をしよう! 名を変え、顔を変え、他国の将軍にでもなってこの国を蹂躙しよう! もしくは暗殺者となって要人を殺しまくるのもいい! ハハハッ! いったい何をしてやろうか!)


 彼にとって、今回の復讐の失敗は終わりなどではなかった。


 新たな復讐の始まりでしかないのだ。


 もし、それが終わる日が来るとすれば、アイリス王国から民が消え果てるその時か。


 もしくは彼が死に絶える、その時であろう。


「ッ!?」


 ただひたすらに王都を北へと走っていたコウが、民家も少なく共同墓地が連なる通りに面した時。


 ヒュウウウウ!と響いた風切り音に反応して、彼は腰の剣を右手で抜き放つと同時に背後へと振り切った!


 ガキン!と音がして真っすぐに飛来した矢が弾かれる!


 それに見向きもせずに、コウは視線を矢が飛んできた方向へと向けた。


(馬の気配はない。徒歩で追ってきたにしては早すぎる。王宮から命を受けて武装した兵たちが追い付くまでには――)


 そう考える視界の中。


 影から月明かりの下へと身を出す者がある。


「やっと広い所に出てくれましたわね。これで狙い甲斐があるってもんです」


 20メートル程先、道の真ん中に立つ影が一つ。


 深紅の布地に金の刺繍の入った狩衣かりぎぬを纏い。


 左手に弓を持ち、右手に矢束から矢をつがえ。


 金のポニーテールを輝かせ、深紅の眼光でコウを見る女性が一人。


 それを見て、彼は憎々し気に顔を歪めた。


「ナイフを刺す感覚がおかしいとは思ったのですよ……。馬鹿な王子は私のハッタリに引っかかってくれましたが……」


 つぶやく声を空気を裂く矢の音が打ち消し、コウはそれを乱暴に剣で左へと弾いた。


「もう逃げられませんわよ、コウ・マクガイン様! 大人しく投降なさい! 今なら命までは取りませんわ!」


 また矢をつがえながら、そう叫ぶ深紅の女性。


 レイリィース・ジョゼフィーヌ・ヴィランガードが、何故か母親の狩衣を身に付けそこにいた。


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