第14話『鳥は大樹に寄り添いて』
レイリィース・ジョゼフィーヌ・ヴィランガードは、王国の東端にある国境沿いの領地、ヴィランガード伯爵家に生まれた一人娘だ。
調査したところによると『お転婆姫』として地元では有名で、また好奇心の強さゆえに、国境を行きかう人々の話を、供もつけずに聞き込んで回ることもあったとか。
生まれ育ったアルガードの町では、商人の荷運びを手伝ってみたり、馬商人の目利きに同行したり、サーカス団に仮入団したり、赤ん坊の子守りの手伝い、溝の掃除、迷い猫の捜索、図書館の司書見習い、八百屋の看板娘、とにかく、気になったことには何でも首を突っ込んでいたらしい。
到底、貴族令嬢の行動とは思えない。
当然、素行不良な愛娘を前に、パパギリス伯とその妻ママリィースは、何度も口を揃えて諫めたそうだが、あいつはその程度で己を曲げるほど『デキた』子供ではなかったらしい。
結局何を言っても話を聞かないので、せめてもの次善策にと、両親は護身術を一通り教え込んだそうだが、それが更なる暴走へとあいつを駆り立てた。
絶望のどん底にパパギリス伯たちが落ち込んだのは想像に難くない。
だが、不可能に思われた暴走娘の教化であったが、パパギリス伯及び、その家臣一同による不断の努力が功を奏し、最低限の嗜みを身に付けさせることに成功。
その一件により、ヴィランガード家の結束はより強まったとか。
そうして今に至る。
一言で言えば。
おもしれー女。
言い方を変えれば。
他とは違う女。
今回のお見合いに来た令嬢たちは、全部で24人。
それぞれ緊張していたり、不安を感じていたり、気勢を上げていたり、自尊心で凝り固まっていたり、気に入られるために猫なで声を出してみたり。
そんな奴ばっかりだったが。
最終日、最後の最後。
レイリィースが俺の前に現れて、あいつは俺にこう言った。
『オーホッホッホッホッ! この私こそが! レイリィース・ジョゼフィーヌ・ヴィランガード! ヴィランガード伯爵家の一人娘ですわぁ!』
正直言って驚いた。
この俺を前にしてあのどでけぇ態度に、どでけぇ声。はっきり言ってありえねー。
だが面白いと思った。
こんな女がいたのかと一瞬思い。
しかし同時に、声の中に別の意思が紛れている事にも気が付いた。
ほんのわずかな意識のズレ。
あいつは俺の方を向きながら、何か別のことを考えていた。
何を考えていたかまでは分からなかったが。
だがそれは、何故か俺を酷く落胆させ、一つの言葉をこぼさせた。
『つまねー結末だな……』
その後起こったことは今でも鮮明に思い出せる。
バガンッ!と両手で叩かれる机。
こちらを睨みつける深紅の瞳。
そして――
『この私の!! 何がつまらなかったのかって聞いてるんですわぁ!!』
――あいつの大声。
この俺の婚約者になれると聞いて、いの一番にレイリィースが口にしたのは、俺に対する文句だった。
その後、俺を蹴り飛ばそうと腕に力を込めるあいつと、そしてそれを手慣れた様子で止めるパパギリス伯たちを見て。
思わず、笑みがこぼれた。
人の怒った声を聞いたのは何年ぶりだっただろうか。
もはや思い出せない。
俺に対して、これほど真っすぐにぶつかってこようとする奴が、今まで存在しただろうか。
記憶にはない。
その時、何を思ったか。
ただ本当に存在したのか、と。
そう思ったのを覚えている。
この俺を前にして。アイリス王国の第二王子を前にして。
何の気負いもなく、何のためらいもなく。
蹴りかかってくるような人間が存在したのかと、そう思った。
俺を。
ただ一人の人間として見る奴が、本当にまだ存在したのか、と。
そう思った。
クロムウェル・クォーツライト・アイリスは国家の人だ。
一個人と言うよりは、政治機構の一部と言った方が近しい。
そのことに対して、特に思う所はない。
仕事自体にやりがいを感じていたし、多くの人間が行きかう国家の中心点にあることを、誇りにさえ思っていた。
だが。
同時に酷くむなしく感じることもあった。
俺はただ俺でしかないと。
クロムウェルはただクロムウェルでしかないと。
王子である前に一人の人間だと。
そうありたいと。
思うことがあった。
まぁ、それが出来る身分ではないし、そんなこと一人で解決するような問題でもない。
王子であると言うことは、俺の存在と不可分だ。
考えるだけ無駄な夢。俺は俺にはなれない。
クロムウェルは、クロムウェル・クォーツライト・アイリス以外の人間には、なれはしない。
それは分かっている。
分かっているが、一縷の望みに賭けたかった。
せめて俺を俺として見てくれる奴と共になりたいと。
子供じみた我儘のままに、珍しく権力を振りかざしてお見合いを開いてみたら。
あいつがいた。
あいつが、あのレイリィースが。
俺のことを一人の人間として見ていると。
そう思える人間が。
俺の目の前にいた。
まぁ、それはそもそも俺に興味がないだけだったのかもしれないし。
ただ何も考えてないだけだったのかもしれないが。
それでも、他の令嬢を選ぶよりは、あいつを選ぶ方がずっと『面白い』選択肢だと思った。
極端に色の薄い俺の人生が少しは色づくと、そう思った。
だが――
あいつは――
『王子様、クッキーいかがですか?』『お紅茶もどうぞ!』『げぇっ! 茶葉が少なすぎましたわぁ!』『あっ! コウ様いい所に! 薄いお茶ってお好きです?』
レイリィースは――
『かかってらっしゃい!』『そりゃ隙ありぃ!』『フゲェッ!』『グヌヌッ! 次は勝ちますわ!』『……隙ありぃ!!』『フゲエエッ!』『あなた、背中にも目が付いてますの!?』
あいつは俺が思っていたよりも――
『へぇ、視察って何しますの?』『……それつまんなくないですか?』『風が気持ちいいですわねぇ』『そこ! 兎がいましたわよ! 捕まえて来ましょうか!?』『なんだ。視察ってピクニックみたいなもんですわね』『そ、そんなに笑われなくても!』
ずっとずっとずっと――
『王子様……最近同僚のメイドさんたちの視線が痛いので、少々お暇をいただきますわ……』『いやー! 一晩飲み明かしたらお友達になれましたわ! これでもう安心です!』『なんですの? 私、頼まれてもあなたから離れませんからね!』
――ずっとすげー女だった。
色づく所の騒ぎじゃない。
俺はあいつに染められた。
灰色の生活が、華やかな赤と金によってみるみる変わっていった。
気づいた時には、俺はあのお転婆娘が現れるのを心待ちにするようになり。
その金色の髪が揺れるのを好ましく思い。
その鈴の鳴るような声を聞けて嬉しく思い。
陽光のような笑みに胸を高鳴らせ。
その姿を、ふとした瞬間に探すようになっていた。
初めてのことだ。
俺はどうやらあの女に惚れてしまったらしい。
王子としてではなく、一人のクロムウェルとして。
俺はレイリィースに惚れていた。
そして。
あいつ自身もそうであったら嬉しいと、そう思うようにさえなっていた。
まぁ、これはただの願望だ。
10日間ほど、俺とあいつは共に過ごしていた訳だが、レイリィースの俺を見る目は『想い人』を見る目じゃない。
それぐらいは分かる。
やはり何か別の目的があるようだ。
恐らくは俺に関係する何かだとは思うが、はっきりとは分からない。
まぁ、今はそれで構わない。
だが、いつか。
いつか必ず――
必ずあいつを――――――
――――――
「クロムウェル様……」
手に持っていた手帳『レイリィース嬢、覚え書き』を、そっと閉じ視線を上げます。
空を見上げてみれば、夜空が段々と追いやられ、太陽が顔をのぞかせようとしているのが感じられました。
正面を見れば、雄大に流れるルービン川。
視線を左に向けてみれば、薄くかかった朝もやの中、川が終わり、海が始まる、その境界にある港町『ルービーリコン』で、住人たちが起き出し、炊煙を上げ、自分たちの仕事を始めているのがうかがえますわ。
そして右には――
「………………」
――私たちが乗って来た船。
先頭だけを河原に乗り上げさせた黒塗りの船が、そこにあります。
その上に横たわるお方が一人。
私の……私の婚約者……生涯を共に歩もうと、そう告げた相手……。
今はもう冷たい骸と化したあのお方がいらっしゃる。
王子様は私に告げられました。
生きろと。
また空を飛べと。
鳥のような私に惚れたと。
ですが王子様……。
「………………」
そっと船に近づき、足を濡らしながら横たわるクロムウェル様まで近づいていく。
手帳を船に置き、王子様のお顔を左側から見る位置に立ち、その冷たい頬に手を添える。
「王子様……ご存じでしょう……? 鳥は確かに空を飛びますが、夜になれば大樹に寄り添い静かに眠るものです……」
どんなに願っても、もはや動くことのない口が、目が、手が、足が、体が。
生きていた時と遜色ない状態でそこにある。
でも、もうここに王子様はいない。
もう……もう……ここにはいない……。
「………………」
手を動かす。
左手を王子様の腰へと伸ばし、そこに備えられた剣を引き抜いて。
一振りしてその感触を確かめた後、胸の前に両手で握って構え、剣先を中天へと向けました。
……綺麗な剣ですわね。磨き抜かれ、曇りも刃こぼれもない。まさに王族が身に付ける護身剣。
その剣を右の首筋に当てます。
冷たい感覚。感情のない鋼が触れているのを感じて。
そして私は――
「クロムウェル様……」
――その名前を呼ぶと同時に、一息に剣を引ききりました。
体の中に冷えた金属が入って来て。
ブツリと音が響き、切れてはならない血管が切れ、血が一気に噴き出し。
そこでようやく痛みが感じられ、私は剣から手を離し、ヨロリと体を揺らしながら船の縁へと手をつきました。
ほんの少しでも、あのお方の側にいるために。
手を伸ばし、血をこぼしながら、胸の前で合わせられた王子様の手を握ります。
「くろむうぇる……さ……ま……」
薄れていく感覚の中、その手をギュッと握りしめ。
何故かただそれだけのことで、私は満ち足りたような気分になり、そのまま意識は暗い闇の中へと落ちて行きました。
そして――
『ゴーン。ゴーン。ゴーン。ゴーン――』
――またあの日へと舞い戻る。




