第13話「彼方を高く飛ぶ鳥よ②」
ここに至るまでに、何度も繰り返して来た言葉を王子様がもう一度口にします。
なぜ今更、今後の予定について話されるのか……。
それほどまでに私の物覚えが悪いとお考えなのかしら……。
さすがにそれはちょっと見くびり過ぎでは?と思いますけど……。
「………………?」
それにしても、月明かりのせいでしょうか?
王子様の顔色が……。それに何だか息づかいも……。
……いや――
「ッ!?」
――気のせいじゃない!!
船の上で立ち上がり、勢い込んでクロムウェル様へと近づき、その近くにもう一度ひざまずきます。
グラリと揺れる船の上、王子様は瞳を閉じて、まるでその揺れに気づいていないかのように、言葉を続けました。
「いいか。さっき積んだ袋の中に換金しやすい貴金属が入っている」
「黙ってください!」
私のことにも気付いてない!?
月夜のせいで分かりませんでしたが、そのお顔は蒼白に染まり切っています!
頬を数度軽くたたいてみますが、反応が鈍くゆっくりと手で制止されるだけでした。
体に力が入っていない。全身から生気が抜け落ちている。
何が……なんでこんなことに……。
記憶を漁り、その原因を探ってみます。
考えてみれば、理由は一つしかないように思われました。
「失礼します! 先ほどの傷を――!」
「ぅっ!」
王子様の右腕を取り、切り裂かれた衣服を無理やり引きちぎり。
クロムウェル様が上げた小さな悲鳴を耳にしながらも、応急処置のために巻いた布のそば、傷口の付近に目を向けてみる。
「――――――」
『それ』を見て、私は言葉を失いました。
傷口の周囲が青紫色に変色して、それが手首の辺りにまで広がっています。
異様としか言いようがありません。
すぐに流血が収まる程度の傷で、短時間のうちに、これほどまでに変色するなんて聞いた事もない……。
これは……こんなことになるのは……。
どく。毒。毒!?
「王子様!? どうして!? どうして何も言わなかったんですの!?」
「………………」
「あの時! あの地下道で! 毒に侵されたのでしょう!? 刺客の剣で傷つけられて! あなたなら気付いたはずです!! 違いますか!?」
「……さぁな」
「王子様!!」
「…………ああ、気付いた」
「なら何故!?」
閉じられていた瞳をゆっくりと開き、よどみ始めた瞳で私を見ると、王子様がその口を開かれました。
「言ったらお前、俺を助けようとするだろ?」
「当たり前です! 助けるに決まってます!」
「だからだ。どっかに助けを呼びに行く。そしたらはお前は捕まって、そのまま死んじまう」
「私の、私のことなんか――!」
「――俺だってそうだ。自分のことより、お前の方が大切だ」
「そんな……そんなの!!」
「ハハハッ……レイリィース……」
激情のまま言葉を続けようとする私を遮るように、王子様が笑みを浮かべると、腰を起こし、その体がゆっくり前へと、私を巻き込むようにして倒れ込みました。
「わわっ!?」
その重さに逆らうことが出来ず、私はクロムウェル様と重なり合うようにして、船の底に体を横たえます。
グラリと船体が揺れ、水の音が立ち、しばらく振り子のように私たちの体が揺らぎ。
船を右に、夜空を左に。
正面に王子様を見上げる形で。
クロムウェル様の腕の中に私は抱き寄せられました。
普段であれば、胸を高鳴らせ、頬を赤らめて、恥じらう所なのでしょうが。
とてもそんな気分になれません……。
今、王子様の胸の中にあっても、とてもそんな気分には……。
「王子様……」
「少しだけ……少しだけだ……。こうさせてくれ……。ほんの少しでいい……」
「………………」
背中に回されたクロムウェル様の腕に力がこもります。
か弱い力が。私をほんの少しでも抱き寄せようとする力が、背中に伝わって来て。
その力に寄り添うように、私は身じろぎして王子様の胸に額を押し当てました。
「あったけぇな……お前……」
響く声に、胸を締め付けられながらも言葉を返します。
「ちが、違います……。あなたが……あなたが冷たいんです……」
「フッ……そうか……。まぁ、悪くねぇ気分だ……」
そう告げて、また腕に力を込める王子様。
ほんの少しでも、私を感じようとするかのごとく。
ほんの少しでも、私の側にいようとするかのごとく。
か弱い力で、私を抱きしめる。
なぜ……。
なぜ、気付かなかったのか……。
宵闇の中にあったとはいえ、王子様が隠そうとしていたとはいえ。
気付くチャンスは幾らでもあったはずです。
あの時、傷口をもっとしっかり確認していれば。
相手が暗殺者だと気付き、毒を使っているかもと推察出来ていれば。
地下道から出て、王子様の変調にもっと早く気付いていれば。
私は。
私は誤ったのです。
遅すぎた。
気付くのが……遅すぎました……。
そのせいで……そのせいで……。
王子様の鼓動が。
徐々に弱く、だんだん不規則に……。
体を抱きしめる腕から力が抜け、体温が下がっていくのを衣服越しに感じます。
一人の人間が。
私の王子様が。
死に絶えようとしているのを、全身で感じてしまう。
「………………っ!」
その現実から逃れるように、王子様の胸に顔を押し付け、背中に腕を回して、強く抱きしめます。
その熱を、ほんの少しでも感じられるように。
その命を、ほんの少しでも感じられるように。
今、胸の中心で鳴っている命の鼓動が、消え果てないように祈りながら。
「レイリィース……」
ふと、王子様の声が聞こえます。
私は胸に顔をうずめたまま、言葉を返しました。
「なんです……?」
「生きろ」
「…………っ!!」
クロムウェル様の右手が動き、私の側頭部の髪をすくようにして撫でられる。
その震える手の感触に泣きそうになりながら、私は王子様の言葉を聞きました。
「生きてまた……空を舞え……。俺はお前の……そんなところに惚れた……」
「………………」
「側に来ては……せわしなく動き回り……目を離せば……どこかに消えて……ふとした時に……またそこにいる……。まるで自由に空を舞う鳥のようなお前に……俺は惚れちまったんだ……」
手の動きが止まる。
王子様の手が、私の側頭部に置かれたまま、もう動かなくなる。
王子様を王子様たらしめている力が、命の力が全身から抜け落ちて行っている。
それでも――
「レイリィース……」
――言葉が続きました。
王子様の言葉が……。
その最後の言葉が……。
宵闇の中、響き続けます。
「俺のことなんかわすれちまえ……」
「そんなの……! そんなの出来ませんわ……。出来る訳ないでしょう……」
「ふっ……。すぐには無理かもな……。だが……おぼえておいてくれ……」
「なにを……」
「お前に惚れたバカがいて……。そいつは……お前の笑顔が一番すきだったってことをだ……」
「ッ!!」
呼吸が出来ない。
言葉を。
何か声を返すべきなのに。
何も。
何も言う事が出来ない……。
今。
今、何か言わなければならないはずなのに……。
貫かれたような胸の痛みのせいで、何も口にすることが出来ない……。
今、今しかないと言うのに……。
「…………っ」
そうして身動きを止め、喋るべき言葉を探し続ける私に、王子様の声が落ちてきます。
「だからレイリィース……だからもういちど……」
「そらを…………――――」
ふぅ、と。
小さなため息のような息が漏れ。
そのお体から力が抜ける。
心臓の音が弱まり。
ドクン、ドクンと響いていた音が。
不確かになり、ついに聞こえなくなる。
王子様が生きている証が、徐々に消えて行ってしまう。
その体から、徐々に徐々に熱が抜けていく。
「うっ……ううぅ……うううううっ!」
それが。
それが無性に悲しくて。
どうしようもなく胸が辛くて。
クロムウェル様の胸に顔を押し当て、残っている全てを少しでも感じようと、そのお体をギュッと抱きしめて。
私は涙を流し続けました。




