97,アップグレード。
市長が口をあんぐりと開けてから、少し遅れて叫んだ。
「じゅ、十億ですと! それでは先ほどの倍ではないですか!」
アリシアはうなずいて、
「はい。アップグレードには、より高い料金をいただいておりますので」
「そんなバカな話があるか! 王都全域を浄化する効果を約束したのは、そっちだぞ! アップグレード代など支払うものか!」
「そうですか。了解いたしました」
アリシアが立ち去ろうとするので、市長が慌てて引き止める。
「ま、まて、まってくれ」
「お二人は先に行っていてください」と、アリシアはシーラとチェットを送り出してから、振り返った。
「はい?」
市長はアリシアを指さして、
「分かっているぞ! 本来なら王都全域を浄化できるくせに、お前はわざと不発に終わらせて、アップグレード代を請求しているんだな!」
「本当ですか? でしたら興味ぶかい。アップグレード代が支払われれば、王都全域の浄化も行われる、という意味でもありますよね、それは?」
「ふざけるなよ! それではまるで、脅しではないか! この王都の市長である私を、脅すというのか!」
「脅しではありません。脅しというのは、あなたにナイフでも突きつけてお金を請求することでしょう。私はそんな野蛮なことはいたしませんよ。ところで再度、お聞きしますが、アップグレードはいたしますか?」
市長はふいにニタリと笑った。それから窓辺まで行く。ここは三階なのと、大通りに面しているので、けっこう遠くまで王都の様子を見ることができる。
市長はカーテンを引き、なぜか勝ち誇った様子で、王都を指さした。
「見たまえ、シェパード」
「はい?」
アリシアは市長の隣まで行き、指さされたものを見た。アンデッドたちが市民を襲い、それを止めようとした冒険者たちも、激しい攻撃を受けて命を散らしている。
そのもっと向こうでは、暴徒化した市民が王宮エリアに入り込もうとし、それを阻止しようと王国騎士団が矢を放っていた。
赤子を抱いた母親が悲鳴を上げながら通りを走っていて、その後ろから敏捷なアンデッドが壁走りし、ついに母親に飛びついて首を引き裂いた。
まさしく阿鼻叫喚。
「これを止められるのだ、君は? そうだろう、シェパード。みな、君の助けを待っている! 君だけが、彼らを救うことができるのだ!」
市長が期待の眼差しで、アリシアを見た。
アリシアも市長を見返す。まったくの無反応のままで。
市長はなぜか、唐突に悪魔でも見るような顔をしている。
アリシアはつい自分の後ろを振り返った。
市長は『悪魔でも見るような目』をしているのだから、アリシアではなく、何か別のものを見ているに違いない──と解釈したわけだ。
が、不可解なことに、ここには市長とアリシアしかいない。
アリシアは怪訝に思う。
「どうされましたか?」
「き、君は、心が痛まないのか! 人が死んでいるんだぞ!」
「そうですね。人が死んでいますね」
「……このまま、放っておくのか? アップグレードはしないのか?」
「あなたが王都の代表としてアップグレード代を支払わないのでしたら、私が個人的にアップグレードする予定はありません」
市長は椅子にどさりと腰かける。なぜか、倒された拳闘士のようにして。
「わ、分かった。支払おう……5億ドラクマだったな?」
「いいえ。5億だったのは、最初の効果付与のときの値段です。いまはアップグレードですので、10億ドラクマいただきます。お忘れでしたか?」
市長がテーブルを拳で叩く。
「バカな! 10億というのは、さすがにやりすぎだ! やりすぎだぞ、アリシア・シェパード!!」
「やりすぎ? 何をもって、あなたがそう解釈されたのかは自由ですが。私は、私がやりすぎているとは思いません」
市長が髪をかきむしる。
「10億だと? バカげている。そんなことしたら、わしの個人資産まで損害をこうむることになる……」
その『個人資産』というものが、もとは市民の血税だったことは、容易に想像ができる。
しばらくすると、いきなり窓を突き破って、一体の小柄なアンデッドが飛び込んできた。アリシアが見たところ、これは元市民のアンデッドだ。
つまり元冒険者のアンデッドと違い、戦闘能力はない。それでも敏捷性は増し、ここまでジャンプできたわけだから、危ないが。
「ぎゃぁぁぁぁ!!」
と叫ぶ市長の目の前で、そのアンデッドが光り輝いて、溶けていく。
「な、なにが、おきた、のだ?」
「先ほどの最初の王都全域への効果付与は、パワー不足で失敗に終わりましたが。少なくとも、この応接室には効果が付与されていたのですね。つまりいま、このアンデッドは浄化されました──アップグレードが行われれば、王都全域のアンデッドがこうなります」
市長は意を決した様子で叫んだ。
「わ、分かった! アップグレード代を支払おう! だから、早く浄化してくれぇぇぇ!!!」
アリシアは小首をかしげる。
「前払いですので、市長さん」
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