86,マリア。
シーラは、妙にわくわくしていた。
マリアとは、すでに伝説の人物と化している。
このアリシアを騙し、3億ドラクマもの借金を押し付けることに成功した人物。アリシアが錬成店をはじめるキッカケとなった人物。凄い人物、のはず。
アリシアを出し抜いたのだから。ただ仮説として、アリシアは『わざと』騙されて連帯保証人として署名した説がぬぐい切れない。
王都ダンジョン最下層に歩いていくと、失禁した女がいた。
ライラが困った様子で腕組みしている。シーラとアリシアに気付くと、
「あー。これ、べつに私がトイレに行かせなかったんじゃなくて、あの子を見たとたん、漏らしただけだけよ」
『あの子』とは、王都ダンジョンラスボス〈滅却せし獣〉。八つの巨大な蛇の頭をもつ、要塞のような魔物。確かに免疫のない一般人が見たら、失禁するほどおびえても仕方ない気もする。
が、『アリシアを騙した人物』の人物像と合致しない。
そのマリアという『お漏らし女』は、それ以外を抜きにすれば、おそらくそこそこに綺麗なのだろう。借金をこしらえた身のくせに、お嬢様のような髪型と衣服。
ただ貴族の血筋ではあるようで、そもそも〈銀行〉は、マリアが受け継いだ爵位を担保として取り上げるために、返済できないだろうと分かっていても、マリアに多額の貸付を行ったという。
アリシアの読みでは、だが。
マリアは警戒の眼差しでシーラを見たが、すぐにアリシアに気付くと、嬉しそうに駆けつけ、抱きしめた。
「アリシア! 元気ですの? あなたのこと、いつも思っていましたわ!」
アリシアは淡々として、マリアの肩をなでる。
「はい、マリアさん。私もマリアさんのことを、つねづね考えていましたよ」
とりあえず下半身が接触しないよう気をつけているところが、面白い。
マリアは一歩離れて、ライラを指さした。
「聞いてくださいませ、アリシア。あの小娘が、わたくしを誘拐して──」
「はい。私がお呼びしたのですよ、マリアさん。久しぶりに、むかしのお友達にお会いしたいと」
「あら。そうでしたの。でしたら、こんな乱暴なことはせず、ただ呼んでくださればよかったのに」
ライラが溜息をつく。
「隣国の小さな都市で、偽名で生活していた女がよく言うわよー」
シーラは、自分でもなにに感心したのか分からなかった。マリアの逃げっぷりのよさか、それを短時間で見つけ出したライラの、謎の技量か。
とくに人探しの効果を付与してもらったわけでもないのに。
マリアは不満そうに言う。
「下賤な身のくせに、生意気ですのね」
ライラがクレイモアの巨大な刃を見つめる。それでマリアを一刀両断にしても、問題ないよね、という顔で。問題はないが、まだ早い。
そこでシーラがかわりに言った。
「マリアさん。君さ、友達のアリシアに借金押し付けて、恥ずかしくないのかなー? しかも連帯保証人の署名を、嘘ついてさせてさー」
さすがに申し訳なさそうにするか、または最低でも居心地が悪そうにすると思ったが。
なんとマリアは、まったく悪びれる様子もなく、
「いえ、いえ。それは違いますのよ。結果として、そうなってしまったという話ですわ。わたくしは、大親友のアリシアを騙すつもりなどは、まるっきりありませんでしたわ。そうですわよね、アリシア? あなたなら理解してくださるでしょ?」
アリシアはうなずいた。
「そうですね、マリアさん」
シーラは離れたところからマリアを観察しながら、頭をかく。
「なんだかなぁ~。マリアという女は、なんというか」
となりでライラがうなずいて。
「小物臭がするわね? 哀れっぽい? 裸に剥いて、泥の中に押し付けて窒息死させたい?」
「…………なぜ、アリシアはあんな女に騙されたのだろうね」
「それはたぶん、思考するのが面倒だったのでは? アリシアお姉さんって、たまにそういうことあるじゃない。思考放棄というか、思考コストを消費したくないとか」
「……なるほど」
案外、そうなのかもしれない。アリシアが深い狙いがあって騙されたわけでも、マリアが切れ者でアリシアを騙せたわけでもない。マリアは小物で、とくに策略もなくアリシアを騙しにかかった。アリシアとしては、その鋭い頭脳を使っていれば、マリアの企みなど暴けた。が、それを思考するのも面倒だったので、言われるまま署名した。
そしてそのあとは、やはり思考することを面倒くさがり、日々、お針子の仕事を淡々とこなしていた。
考えようによっては、いまのアリシアの『思考モード』を起動させたのは、まさしくマリアの功績といえる。
マリアが3億借金をアリシアに押し付けたからこそ、アリシアも借金完済のため思考モードに入らねばならなかったので。
そんなアリシアは、マリアに尋ねた。
「ところでマリアさん。私、ひとつ確認したいことがあり、あなたを呼んだのです」
「なんですの、アリシア?」
「あなたは、いつから知っていたのですか? 私の錬成スキルのことを」
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