77,拒絶。
ここのところ無駄に脳のエネルギーを使いすぎた。
アリシアは、自分が策略をめぐらすのは不得意とは思わないが、とくに好きでもない。何も考えずに淡々とお針子していたころから、実のところは一番幸せだった。
が、いまはそうもいっていられない。冒険者ギルドの態度は気にかかるが、ひとまず鍛冶連盟の代表として契約を結んだので、しばし静観しても大丈夫だろう。
鍛冶ギルドは片付き、冒険者ギルドとも『和平条約』を結んだことになる。
あとは〈銀行〉。
このときアリシアの『借金返済の可能額』は、2億ドラクマに迫ろうとしていた。
だがいまのところ借金返済できたのは、はじめの300万ドラクマのみ。
借金を返したくても返せない、という状況は興味深い。
少なくとも王都の〈銀行〉本部が対応する気がないのは確実。ここのところアリシアは、ひとつの仮説を立てていた。
だがその仮説を立証するには、情報が不足している。
そこでライラに、ひとつ人探しを頼んだ。
ライラは王都を出立。
錬成店としての通常が戻る。
予約にある錬成相談を淡々とすましていく。
冒険者の依頼というのは、たいはんは『攻撃力』または『防御力』の強化。実は具体的な依頼というのは少なく、「物攻を上げたい」とか「魔法攻撃に強くなりたい」とか、分かりやすく単純なものが多い。
必然、その手の効果付与に使う素材の消費は激しくなるので、常に在庫確認はおろそかにできない。
そんな昼過ぎ、時折スパイスをという神の配剤でもあったか、変わった依頼が来た。その依頼をしたのは、船乗りだという冒険者。
「つまり、船乗りであり冒険者ということですか」
そもそも冒険者というのは、いったいなんの職業なのだろう、とアリシアは思った。冒険者ギルドに所属しなければ冒険者を名乗れない、という法律などがあるわけでもないが。
「王国の海上の交易路開拓の依頼を、冒険者ギルドが請け負ったんです。それで、私はそのクエストを受注しまして。船も購入し、船員も雇い、いまは船長をしています」とのことだった。
名前は、ドラツ。
確かによく日焼けした男で、ダンジョンばかりもぐっている冒険者とは違う。
「なるほど。では船乗りとしての依頼ですか?」
「まあ、そうなんです。人魚についてご存じですか?」
「魔物ですか?」
「いえ魔物ではなく魔族なんです」
「なるほど」
ドラツの説明では、魔物と魔族はまったくの別物らしい。魔物はダンジョンから現れるが、魔族は人類よりも先にこの世界に住んでいた異種族。
「エルフなんかもそうですがね」
つまり、エルフなどの異なる種族を人類が攻撃しやすいように、魔物と似たような蔑称を与えているわけだ。エルフや人魚が、人類のことをなんと呼んでいるか、気になるところではある。
いずれにせよエルフなどの魔族は人類圏から追放されているため、王国のましてや王都に住まうアリシアには、一生出会うこともない種族たちということになる。
「人魚の唄を聞くと、船乗りたちはその歌声にひかれて飛び降りるんです。これは伝説だとばかり思っていたんですがね」
「実際に体験されたわけですか」
「ええ。ある海路を開拓しているときに。まったく新しい海域だったんで、われわれも備えていたんですが、まさか人魚のテリトリーだったとは」
「そして?」
「そして、歌声が聞こえたとき、これはまずいと思い、私は引き返すよう命じました。とはいえ船というのは、そう簡単にUターンできるものでもありませんからね。そうこうしているうちに、船員が次から次へと海に飛び降りていきまして」
「よく脱出できましたね」
「まぁ帰りは船員不足で、苦労しましたが」
「なるほど。それで、依頼というのは?」
「あの海路を諦めるわけにはいかんので、人魚どもを駆逐したいんです。そのためには、人魚の歌声の魔法にかからないようにしないといけない。そのための効果を付与していただきたいんです。いえ、私個人の装備にではなく、船そのものに」
「残念ながら、人魚を駆逐することに手を貸す気はありません。私は、遺恨を残すようなことに錬成スキルを用いるつもりはありません」
先日の〈ウィッチドクター〉の例もある。意味もなく恨まれるようなことはしないのが得策。ましてや種族を滅ぼすとなると。
ドラツはこの返答を予期していなかったようだ。
「では、おれたちにあの海路に諦めろ、ということですか?」
「そうですね。それが良いでしょう。世界は広いのですから、何も人魚のいるテリトリーをわざわざ横切ることもないでしょう」
ドラツは怒りもあらわに席を立つ。
「あんたに、おれの仕事についてどうこう言われる筋合いはありませんな。いや、結構。あんたがダメなら、別の奴に頼むまでだ!」
そう言い捨てて、ドラツは去った。
アリシアは一考する。
(『別の奴』、ですか。少々、気になるフレーズを残されましたね、あの船乗りさんは)
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