ようこそ、洋食屋「コントルノ」へ~ネガティブな無自覚人たらしの料理人見習いは、故郷に残した幼馴染を護りたい~
初めての短編小説になります。
その店で、君はすべての悩みから解放されることだろう。
その一皿が、君の背中をそっと押すことだろう。
このドアベルを鳴らした全ての人に、どうか数多の幸あらんことを…
…………
――カランカラン
「いらっしゃいませ。こちらのお席へどうぞ。お冷、失礼いたします。
ご注文が決まりましたら、お呼びください。では、ごゆっくりどうぞ」
ギィ…バタンバタンバタン
「……ぉーい!オムあがったぞー!」
「「オムあがりましたー!」」
「ハイただいま!」
王都の人気洋食店「コントルノ」。
良心的な価格に、少しボリューミーな盛り付け。にもかかわらず、味は一級品。
昔ながらの優しい味付けに、手間と愛情がかけられた心づくしの一皿が今日も客の目と舌と心を楽しませている。
今はかき入れ時の午後1時。客席は満席。
店内は木目のあたたかい雰囲気で、風に揺れるカーテンからは日の光が柔らかく差し込む。
ジャズ風の音楽がかかり、不思議と心が落ち着くその店は、王都で働く人々の小さな癒しとなっていた。
そんな穏やかな店内とは裏腹に、あちこちから声が飛び交う厨房は、それこそ目の回るような忙しさである。
「バーグ2!あがったぞー!ソースかけて早く出せー!」
「「バーグ2!あがりましたー!」」
「ルイ!皿が溜まってんぞー!早くしろー!」
「すみません!今参ります!」
コントルノで働く16歳の青年、ルイは、半年前に上京してきた料理人見習いだ。
両親の営業している故郷の食事処を継ぐ予定だったが、父と母がそろって病に倒れ店は一時休業。経営についてまだ右も左もわからないルイは、なすすべなく出稼ぎに出ることになった。ルイは長男なで、下に弟と妹が一人ずついる。ルイが稼がなければ二人を初等学校すら出してやれない。
しかし、切羽詰まって王都に来てみたものの、何のコネも伝手も行く当てもないルイは、途方に暮れた。住む場所もすぐには見つからないし、部屋を借りるのだってお金がかかる。求人の貼り紙を見て応募して面接に行っても、料理以外に特にスキルもない、魔法も使えないルイにはアピールポイントなどない。それにおそらく、ルイの見た目があまりよくないんだろう。あちこち跳ねてぼさぼさのありふれた茶髪。はしばみ色の眠そうな目と、深夜の日雇いで寝不足のためにできたクマ。快活さのかけらもない、よれよれのシャツ…。「君みたいな根暗で陰気でやる気のなさそうなやつを雇う余裕はない」と面と向かって言われたこともあった。しかし、それはお金も余裕もないルイには改善しようもない。雇ってくれるところはなかった。
日雇いの肉体労働と安い宿と食事でなんとか凌いでいたものの、両親が店を経営していたころに貯めておいたお小遣いは底をつきかけ、仕送りどころか、その日食べるのにも困る始末だった。
ある夜、その日も日雇いの仕事に出向こうと宿を出たルイは、道の途中でぶっ倒れた。
しばらく食事を抜いていたが故の空腹と、寝る間も惜しんで休みなく働いていたが故の極度の疲労。加えて、慣れない環境下での緊張や恐れが、その日噴出したのだろう。
途切れそうな意識の中でルイは、故郷の家族と幼馴染の少女の顔を思い出していた。
――カランカランカラン
……
目を覚ますと、視界に入ったのは優しげな木目の天井。
道で倒れたはずなのに、背中にはふんわりとした布団の感触。
慌てて体を起こすと、そこは日の差し込む明るい部屋で、ベッドのそばには水差しとコップ。
ルイが状況が分からず混乱していると、扉を開けて誰かが入ってきた。
「おや、起きたんだね。ん、まだ顔色が戻っていない。もう少し眠るといい。見た感じ、何日も寝ていないし、食事も抜いているんじゃないのかい?」
入ってきたのはルイの父親くらいの壮年の男性。手には、あたたかそうな野菜スープと湯気を立てたミルクの入ったマグカップを乗せた、お盆を持っている。
「あの、ここは…?ぼくはどうして…」
ルイが尋ねると、男性は水差しの隣にお盆を置いて答えてくれた。
「ああ、そうか。びっくりさせてしまったね。ここは私の店、洋食屋コントルノの二階だよ。私の名前はグスタフだ。君が私の店の前で倒れていてね。これは大変だとここに運んだんだ」
「ご、ごめんなさい。なんとお礼を言ったらいいか…。今、返せるようなものが何もなくて…。お金も…。」
「いい、いい。いらないよ。私が勝手に連れてきたんだ。礼を言われるようなことじゃあないさ」
彼はそう言ってベッドの隣に椅子を引っ張ってきて座ると、ルイの頭を撫でた。
「こんなにぼろぼろになるまで…。事情は分からないが、大変だったんだろう。まだこんなに若いのに、よくがんばったなあ」
王都に来てから、なにもわからず、仕事も帰るところもなく、焦る心だけを置いて、状況はどんどん悪化していく。面接で心無い言葉を言われて傷ついても、どうすることもできずに必死に縫い直して深夜の労働に向かう日々。冷たい味の薄いスープで固いパンを流し込み、毎日足が動かなくなるまで働いても、もらえるのは、パンが一つ買えるくらいのほんの少しのお金。それもすぐに宿代に消えていく。ルイだって好きでこんなに暗そうな見た目なわけじゃない。前髪を切ろうにも鋏がないし、寝たくてもお金がないから寝れない。目の形に至っては、それこそルイにはどうしようもない。
最初の頃はこっそり奥歯をかんで泣いたけど、最近はそれさえも無意味に感じられていた。
ルイは下を向いていた。
きっと限界だったのだろう。その一言で、張りつめていた何かがぷつんと切れて、ルイは声を押し殺して泣いた。グスタフさんのあたたかくて少し硬い手のひらが、ルイのまとまらないクセっ毛をふんわりとかきまぜる。
涙は全然止まらなくて、でもグスタフさんはルイが泣き止むまでそのままでいてくれた。
ようやく落ち着いて、すみません、と言って手の甲で残っていた涙をぬぐうと、グスタフさんは「構わんよ」と笑って野菜スープの入った陶器のボウルを手渡してくれた。
そのスープの味を、ルイはきっと生涯忘れないだろう。
ほどよく温められたスプーンに安心する。少し大きめに切られたたっぷりの春野菜のうまみが溶け込み、ほっとするようなやさしいコンソメの味。ニンジンもキャベツもタマネギもはっとするほど甘く、やわらかい。ルイの弱った胃腸をあたため、体中に栄養がいきわたるような感覚。
なにより、グスタフさんの心遣いが嬉しくて、ルイはまた泣きそうになった。
*
「ルイ君、と言ったね?働くところがないのなら、ウチに来ないかね?
ちょうど人手が足りてなくてね。この部屋に住み込みで、まかないつき。休みは定休日と日曜日の週二日。お給料は一ヵ月で…」
そう言って提示された額は、家に仕送りをして、弟妹の学費を払ってもおつりが出る額だった。
「そ、そんな!これ以上ご迷惑をおかけすることは…!」
できません、と言おうとするのを遮るようにグスタフさんはにこにこ笑った。
「迷惑なんかじゃない。これは私の都合だからね。君みたいな働き者が来てくれたら、ウチも助かる。先に言っておくと、仕事は結構大変でね」
そりゃあ、個人経営のお店だ。忙しくて目が回るほどに違いない。
「朝は5時起き。そこから厨房と店内を掃除して仕込み。お昼時は息つく暇もないほど忙しいし、夕方も言わずもがな。皿洗いとホールと精算。8時に店を閉めて、掃除して、次の日の分の仕込み。寝るのは10時ごろになるだろうね」
うん?ちょっと待って。けっこうホワイトじゃない?ごはんも出て、風呂にも入れて、洗濯もできて、7時間睡眠。休みは週二日。お給料は日雇い労働一ヵ月分など比にならないほどの額。
「だから、無理強いはしないけど、来てくれたらうれしいよ」
そう言って笑うとグスタフさんはまたルイの頭を撫でる。
こんなに良い条件をまるで悪いことみたいに話すのはきっと、ルイに負い目を感じさせないためで、それを断るという選択肢はルイにはなかった。
「ぼくで良ければ、どうか、よろしくおねがいします…!」
「君がいいんだ。どうか、よろしくね。」
それで、ルイはコントルノで働くことになった。
ルイのほかに料理見習いは二人。二人とも20歳半ばで、料理の腕はピカイチ。
店の開店資金が溜まるまでの間働いているヒューさんと、王宮料理人を目指すレンさん。
二人とも、料理にいたって真摯で、努力を怠らないすごい人だ。
ルイはよく叱られるが、皿を割ってもカトラリーを落としても水をこぼしても、怒る前に一度ルイの頭にぽんっと手を置き、まず「ケガはないか」と聞く。
まかないは大抵二人のどちらかがつくってくれるのだが、限られた材料で想像もできないほどおいしいものを生み出す。コントルノで働くようになってから、ルイはぐんぐん背を伸ばした。あまりガタイは変化しなかったのだが…。
そんなある日、店に四人の女性たちがやってきた。一人はルイの弟妹と同じくらいの年のようで、オムライスを注文した。おいしそうにパクパクとスプーンを運ぶ姿が故郷の弟や妹の姿と重なる。
四人の女性たちの中には自分と同い年くらいの子もいた。服装的におそらく冒険者だろう。
その中に故郷の幼馴染の子と似た緑がかった髪色を見つけて、
不意に懐かしさを感じて、ルイは目をこすった。
(いかん、末期だ…。)
「おーい!ビーフカレーあがったぞー!」
「「カレーあがりましたー!」」
「はい!ただいま!」
ルイは人知れず気合を入れなおすと、まだまだ賑やかな店内を縫うように歩いて、厨房に向かった。
*
「ルイ、年の暮れ、ウチは毎年店を閉める。ヒューとレンは実家に帰るそうだが、君はどうするつもりだい?」
大分仕事に慣れてきて、今では失敗することもなくなり、少しは店の役に立てていると思えるようになったある日、グスタフさんに呼ばれたルイは、年末の予定を聞かれた。
冬の厳しい寒さの中で、コントルノの客は途絶えることなく、そろそろ年越しのカウントダウンが始まる頃だからだろう。
「金もないですし、暮れは料理の勉強して、日雇いの仕事、探します」
「……そうか。わかった」
グスタフさんはそれだけ言うと、もう戻っていいよ。ありがとう、とルイを部屋に返した。
だから、彼が何かを考えこむように口元に手を当てていたことを、ルイは知らない。
次の日、相変わらずの忙しさの中、ジャガイモとタマネギとニンジンの皮をむき、キンと冷えた水で皿を洗って、精一杯の笑顔で客を席に案内し、出来立ての料理を丁寧に運ぶ。間違いのないように会計をして、空になったグラスに水を注いで、また料理を運ぶ。
そうこうしているうちにあっという間に閉店時間になり、ルイは残って仕込みを終え、厨房とホールを丁寧に掃除する。火の元と戸締りを確認して、さあ帰ろう、と二階に向かう階段を上る。
自分の部屋の扉に、何か貼ってある。
メモと、小さな封筒。
メモを開くと、グスタフさんの丸文字で「ルイへ、今月のボーナスの代わりです。年末くらいゆっくりしなさい」と書かれており、封筒を開けるとルイの故郷への汽車の往復分の切符が入っていた。
「グスタフさん、僕もうボーナス、いただきましたよ」
ルイはちょっと潤んで震えた声に自分でもびっくりしながら、何とか口角をあげてグスタフさんにひとりごとのようにツッコむ。今月のボーナスは先週にもう現金支給されている。つまり、これは完全にグスタフさんの自腹。
「ありがとう…、ございます…」
ルイはその切符を額に押し当てると、ぐーぐー、と、わざとらしいいびきが聞こえてくるグスタフさんの部屋の扉に向かって、深々と頭を下げた。
*
汽笛が鳴り響いて陸蒸気が去っていく。
ルイの目に映るのは、一年ぶりに帰ってきた故郷の姿。
離れていたのはたった一年のことなのに、ずいぶん久しぶりに感じる。
「…ただいま。」
ルイは駅から見える海と、その反対側に位置する森に向かってぽつりとつぶやいた。
「ただいまー」
家の引き戸をガラガラと開けてルイは家の中に呼びかける。
鍵は開いてたし、誰かは居るんだろうが、返事が返ってこない。
そおっと中を覗いてみると、不意にダダダダダッ子どもが駆ける足音がする。
「にいちゃん!にいちゃんだ!おかえりなさい!」
「…ほんとだ…!」
そう言ってルイの足に抱き着いてきたのは妹のビアンカと弟のライモンドだ。
「おー、背が伸びたなあ…。元気してたかー?」
「うん!」
「(コクリ)!」
ルイは微笑んで二人の頭を撫でる。少し見ない間にすくすくと育ったようで、最後に見かけたころより目線も上がり、髪も伸びたようだ。ビアンカはとろんとした二重瞼が可愛らしい少女に成長しており、ライモンドは寡黙で硬派な感じになった。
二人とも、子供たちの間じゃあモテてるんだろうなあ(兄バカ)
「おかえり、ルイ。二人とも、ルイがウチに上がれんだろ。どいておあげ」
呆れたような顔で出てきたのは母のケリーだ。一年前より顔色もすっかり良くなっていて、ルイは安心する。
「ただいま、母さん。体調は?」
「おかげさんで、元気だよ。ほら、上がりなさい。父さんがはりきってあんたの好物ばっかりこさえてるんだ。まったく、浮かれてんだか何だか知らないけど、なんとかしてやって。あれじゃあ、居間が料理で埋まっちまうよ」
ルイは台所の暖簾をくぐる。
流しの前には調理服に腰エプロン姿の父の背中。
柔らかな陽光の降り注ぐ台所。ルイは不意に懐かしさを感じて目をこする。
「父さん、帰ったよ」
「おう、おかえり」
父、レナウドは振り向くとにかっと笑い、これ居間にもってけ、と言ってルイに漬物の入った器を手渡す。
居間に入ると座敷には大きな食卓が置かれ、その上はところせましとみっちり料理で敷き詰められていた。ふかふかの卵焼き、お稲荷さん、ほうれん草のおひたし、枝豆ごはんのおむすび、ブリ大根、煮物、揚げ出し豆腐、おはぎ、からあげ…、全部ルイの好きなものだ。
「そこにお座り。ほら、ビアンカとライモンドも!座って早くお食べ!」
母が取り皿と橋をルイの前に置く。
「いただきます…!」
「いっただっきまぁす!」
「…いただきます」
三人の声が揃って居間に響く。ご馳走に全員瞳をきらっきらさせているのを見て、ケリーといつの間にか台所からこちらに来たレナウドが微笑んでいた。
「そういえば、あんた、もうリンには会ったのかい?」
リンというのはルイの幼馴染の少女だ。リンの一家がウチの店の常連だったこともあり、物心つく前から何をするにも一緒だった。
「ううん。まだだけど…」
「手紙も寄こさないで…。リン、この町では評判の別嬪さんだってこと、忘れてんじゃないでしょうね。あちこちから縁談やら求婚やらが舞い込んでるって専らの噂だよ。うかうかしていて、誰かに横から搔っ攫われても知らないよ」
「母さん、リンとはそんなんじゃないよ…」
そう。リンはものすごい美人だ。そのうえ、勉強もできて、気立てもよくて、いつも笑顔でくるくるとよく働く。実家のケーキ屋の看板娘で、店は連日長蛇の列ができるほどの人気。リンの家のケーキはほっぺたが落ちるほどうまいが、最初に店に惹かれる理由の一つはやはり、リンの「いらっしゃいませ!」だと思う。
そして、大体お察しのことと思うが、ルイはリンのことが好きだ。きっとずっと好きだったのだろうが、自覚したのは一年前だ。ルイが王都に行くことになって、リンと離れることが決まって初めて自分の気持ちに気付いた。
気持ちを伝えることはしなかった。町を離れる前に言うなんて、失敗しても逃げ道があるようで嫌だったし、万が一成功したとして、待っているのは超遠距離恋愛だ。「一人前になるまで待っていてくれ」なんて男側の都合だ。身勝手に好きな人を振り回したくはない。
それにルイは自分が女性に振り向いてもらえるような見目だとは思っていない。
眠そうな目に、跳ねた髪に、あまり動かない表情筋。女性が惹かれる要素などどこにあるというのだ。ドン引かれる要素ならありそうだが。
という言い訳のもと、結局はフラれたらと思うと怖くて言い出せないだけの臆病で情けない自分が一番、ルイは嫌だった。
それにもう、リンも結婚して身を固める年齢だ。お付き合いしている人の一人や二人(?)いるだろう。後悔しても、もう遅いのだ。完全に自分のせいなんだから、潔くあきらめて仕事に生き…
「なに言ってんだい!リンは来るやつ来るやつ全部断ってるんだよ!うじうじ言ってないで、さっさと会いにお行き!」
母に一喝され、あれよあれよと座敷を追い出される。
「ついでにケーキ買って来んさい。私はチーズケーキを頼むよ」
「にいちゃーん、わたし、ショートケーキがいい!」
「ミル…フィーユ…」
「俺ぁガトーショコラってぇのがいいなあ」
みんな思い思いのケーキをリクエストしてくる。どうあってもリンのところに行くしかなさそうだ。ルイはあきらめてからあげを飲み込むと、財布を持って家を出た。
うわ、今日も行列、なっが!しかも半分くらい野郎じゃないか。
ルイは店から三件先まで続く人の列を見てげんなりとする。
リンは店先で忙しそうにケーキを箱詰めして、「いらっしゃいませ!」「どのケーキになさいますか?」「ありがとうございました!」とにこにこ接客している。
リンに笑いかけられた男性客が鼻の下を伸ばしているのを見てイラっとした気持ちが沸き起こるが、ルイがそんな気持ちになる筋合いはない。とりあえず列に並ぶことにした。
順番を待つ間、ルイはずっとリンのことを考えていた。
一年ぶりに彼女を見たが、相変わらず…いや、以前にもまして綺麗になった。
スレートグリーンのつややかな髪は少し高めの位置で括られ、雪のような白いうなじがそっと露わになっている。優しげな翡翠色の瞳はきらきらと輝き、桜色の唇に男どもはくぎ付けだった。
白いシャツにベージュのエプロン。それ越しにもはっきりとわかる、細い腰と豊かな胸。
彼女に「お持ち帰りでよろしいですか?」なんて聞かれたら、全員リンを持ち帰りたくなる。
リンは初等学校の頃からそれはそれはモテていた。しかし、男女隔てなく、だれにでも優しいので女子から嫌われるということもなく、高嶺の花というか、手の届かない存在というか、そういう雰囲気があった。
…みんなの前では。
リンは、ルイの前では思いっきり気を抜いていた。幼馴染だから今更隠すようなことなどない!と豪語し、ルイと外で遊びまわって、ルイの家の店で晩御飯を食べる。あの小さくて細い体のいったいどこに入るのか、というくらい、おいしそうによく食べる。ルイの前ではいつもダボっとしたトップスにジーンズだったし、髪も下ろしてルイの部屋のソファでごろごろして、「コンピューターも、こわい上司も、残業もない世界…。すばらしい…」とか変なことを呟いていた。ザンギョウってなんだ。
なんというか、なついた猫みたいというか…。
でもやっぱり性格はおんなじで、だらけていてもルイの両親の店が始まる夕方になると、起き上がってルイの両親を手伝いに行く。ルイが何かすれば、必ずありがとうというし、散らかすけどちゃんと掃除するし、勉強は努力タイプだし、よく笑うし、食べ方はすごく綺麗だ。
容姿端麗、品行方正、才色兼備なリンももちろん可愛いし好きだが、取り繕わないルイの前でのリンの方がもっと…
「いらっしゃいませ!」
そうこうしているうちに順番が来たようだ。リンの風鈴のように涼やかで可憐な声が近くに聞こえる。
「次の方、ご注文はいかがなさいま…」
そう言おうとして顔をあげたリンがほけっと口を開けて固まった。
丸い大きな瞳が見開かれて、じっとこちらを見ている。
「…ただいま」
すこし気まずくて、ルイはヘラっと笑う。慣れない筋肉を使ったから、引き攣ってるかもしれない。
「えーっと、チーズケーキとショートケーキとミルフィーユとガトーショコラと、それから…」
「ティラミスでしょ」
リンはルイの注文を遮るように言う。
「すごい、なんでわかったの?」
「何年一緒にいたと思っているの!?ルイの気に入ってるケーキくらいわかるわよ。というか、今までどうしてたのよ!連絡ひとつ寄こさないで!わたしがどれだけ心配したと…」
そこまで言ってから、今は仕事中だったことに気付いて、口をつぐむリン。
「とにかく、ケーキを家に持って帰ったら、戻ってくること。そのころには私ちょうど休憩だから。あ!ティラミスはうちに取っておくから。一緒に食べよう!私は…」
「フルーツタルトだろ」
「なんで知ってんのよ」
「……何年一緒にいたと思ってんだ」
ルイはしれっとそう返すと、箱を受け取って家に戻った。
*
ふたたびリンの家を訪ねると、裏の勝手口からリンの母のエリザさんに手招きされた。
こちらから入れということらしい。
家に上がるとリンの部屋に案内される。
「扉は開けとくのよ!うふふ」と楽しそうに言われたが、心配(?)しなくても、何も起こらないっすよ、エリザさん…。
「ルイ!いらっしゃい!ケーキ、持ってきてあるよ。お茶も冷やしてあるから。座れ座れー!」
中からリンがぴょこんと顔を出す。
リンの部屋は不思議だ。繊細な紙細工で飾られ、壁に掛けられた一輪挿しには毎日違う花が生けられている。静かで、どこか落ち着くリンの部屋は、幼いころから何度も来ている。今更ここで何か変なことしようとか思わない。
二人でケーキを食べながら、近況を話す。リンは最近ケーキの売り上げがいい、とか、ケリーさんたちも元気そうでよかった、とか、近くに住み着いた猫が赤ちゃん生んだとか。ルイはグスタフさんやコントルノのことを。二人して飽きもせず小一時間くらいそうしていた。
だからきっと、こんなことを聞いてしまったのは、魔が差したのだ。
「リン、なんで縁談とか、断ってるんだ?高収入のイケメンとか、地方騎士団のメンバーとかからも来てるんだろ?お前、美人だし、性格もいいんだから、お付き合いとか…」
リンは何とも言えないような複雑そうな表情を浮かべて、ヘラっと眉下げる。
「ルイ、」
「ん?」
リンが何か言おうとするように口を開いて、閉じる。
長いまつ毛がふっと伏せられる。
「……なんでも、ない。
あはは!心配させちゃってたみたいだね!大丈夫!
私、好きな人がいるんだ。その人は、ちょっと寡黙で、でもすごくカッコよくて、小さい頃からいろんな女子を無自覚に恋に落としてたような人でね。優しくて、家族のために一生懸命に働くすごい人で、ずっと好きなの。子供のころから」
聞かなきゃ、よかった。
どうして僕はこう、いつも自分から墓穴を掘るんだろう。
そんな奴、かなうわけない。今からじゃ追いつけない。しかも子供のころからなんて、最初から勝ち目なんてなかった。リンが縁談を断ってるって聞いて、もしかしたらと期待した。
なんて浅はかだったんだろう。
「そう…なんだ…。リンなら大丈夫だよ。がんばれよ」
ボロボロの内心を隠して、何とか笑顔をつくる。
しかし、そのルイの言葉を聞いて、リンは傷ついた顔をした。
絶望したような、やっぱり、というような、そんな顔で、俯く。
「…ル……だよ」
「え?」
俯いたままのリンの口から放たれた言葉は
あまりに小さくて聞き取れず、ルイは聞き返す。
「ルイのことだよ!!!!!!」
顔をあげたリンは泣いていた。
ルイは何も言えなかった。
何か都合のいい幻聴が聞こえたような気がしたが、勘違いだろう。
「その顔…、やっぱり私のことなんて、何とも思ってなかったんでしょ!王都に行く時だって、一言も言わずに行っちゃったし!手紙も来ないし!」
「は?え?」
「勝手に期待して、バカみたい…。はあ、来てた縁談、見てくる。フラれたんだし、もうこだわる理由もないわ」
「ちょっ、ちょい待ちっ!」
ルイは慌ててリンの手首をつかむ。
信じられないことだけど、聞き違いとか、勘違いとかじゃなければ、これは…、
「なによ。放して」
「リン、僕のこと、好き…なの…?」
「だから、そう言ってるじゃない…!これ以上えぐらないでよ!
ルイに妹ぐらいにしか思われてないことくらい、薄々わかってたんだから!」
「……ゆめ…?」
「つねって差し上げましょうか」
「やめろ馬鹿力」
ルイは自分で自分の頬を思いっきりひぱって見たが、ちゃんと痛い。
「な、なんで!?リンが言ってたことと全然違うじゃん!」
「違うなんてことないわ!ルイは、本当にかっこいいのよ!初等学校の時だって、高等学校の時だって、あんたの眠たげな目とふわっふわの髪が、かっこかわいいだの和むだの、どれだけの女子があんたに気があったと思っているの!?前髪切った子に「短いのも似合うね」ってナチュラルに褒めて、足をくじいた子を迷いなく保健室まで負ぶって、料理もできて、クッキーとか受け取るの断らないし、おいしいねとか恥ずかしげもなく言うし!わたしがどれだけ気が気じゃなかったか!どうせ、王都でもモテモテなんでしょう!お姉さんから連絡先の書かれた紙とか、受け取ったりしてるんでしょう!?」
「いや、クッキーは余ったからってもらったものだし、おいしいねっていうのは礼儀というか…。その子を褒めたのは、髪型がちょっとリンに似てたからで…。負ぶったのは…、歩けないっていうから…。
連絡先の書かれた紙だって、お店の料理が気に入ったからだって言ってたし…」
「それは怪しまれないための口実よ!そのあと料理に関する連絡なんてなかったでしょう!?」
たしかにそのお姉さんからは、ルイの出身地とか、彼女の有無とか、そんなことばかりだった。
こわかったので答えていないが。
「た、たしかにそうだけど…。そんなことより!何で来てた縁談見に行くんだよ!ぼくは…?もういいの?」
「あんたがふったんでしょうが!なにが「がんばれよ」よ!」
「ふってない!」
「え?」
「僕も、リンが好きだ!でも、リンは、きっといい人がいっぱい現れる。僕が「待っててほしい」なんて、縛るような、無責任なことなんて、言えないだろ!?それに、僕は自分に自信がない。リンを絶対に守ることは決めてるけど、それが僕でいいのかは…わからない……!」
リンはしばらくルイの顔をまじまじと見ていたが、やがて「しょうがないなぁ」と言わんばかりにふっと笑うと、一拍置いて言う。
「私は、ルイが、いいんだけど」
ルイは両目を瞠る。
なんて、すごい人なんだろう。一瞬で、僕の不安も焦燥も消し去って、迷いなく僕を選んで、長いこと会っていなかったのに、まるで僕の悩みなんか、敵ですらないみたいに、僕の欲しい言葉をくれる。
「リン、キスしていい?」
「へぁ!?だ、だめ!」
「なんで?」
「い、今、ケーキ食べたばっかり…。」
「問題ないね」
「ま!待って!ちょっとまっ…」
「待たない」
ルイはリンの制止の声を無視してリンの柔らかい唇にキスをする。
リンはしばらく手をわたわたさせていたが、やがてルイのシャツをギュッと掴む。
リンの唇の甘さを堪能しすぎて、ちょっと長くなった。
唇を離すと、リンが恨めしそうにこっちを睨むが、真っ赤な顔と、とろりとした潤んだ瞳と上目遣いというトリプルコンボのせいでまるで覇気がない。
あんまり意味がないし、それではルイを煽るだけなので、やめた方がいいと思う。
「…舌は、入れてないよ」
「わかってるわよ、それくらい!これだから無自覚は…。いつもあんなに弱気なくせに…」
リンがなにか呟いたが、小さくて後半はよく聞こえなかった。
「弱気」とか言ってたので、ツンデレの入った悪口かもしれない。
「リン、僕が一人前になってここに帰ってきて、ウチの店を継いだら、
結婚しよう」
「ひゃうあ!」
「…だめ?僕じゃ、信用できない?」
「そうじゃないわよ!急で…びっくりしただけ…!」
「じゃあ…」
「うん。待ってる…!うれしい…」
リンはこの世の幸福をすべて凝縮したつぼみが花開くように、笑う。
ルイはぎゅーっとリンを抱きしめて、ルイより低い肩に顔をうずめた。
「あら!あらあらあらあら~!!」
不意に後ろから声が聞こえて、ルイとリンはばっと部屋の扉の方を見る。
立っていたのはにこにこ満面の笑みを浮かべたエリザさん。
「扉、開けておいて正解だったわねぇ~」
うふふふ~と、からかうような視線を向けてくる。
このことを結婚式までネタにされるのだが、それはまた別のおはなし。
*
――カランカラン
「グスタフさん、父と知り合いだったんですね」
ルイは暮れの里帰りののち、またコントルノに戻ってきて、開店前の誰もいない店内で朝の珈琲を飲みながら話していた。そろそろヒューさんとレンさんも来る頃だ。
「ああ、昔ちょっと…ね。お前の息子さんを拾ったぞって手紙を書いたら、えらく動揺した手紙が送られてきたよ。文面が混沌だった」
アハハ、と思い出したように笑って、グスタフさんはコーヒーカップを口から離す。
飲んだら噴いてしまうことをわかっているのだろう。というか、既にもうちょっとむせている。
「それで、年末手前の繁忙期に手紙が送られてきてね。ルイの好きな幼馴染の子が色狂いの男爵家のおバカご子息に見初められたらしいと。縁談の話が来たら断れないから、その前に二人の想いを成就させてやりたいと。二人が両思いなのは傍から見たらバレバレだったらしいから」
ルイは顔を赤くして下に目線を逸らす。
「ルイが年末帰らないって聞いたときはどうしようかと思ったけど、丸く収まったようでよかったよ」
「ご心配をおかけして…」
ルイは知ってる。そのことがなかったとしても、グスタフさんは切符を用意してくれるつもりだった。一ヵ月以上前、レンさんがグスタフさんから「僕の机から書類を持ってきて」と頼まれて机の引き出しを開けたら、ルイの故郷への往復切符があったらしい。
「結婚式には呼んでね」
優しい、慈しむような声が掛けられて、ルイはぱっと顔をあげる。
するとグスタフさんがにやにやしていた。
「もちろん…です…」
気恥ずかしさから後頭部をガシガシっとしてから、ルイは答える。
ルイは知らない。
ルイが顔をあげる前の一瞬、グスタフが、目に浮かんでいた塩水をさっと拭っていたことを。
「はよざいまーす!ヒュー入りましたー!」
「レンも来ましたー!」
先輩たちが出勤してくる声が聞こえてきた。
朝日が街を照らし、王都に一日の始まりを告げる。
洋食屋「コントルノ」
その店で、君はすべての悩みから解放されることだろう。
その一皿が、君の背中をそっと押すことだろう。
このドアベルを鳴らした全ての人に、どうか数多の幸あらんことを…
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
作者は飛び上がるほどうれしいです。
心からの感謝をこめて。
櫻羽ひろ