湯朝は何でも知っているのに……
今になって考えてみるとあれ可愛いと思う側面を言うというより、完全に暴露大会になっていた言わざるを得えんだろう。
そりゃ楓夕のご機嫌もナナメになるというものである、帰ってる間一言も口をきいてくれなかったし……。
「が、この程度で諦めていては幸せな夫婦生活など水平線の遥か彼方」
俺は紙袋の中にはいった詫びの品々にちらりと目線を送ると、雨夜家のインターホンを人差し指で押した。
「誠意とは、気持ちではなく現物だと偉い人が言っていたしな」
いや、現生だったかな、まあどうでもいいか。
因みに俺と楓夕は同じマンションに住んでいる。湯朝家が8階で雨夜家が9階、しかも見事に上下の部屋に住んでいるのだが図った訳ではない、らしい。
「はいはいはーい、どちら様ですかー? ――あら? あらあらまあまあ! 誰かと思ったらやっくんじゃない!」
すると実に陽気でハイトーンなボイスで玄関扉から姿を表したのは楓夕ではなくその母親である美紀さんだった。
「あ、こんばんはお姉さん、お久し振りです」
「やだお姉さんなんて、相変わらずやっくんはおべっかがお上手ね~」
美紀さんはぱあっとご機嫌な笑みを見せると俺の肩をぽんぽんと叩く。
随分な言い草だと思われるかもしれないが、美紀さんは年の割に楓夕と姉妹なのかと思うレベルで若く綺麗なのだ。
なので俺からするとおばさんと言う方が違和感がある、まあ喋り方だけはおばさんっぽいなぁと思ってはしまうのだが。
「あ、すいません楓夕は今いますか?」
「ええ勿論いるわよ、ちょっと待ってね――あら?」
「何の用だ貴様」
すると美紀さんの後ろに隠れて見えていなかったが、彼女が横にズレると鋭い目つきでジロリと俺を睨みつける楓夕が姿を現した。
「もー楓夕ってば! 相変わらずあなたって子は――」
「えーと……その、何というか、少しお話がありまして――」
「……入れ」
今から婚前挨拶でもするのかと言わんばかりの物々しさを醸し出す楓夕だが、ぷりぷりと怒る美紀さんのお陰でそれが緩和されてしまう。
ホント、この人は緩いなぁと思いつつ一礼をすると家の中へとお邪魔。
間取りは全く一緒な筈なのに、家具の配置が違うだけでまるで別世界だなあと思っていると、楓夕は廊下右手にある部屋へと入っていく。
「……あれ?」
確か楓夕の部屋に入ったのは小学生以来のことではあるが、その時は入って左手の部屋だったような……。
部屋を変えたのかなと思いつつ、そのまま後ろについて中へと入ると――そこは鬱蒼と荷物が犇めき合うとても彼女の部屋とは思えない場所だった。
「え……こ、これは……?」
「貴様用の面会室です」
「獄中にでもいるのかな」
いや待て、そもそも楓夕の部屋に上がらせて貰うこと自体が烏滸がましいんじゃないのか? 彼女だって年頃の女の子なのだ、いくら許嫁といえ自分の領域に男を踏み入れさせられるのは憚られるに決まっているではないか。
危ない危ない……俺としたことが楓夕の配慮を見逃すとは、家に上がらせて貰えるだけ有り難い話だろうが俺よ。
「いや……感謝痛み入るぞ、楓夕殿」
「本当に痛み入ってもいいのですが」
「……物理的に?」
いやー手厳しい楓夕たんも可愛いなぁ、と思いつつ俺は紙袋の中からまずプリンを取り出すと、それを彼女に手渡した。
無論コンビニ等の大量生産ではない、牧場が作っているお手製の奴で、これが中々地元では美味しいと評判なのだ。
そして俺は楓夕がこのプリンをご機嫌に食べる姿を親戚の集まりで目撃していたのである……ふふふ、さあどうだ楓夕よ。
「こちらが詫びの品でございます」
「……? よく分からないですが、頂きましょう」
あれ、もっと顔に変化が出ると思ったのに、普通の反応だな……。
もしかして今はもうそんなに好きじゃなかったのだろうか……――ふっ、だがこれならどうかな……? と俺は袋からもう一つ取り出した。
「! これは……」
「そう……あの猫のぬいぐるみだ」
楓夕が猫好きなのは言うまでもないのが、残念ながらウチのマンションはペット禁止となっている為飼うことは出来ない。
だから彼女はよく動画を見てそれを紛らわしていて、中でも鞄に付けている程お気に入りなのがこのまんまる太った三毛猫のキャラクターなのである。
しかもそれがぬぐるみと来たもの――無論そんなものはすぐ用意出来る筈もないのだが、実は俺も好きなキャラで最近購入していたものだったのだ。
さあ、これは流石に効いたんじゃないのか……?
「…………」
「あれ……もしかして、お気に召しませんでしたか……?」
「いや――そういう訳ではないのですが……どうして貴様がこんな詫びと称してこんなものをくれるのかが理解及ばないので」
「へ? それは……今日の雨夜先生との事で怒らせてしまったから――」
「……? ああ、あの事ですか、別に本気で怒ってはいないのですが」
「はい?」
全く考えもしていなかった楓夕の言葉に俺は面を食らってしまう――いや、でもあの時殺すって言いましたよね……?
「確かに多少の不服があったのは事実ですが、あれは私も貴様に問うたことなので、四肢を引き裂いて校庭に掲げる程では」
「そのつもりだったなら怖過ぎるやろ……」
「まあお互い様という奴です。それにあの時点で謝罪はありましたし――」
なんだ杞憂だったのか……、あれ? でもそれなら楓夕何で帰り路の間あんなに無口だったんだ……?
「それにしても……貴様という奴はどうしてこう――」
「え?」
「……いや何でもない、その、あ、ありが――」
楓夕が何かを言いかけた途端、彼女の耳が僅かに紅潮する。
どういうことだ……? 怒っていないと言っているにも関わらず、赤くなっている……だと……? ま、まさかこれは――
「――フンッ」
「えっ?」
「きゃあっ!」
あまりにも一瞬過ぎる出来事に俺の思考がパタリと停止する。
――だがどうやら楓夕が持っていた三毛猫のぬいぐるみを、唐突にぶん投げ、それが俺の頬を掠め背後の扉に激突、その音で扉の向こう側にいた人間が悲鳴あげた……ということだった。
「盗み聞きとは感心しませんね……」
「あ、あらあら……バレちゃったかしら……楓夕」
「今日は夕飯抜きなので覚悟して置いて下さい」
「ええ~……! そ、そんなー……」
そして姿を現した母親に対し黒いオーラを全開にして睨みつける楓夕。
いや、確かに盗み聞きは良くないけど、その台詞は楓夕が親に対して使う言葉ではないだろ……家庭でもそんなヒエラルキーなの……?
にしても……楓夕の耳が赤くなったのはそういうことだったのか……くそう、もしかしたら何かチャンスを掴めたと思ったのにな……。
「全く…………もう……」