楓夕がはしゃぐだけのお話
「貴様、何をグズグズしている、早く来い」
楓夕は俺の隣をぱっと抜け出すと入り口に向かって一目散に走り出し、手招きをして早く来るよう促した。
「焦らなくても猫は何処にも行かないって」
「ならば全世界の猫を触れる保証があるとでも」
「全部触るつもりでいたのか……」
電車を乗り継いでイベントホールまで一時間程は掛かったとはいえ、まだ時間は十時くらいなのだが、楓夕は撫で尽くすつもりでいるらしい。
正直俺もデートと意識すればする程緊張しまくり、やはり今回もまた眠れなかったので少し疲れがあるのだが――
「ん? ――……いやそうだな、全力で猫を愛でるとしよう」
「さっきからそう言っているのです、さあ早く」
楓夕の目にもうっすらクマが浮かんでいるのに、そんな悠長なことは言ってられない、俺もこのデートを全力で楽しんでやろうじゃないか!
○
「はわわぁー……」
そうして支払いを済ませ会場へと入り、ケージで仕切られたとあるエリアに足を踏み入れた楓夕は、周囲見渡すなり妙な声を上げた。
「にゃ、にゃんにゃんしかいない……」
「にゃんにゃん……?」
「あっ、わっ、はっ……ど、どれから触ればいいんだ……」
最早俺のことなど見えていないのか、尻尾を追いかけ回す犬みたくぐるぐると回転しながら周囲の猫に翻弄される楓夕。
可愛いけど、このままでは何も触れずに終わるんじゃないのかと危惧した俺は、すぐ側のキャットタワーでくつろぐ猫に取り敢えず近づいてみた。
「ちっちゃくて丸っこい奴だな、てろてろの耳で――お、意外と大人しいんだな、撫でても全然逃げない」
「む――? おふ……マンチカンだな、貴様中々お目が高いぞ」
「そういうのがあるのか……?」
「いや猫は全て可愛いのですが、この子は比較的人懐っこくて優し――はわー!」
楓夕が完全に壊れている……まさかこんなに針が振り切った彼女を見る日が来ようとは……。
「よしよし……お前は本当にお利口さんですね、お菓子か? お菓子が食べたいのですか? はいどうぞ」
予め入る前に買っておいた猫用のお菓子を楓夕は差し出すとマンチカンはそれをパクリと食べる。
「美味しいか? 美味しいのですか? あーペロペロなんかしちゃって」
「流石に猫に嫉妬はせんけども、凄いな……ん?」
すると楓夕のお菓子に釣られたのか、今度は違う猫がキャットタワーへと登ってくる。
「お? 三毛ちゃん! おにゃんちゃんもお菓子が欲しいか?」
おにゃんちゃん……?
「白、茶色に黒……ああ三毛猫か」
「この子は殆どがメスで、中々ワガママで気分屋なんだが、こういうイベントだと優しい子を連れてくるんだな、はぁん……」
妙に艶かしい吐息を漏らす楓夕に思わずドキリとするが、そんな俺など意に介さず楓夕はその三毛猫にも餌を与え、頭を撫でる。
「こういう楓夕は何というか……目に毒だな、楽しんでくれているのなら何よりだけど――――お?」
そんな楓夕を少し遠目に見守っていると、いつの間にか俺の横に青毛に緑の目が特徴的な猫がちょんと座っていることに気づく。
「なんだお前、あそこの丸っこい奴とは違ってスレンダーだな、ちょっと楓夕にも似て……お菓子食べるか?」
しゃがんでお菓子を与えると手から食べてくれる。すると何故かその猫は食べ終えるとすっと俺の身体に自分の身体を擦りつけてきた。
「お、おいおい……可愛い奴だな……」
「それはロシアンブルーですね。飼い主に忠実な反面、ボイスレスキャットと呼ばれるくらい物静かで臆病だったりします」
「うおっ! ふ、楓夕いつの間に……」
「故に飼い主にしか懐かない性格なのですが、随分と貴様に懐いているのですね、羨ま――珍しいことです」
「ふうん、そういうことならもっとお菓子を――おっと」
そんな話をしているとロシアンブルーは今度は俺の膝の上に乗ってきて、何やら両前足で俺の膝をぐいぐいと押してくるではないか。
なんだなんだと思っていると、目を見開いた楓夕が俺を指差してこう言った。
「ふみふみ!」
「はっ? ふ、ふみふみ……?」
「猫の愛情表現の一種です……き、貴様一体その猫に何をした……まさかちゅ~るか、ちゅ~るをやったのではないのですか」
「い、いやお菓子だけだって――って、何か喉を鳴らして……」
「ご、ゴロゴロまで!」
「いや何なのその擬音の嵐は……」
「完全にちゅ~るで籠絡させたとしか思えません、この卑怯者めが……」
「ええ……」
正直ここまで楓夕の感情が目まぐるしく動くとは思っておらず、猫パワーには嬉しいやら驚きやらの連続なのだが、ワードが難解過ぎてついていけない。
でも確かに、それぐらいの魅力を秘めている動物ではあるよな、まあ楓夕には負けるけど、と思いつつロシアンブルーを撫でていると忙しない楓夕は何かを察知したのか急に反対側を振り返った。
「マンチカンの赤ちゃん触れ合いゾーンだと……?」
「へ? ああ、赤ちゃん猫とも触れ合うことが出来るんだな」
「ここを離れるのは非常に名残惜しいが……あんな短足の赤ちゃん猫に触れる機会など滅多にありません、行きますよ」
「あ、おい楓夕、待てって」
最早暴走状態の楓夕に、俺は抱きかかえていたロシアンブルーを降ろすと頭を撫でてから慌ててその後を追いかける。
それにしてもここまではしゃぐとは……ただ終始口角が上がっている所を見ると、楓夕本当に楽しんでくれているのだろう。
しかしこのまま楓夕テンションは保つのか心配だな……。まあ可愛いから止めるつもりはないけども。




