楓夕を褒めてみよう
「ということでご教授願えませんでしょうか」
「はあ?」
雨夜先生は片手に持っていた電子タバコを落としそうになりながら、俺の言ったことに対し素っ頓狂な声を上げた。
「湯朝……それは私に言うことではないだろう」
「ですが楓夕との親交が深いのは先生しかいませんし……」
「そりゃ今でも普通に話はするが……」
雨夜先生こと雨夜紗希さんは楓夕の従姉妹に当たる人で、今は俺達が通っている高校の教師をしている。
昔から何度も顔を合わせており、面倒見が良く姉御肌な彼女は俺達の中でも優しいお姉さんという感じでよく遊んで貰ったものだった。
しかし、今は学校で会う以外では全く接点がない、何故かと言うと――
「私は勘当された身だからなぁ、それもあの前時代的な風習に対して首を突っ込むのはちょっとな……」
「そ、それはそうですが……」
実は雨夜先生、その許嫁に対して猛反発をした一人なのである。特にこれといった話があった訳でもないのだが、風習そのものに納得が行かなかったらしく、大学卒業と同時に家を飛び出し今に至っているのだ。
ただ楓夕の雨夜家は比較的寛容な為、特別嫌がらせを受けているとかそういう事はない、だからこうして今も普通に話が出来ているのである。
「……というか、湯朝は楓夕のことが好きなのか?」
「え? ええまあ、好きですよ、普通に」
「……マゾだな」
「なんてこと言うんですか」
まあ確かにラブというよりはライクの側面の方が強いのは否めないかもしれないが、彼女は別に毒ばかり吐くような人間ではないのを俺は知っている。
だからそういう所にラブの要素を感じたりもするのだが、それは長い間楓夕といた俺だから分かることとも言える話かもしれない。
「ふむ……しかしそうか、それは意外だったな」
「俺が楓夕のこと嫌いだと思っていましたか?」
「まあなぁ、昔は楓夕に言い負かされては泣いていたし」
「あの毒を小学生の時から言われているから分かりますが……とはいえ当時はあれに敵うだけの語彙を持ち合わせていませんでしたし」
寧ろあの毒針に打ち勝った小学生がいたのなら教えて欲しいくらいだ、俺に限らず一体何人の小学生が泣かされてきたことか……。
「だがあの牙城を崩すのは難しいぞ?」
「ですけどあの状態のまま結婚となったら楓夕が可哀想ですよ」
「ううむ……湯朝は彼女はいたことないのか?」
「いたらもう少し自分の頭で行動しますって、何なら楓夕が常々隣にいたものですから女っ気なんてゼロに等しいですし」
「それもそうか――そうだな、高校生の恋愛となればやはり『格好いい』所を見せると女ってのは一目置く所があるかもしれんな」
「格好いい……ですか」
成程……言われてみれば俺は常に楓夕の敗者として生きてきた側面があるが故、格好いい姿を見せられたことは一度も無いかもしれない。
「でも格好いい所を見せる機会って中々ありませんよね……」
「スポーツが出来るのが一番手っ取り早い話ではあるんだがな」
「それは無理のある話ですね……」
悲しい話だが敗者というのは単に口喧嘩に負けるだけでなく、スポーツ、勉学においても適応されてしまっているのだ。
となればそこに縋るのはあまり得策とは言えない。
「……そうだ。なら楓夕をもっと褒めてあげるというのはどうだ」
「褒める……ですか?」
「感謝を告げる、とでも言うべきか。あいつは何でも器用にこなす所があるだろ? そういうのって最初は良いがそれが当たり前になってくると中々褒められたり感謝をされなくなったりするもんだ」
……言われてみればそうかもしれない。楓夕はどんな場面でも淡々とやってのけてしまうのでいつしかそれが普通と思われている節がある。
俺自身がそう思うのだから、周囲は最早意識すらしていない可能性すらある。
「細かな所に気づいて褒めたり感謝されるっていうのは誰だって嬉しいもんだ。教師ですら中々出来る奴はいない、効果はあると思うぞ」
「……確かにあまり自分の口から素直に言ったことは無かったですね……よーし、そうとなれば早速、楓夕に――」
「私がどうかしましたか」
「イイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイッ!!!?!!??」
そう意気込んだ瞬間、背後から楓夕の声が聞こえたものだから俺は思わずその場から飛び上がってしまいそうになる。
「ふ、楓夕……何でここに……?」
「何でって……貴様が予鈴が鳴っているのにそこら辺の阿呆宜しく教室に戻ってこないから探しに来てやったんでしょう。あ、紗希さんこんにちは」
楓夕はそう答えると雨夜先生の方を向いて一礼をする。
あー……そういえばもう昼休みも終わりだったのか、うっかり話し込んで時間を忘れてしまっていた。
「――――いや、でも待てよ」
彼女はあくまで雨夜家のしきたりに則った行動とはいえ、わざわざ授業に遅れてはいけないと探しに来てくれたのは深く感謝すべきことだ……。
普段なら「悪い悪い」で済ませる所だが、今こそ素直に伝えなければ!
「楓夕!」
「……? はい」
「その……わざわざ探しに来てくれてありがとうな。本来なら俺が悪いだけだっていうのに気を利かせてくれて……」
「…………は?」
「え」
「中々どうして気持ち悪いので皮膚呼吸まで止めて貰っていいでしょうか」
「皮膚」
ええ……それ程でもないと思っていたものが、実際はその通りではなく、それどころか、思っていた以上で気持ち悪いってことなの……。
決して冗談で言ったつもりではないので、その返しにメンタルが軽く逝く。
いや……でもそれもそうか、今までそんなことを言っていなかった癖に急に言い出したらそりゃ気持ち悪い以外の何者でもないわな……。
これはただただ反省するしかない――だからこそ、これを第一歩として楓夕に好きになって貰える男にならなければ……!
「楓夕に幸せになって貰う為にも……!」
「何をブツブツ言っているんですか、死ね――じゃなくて行きますよ」
「そんな間違え方ある……?」
「おや……楓夕の耳……もしかして――? いや、まさかな」