楓夕は目を離して欲しくない
ふと冷静に考え見てみたのだが、俺は楓夕と同居をしているのだ。
いやあくまで楓夕は家から通ってきている形ではあるし、両者の家に親は不在なのだが……最近彼女は殆ど俺の家にいることが多い。
家に戻るといえば風呂か就寝時だけだろう、つまり起きている時間のほぼ全てを楓夕と過ごしている訳である。
「これはもう……同棲なのでは?」
つまり付き合っている男女が結婚を前提にやっている奴と考えて遜色はないのだ、なのに付き合っていないとはこれ如何なものか。
「だが未だに楓夕に好かれていない……」
あくまで許嫁として必要なことに彼女は則っているだけ、その点に関しては合格ラインに到達している筈、それは俺が一番よく分かっている。
「許嫁の枠を超えた愛……ね」
きっとこのテストの肝そこだろう、となれば是が非でも振り向いて貰わないといけないのではあるが……。
「…………」
楓夕のご機嫌が昨日からどうにも斜めなのは気のせいだろうか。
表面的に見れば全く以ていつも通りなのだが、どうにもそっけないと言うか毒針の数がいつもより増しているのである。
「どうぞ、葉を腐らせ、干からびさせた後熱湯に沈め抽出した汁です」
「紅茶……」
普段なら俺にだけ放たれる筈の毒針が紅茶にまで放たれているのは妙でしかない……いや間接的に俺が刺されているのか……?
「頂きます……うん、美味しいな、淹れてくれてありがとう楓夕」
「そうですか、では私も」
「…………」
ただ正直なことを言えば、この程度の毒針では歴戦の猛者である俺にはダメージなど無いに等しい。
故に俺が困惑しているのはそこではないのだ、俺が困惑しているのは――
「……ふむ、意外に美味しく出来るものですね、安い茶葉の癖に」
「……ええと」
「……? 主になる男があまり呆けた顔を見せるな」
いや呆けてみたくもなるわ。だって楓夕が隣に座っているんだぞ。
何を今更なことを、と思うかもしれないが、実は登下校以外の場、特に家においてはあまり彼女は俺に近づかないのである。
寧ろ不用意に近づくなオーラを出すくらいで、許嫁モードの時とそうでない時とメリハリははっきりとしている――だのに。
「不機嫌にも関わらず、距離は近い……これ如何に」
「? そういえば洋菓子がありましたね、準備しましょう」
「あ……おう、ありがとう――そうだ、テレビでも見るかな」
俺はわざとらしくそう言うとテレビの前にあるソファーへと席を移す。
こういう時、いつもの楓夕ならそのままテーブルの方に座り、何なら本でも読み出したりするのが、さて――?
「お待たせしました。牛乳と一緒に摂取すると異様に美味しい黄色の固形物です」
「カステラね、いやそれは最早毒ですらないんだが……」
「よいしょ」
すると、そんな雑談ですらない雑談が終わらない内に楓夕は三人がけのソファーの中央にさも当然の如く陣取った。
「おかわりをご所望でしたらいつでもお申し付けを」
「あ、はい」
やはり何かがおかしい……一体どうなっているんだ……?
決して悪い印象でないし、何なら俺は距離の近さに歓喜しかないのだが、不機嫌な様相がある以上下手に突っ込む訳にもいかない。
そのせいか、やきもきとした気持ちがぐいぐいと紅茶を進めていき、会話もないまま4杯目を飲み干した所でブルリと身を震わせた。
「悪い、ちょっとトイレに――」
「分かりました、では」
「えっ!?」
全く以て深い意味はなく、ただ純粋に小便をするだけなのだが、そう口にした楓夕の言葉に恐る恐る後ろを振り向いて見ると――
彼女は飄々とした表情で付いてきているではないか。
「いや……流石にトイレは大丈夫よ? 赤ちゃんじゃないし」
「では扉前でお待ちしています」
ええ……何でそんな事するの……? 小便している時に後ろに立って尿意を止めさせようとする奴みたいなことしないで……。
何がどうなっているんだ……? 後ろをついて回ってくる楓夕はそりゃ死ぬほど可愛いんだけど、こんな楓夕はあまりにも珍し――
「ん――いや、待てよ……」
まさかとは思うけど……そういうことなのか……?
「楓夕」
「――何ですか」
「今更言うことじゃないかもしれないけど――俺は楓夕だけだから」
小便しながら何いってんだお前ってのは承知の上だが、もしかしたら二宮さんの件で楓夕は許嫁として焦っているのではと思ったのである。
無論なんの他意も無いのだが、傍から見れば楓夕以外の女と話している姿など、許嫁の枠を超えた愛とは程遠い光景ではある。
まあ単純に嫉妬とか、そういうのだったら死ぬほど嬉しかったけど――しかし、疚しいことは無いとしっかりと伝えるべきだ。
だが――楓夕は、ふっ、と小さく笑うとこんな事を言うのだった。
「そうですか――――私も、貴様のことしか見ていませんよ」
「へ? ――!?」
お、おい……それってつまり――ま、まさか、りょ、りょうおも――?
「目を離していたらどんな失態を犯すか分かりませんので」
「ですよね」
まあ、そんなことだろうと思ったよ……と、思いながら俺はズボンを戻すと少しションボリした気持ちで休日に戻ったのだった。
ただ、やはり予想通りだったのか。その後の楓夕は完全にいつも通りに戻ってしまっていて、安心した反面酷くガッカリしたのではあるが――
耳の赤さが戻っていたのは、これ如何に。




