許嫁は今日も毒針を刺す
「おい貴様」
突然ではあるが、俺には許嫁というものがいる。
今の時代許嫁などあり得るかと思うかも知れないが、いるものはいるのだからどうしようもないというか、どうにもならない話ではあるのだ。
「楓夕、貴様じゃない、せめて湯朝と言ってくれ」
「おい貴様」
「一言一句直ってないなんてことある?」
というのも、楓夕の雨夜家と、俺こと湯朝安昼の湯朝家というのは、昔から深い結び付きがあるそうなのだ。
ただ――それこそ当時は地主だったからとか、そういう理由があったそうなのだが、今は裕福でもない至って普遍的な両家だというのに、何故かこの奇妙なしきたりだけは脈々と受け継がれているのである。
「貴様如きにもう学校に用はない筈です、帰りますよ」
「いや、まあ放課後だからね」
「普遍的な学生というものはここから部活動に興じるものですが、貴様はゴミ同然の帰宅部ですから下校以外の選択肢はない筈です」
「ゴミは言い過ぎだろう、勉学に励む帰宅部もいるというのに」
「では貴様が勉学に励んでいるとでも」
「い、いえ……」
「ゴミが」
「ええ……」
今更言うまでもない話だが、その許嫁というのが楓夕である。
だがこの女、この通り中々に口が悪いのである。
口調そのものは一歩身を引いた感じはあるのだが、いかんせん放たれるワードには一々険のあるものだから相殺どころかマイナスもいい所。
とはいえ彼女のこの喋り方は今に始まったことではなく、幼少期の頃からこんな感じなので今更変わるというものでもない。
むしろこの毒針を俺以外の他人に刺さなくなっただけマシとさえ言える。
「まあ実際予定がある訳じゃないのは事実だからな、じゃあ帰るか」
「はい、ゴミ――貴様」
「ゴミに引っ張られるのは流石にどうかと思うぞ」
なんて言った所で楓夕はなんの反応も示すわけでもないので、俺は鞄を背負うと椅子から立ち上がり歩き出す。
それを見て彼女はすっと俺の横に並んで歩き始めた。
さて、これを見て奇妙に思った奴も多いだろう、「彼女はお前のことが嫌いそうなのに随分と距離が近いな」と。
そう思うのは無理もない。だが彼女のこの行動はあくまで許嫁としてあるべき振る舞いを、言いつけを守っているに過ぎないのだ。
なので残念ながら行動よりも言葉の方に真意があると思っていいだろう。
「…………」
「……? どうした貴様」
「いや、なんでも」
しかしそうなれば彼女は不本意な結婚を強いられているということになる。しかもそれを忠実に守っているとなれば気の毒な気持ちにはなる。
ただ不思議なのは――確か高校生になってすぐだったと思うが、彼女は許嫁の話しになった際、特に反対する様子は見せなかったそうな。
過去は雨夜家の中には憤慨して家を飛び出したなんてことも少なからずあったそうなので、楓夕が反発しなかったのは正直意外ではあった。
「そういえば、そろそろ貴様との同居の話が出ておりましたが」
「ん? あーそういえばそんなことも言ってたな……でも早いだろ、俺達まだ高校生だぜ、しかも実家も近いのに、何を同居するんだって話だよ」
「貴様と同意見なのは癪ですが、あの人達はいつの時代の話をしているのやら」
まあ許嫁とかいう古いしきたりを守っている時点でな……という気はするが、未成年が同棲などいくら何でも気が早過ぎる。
というより俺と楓夕は別に付き合っている訳でも何でも無いのだ、はっきり言って幼馴染という方がよっぽどしっくり来るというのに。
「そもそもあんな馬鹿げた話を真に受ける必要もないしな」
「……ゴミと結婚して一体なんの生産性があるという話ですしね」
「せめて貴様と言ってくれませんかね」
スっと黒のショートボブを靡かせ真顔で答える彼女に俺は思わず突っ込み。
相変わらず愛想のないすました表情からスラスラ毒が出るなあと思わずにはいられないが――それを許せるのは彼女の美貌があってこそだろう。
そう。だから、という訳でもないが俺も許嫁に関しては反対はしていないのだ。寧ろ反対する理由などあるのかというまでに。
こんな美人と添い遂げられるチャンスなど世界中見渡しても早々ない、そう考えれば毒舌など愛嬌であるとすら思えてくる。
「ただなぁ……問題も山積みというか……」
「……? 何をブツブツ言っているんですか、おどろおどろしいですね」
「気持ち悪いで良くない?」
結局の所、やはり楓夕がどう思っているかが全てなのだ。
渋々許嫁でいるのならそれは良くないし、何よりその状況で一つ屋根の下に入れば無用なトラブルを招くだけ。それは俺にとっても本意ではない。
しかしそう簡単にこの状況を白紙に戻すのも難しい、だから俺はこう考えたのだ「だったら好きになって貰えば万事解決なんじゃね?」と。
明らかに無謀なことを言っているが、無理やりより何百倍も良いし、何よりそれでも駄目なら俺から結婚の辞退を申し出れば穏便に話が済む筈。
つまりやれるだけのことはやってみようという事だ。
それに……もし上手く行けば楓夕の澄ました顔以外の表情も見れるかもしれない――それを逃す手はないだろう。
だから俺は決意したのだ――――彼女をデレさせてみせると!
「ふっふっふっ……楓夕よ、今から覚悟して――って、あれ?」
「気味の悪い表情を浮かべて歩くので文字通りドン引きしたまでです」
「……さいですか」
ううむ……この様子だと前途多難としか言いようが無さそうだ……。
だがこの程度で挫けるほど俺とお前の付き合いは短くはない、さあいざ行かん! と俺は改めて意気込むと楓夕の下へと駆け寄ったのだった。
「あ、近づかないでくれますか、同類と思われたくないので」
「あ、はい」