第三話
作業部屋というだけあって、そこはとにかく物が多かった。
部屋の中心にはイーゼル、いわゆるキャンパス台と小さな椅子が置かれ、その脇にはパネルボードが重ねられている。
奥の方では大きな本棚に絵を描く際の資料と思われる本がみっちり詰まっており、それでも入り切っていない本が雑多に積まれていた。
手前の方は古いPCと省スペースデスク、そして周辺機器やコードでごちゃごちゃとしている。ペンタブレットもあるので一応デジタルでも描いてはいたのだろう。参考にしていたのか少数の漫画やイラスト集のような本も置かれてあった。
余ったスペースも様々な画材や、資料なのかもよくわからないようなガラクタの類が埋めてしまっている。元々は大きな窓から日の差す木目の効いた洋間だったのだろうが、居間では舞っているホコリのせいも会って半ば廃墟のような様相となっていた。
しかしそんな中でも特に目を引くのが、壁に飾られた絵画の数々だ。
それぞれ画鋲一つか二つで壁にはられているだけであり、あまり大切に扱われていたようには見えず、おそらく叔父さん本人が手がけたものなのだろうが、その出来には思っていた以上に目をみはるものがあった。
所詮学生の目ではあるが、それでも私達が描いていた絵とは比べ物にならないくらいよく作り込まれていることは一目でわかり、かといって技術だけの作品かと言えばそうでもない。工夫や表現といったものも一枚一枚しっかり施されているのが見て取れた。自分の家系に、個展なんかで見るようなレベルの描き手がいるということに興奮を隠せない。
しかし、工夫や表現以上に目についたのがそれぞれの絵の、画風の違いだ。
例えばこれは印象派風に描かれており、これはノワールっぽい。これはルネ・マグリットの描き方を参考にしたのだろうか。これなんて墨だけを使った水墨画だ。あまりにも違いが大きすぎるので、もしや別々の人の作品だろうかとサインを確認してみるも、大きさや微妙な違いこそあれどすべて同じものが描かれていた。
正直、絵を見れば叔父の人柄もある程度読み取れる自信があったのだが、これでは無理だ。レベルが違いすぎて、表現しようとしているものの一貫性がまるで読み取れない。
こうなると、叔父がどんな人物だったのか気になって仕方なくなる。もっと詳しく聞いておくんだった。今更ながら後悔。
「で、これが財産?」
ケイくんは飾られた絵の一つをつまんで、つまらなさそうに尋ねる。
「そうかもね。今の所一番遺産らしい遺産だし。うまく売れたら何万かにはなるかも」
「いやあ確かに絵の暗号云々とは言ったし、身内に芸術家がいたってもちょっと面白いけどさあ、マジでそのオチありそうでやだわー」
ケイくんはこの作業部屋に来て、財産探しへの気力を削がれてしまったようだった。絵画に妙なイメージを持っていたようだから、もっと楽しんでくれると思っていたが、何でだろう? 私の方は蔵を見るときの数倍楽しめているのに。
「でもケイくん的には、叔父さんが襲われた事自体が隠し財産の証拠になるんでしょ? 絵が財産なら説明つかないから、まだわからないんじゃない?」
「それもわからなくなってきた。よく考えたら叔父さんが何か隠し持ってて、そのせいで襲われたんだとしても、今もそれが残ってるとは限らないし。それにあのファイル……」
「まあ掃除してたら見つかるかもよ」
適当なことを言って仕事を進めようとする。もう少し絵もじっくり見たいが、掃除すればもっと別の作品も見つかるだろうし、ひとまずそれからにしよう。
まずはどこから手を付けるべきだろうか、と本棚の方を見て、最下段に本ではなく紙の束が置かれていることに気づく。もしかしたら金銭や権利に関わる書類の類かもしれない。だったらケイくんが誤って捨ててしまってはことだ。まずはそこから整理しなくては。
そう思って手をつけるが、それは書類の類ではなく、様々なWEBページのコピーだった。絵画やそのモチーフに関するものが多く、これも一つの資料なのだろう。
その束から漏れたように。数枚のコピーが脇の平たい箱の上に置かれていた。
「ストーカー?」
明らかに紙束にあるコピーたちとは雰囲気が違う。そのコピーはストーカーの心理や対策についていくつかのページがまとめられているもののようで、ただそのまま印刷しただけであろう紙束のコピーとは違って、要点をまとめるように簡易な編集までしてあった。
うまく絵とストーカーという要素が結びつかず、何でこんなものがあるんだろうと首を捻っていると、「うわっ」とケイくんの小さな声が聞こえてくる。
ケイくんは隣の本棚を掃除しようとして、本を一旦まとめて下ろそうとしていたみたいだ。その中の一冊を手にとっていた。立ち上がってその表紙を覗き、私も引いてしまう。ケイくんが手にしていたのは成人向けコミック、それも幼い少女を題材としたものだった。
よく見ればケイくんがおろした本は裸婦画やその手の資料ばかりであり、このコミックもそういった資料としてそこにあっただけなのだろうということは想像に難くない。ただわざわざコミックを資料にする必要があるかと聞かれれば疑問ではある。アーティストと呼ばれる人たちに同性愛者が多いように、絵描きに限らず芸術や創作に携わる人達は性的指向が多数派とはずれることが多いようなので、これも単純に趣味の産物だということもあるが、まあ何とも言えないところだ。
結果、私は大したリアクションもとれず、何となく「ハハ」と引き笑いすることしかできなかったが、ケイくんは笑ってすらいない。むしろ神妙に、表紙を見たまま何かを考え込んでいた。普段のケイくんならもっとこういったものを恥ずかしがってすぐに手放すか、茶化そうとするかなので、この反応には何か不穏なものを感じる。
「……あの記憶は叔父さんのものじゃないのかもしれない」
ひとしきり悩んだあとにケイくんはコミックを置いてそう言った。
その可能性はもちろん普通に考えられたものだったが、ケイくん自身が否定していたものだ。成人向けコミックを見てどういう思考をたどればそこを改めることになるのだろう。
ケイくんは携帯を取り出し、例の動画を再生する。
「忘れてたけどさ、たしか抽出した記憶データのファイル名にはルールがあるんだよ。記憶の日付と、記憶の主を示すものを必ず入れないといけないっていう」
表示されているファイル名は「08112044-TNTM」。おそらく前半の数字が日付、後半が
名前を示しているのだろうが、どうもじっても叔父さんの名前には繋がりそうにない。
「ん? TNTMなんて名前の人いたっけ?」
おそらくアルファベットの頭文字を取っているのだろうが、そもそも四文字であてはありそうな名前が思い浮かばない。タノタモ? テニツマ?
ケイくんは私の顔を横目で伺い、すぐに携帯に目を戻す。
「あと、叔父さんは背が高いんだったよな? そんな話してたよな」
どうやら私と父さんの会話が聞こえていたらしい。確かに父は叔父のことを背が高くて男前だったと話していた。
でもそれがどうしたと言うんだろう。それよりTNTMとは誰のことなのか教えてほしい。もしかして四文字の一単語ではなく、名字と名前の二単語なのだろうか。TN.TM、T.NTM、TNT.M。
「だったらやっぱりおかしい。俺が記憶の再現ができたのは」
はたと考えを止める。ケイくんの身長は高校生男子にしては低い。それでも、蔵での記憶の再現と称したあの寸劇の後、ケイくんは「視点は結構ぴったり合った」と話していた。
これは明確な矛盾点だ。かもしれないどことではない。確実に、あの映像は叔父さん以外の誰かの記憶だ。
ケイくんと近い身長であり、TNTMにあてはまる誰か……。
「ナッちゃんって、四年前何歳だった?」
何故先程からケイくんの話は飛ばし飛ばしなのだろう。せっかく私も記憶の主が誰か考えているのに、これでは思考がまとまらない。私は短期記憶も得意ではないのだ。
「今が十九歳だから、四年前は十五歳だね」
あの頃はギリギリ中学生で、受験勉強に奔走、してたのかな? してた気がする。
ケイくんは聞くだけ聞いて、また黙り込んでしまった。また何か考えているんだろうかと顔を伺おうとして、視界の端に成人向けコミックが映った。
ふと、つながってしまう。
ケイくんの考えていることがわかってしまった。
記憶の主を襲う、大柄な、背の高い男。
襲われているのは、ケイくんと近い身長であり、TNTMにあてはまる誰か。
T.NTM。時岡夏美。私のことだ。




