第二話
曰く、この世にはMMYファイルと呼ばれる、人の記憶をそのまま映した動画ファイルが存在するらしい。
記憶のデータ化というのは脳科学の大きな研究テーマの一つで、どこかの研究チームがそれを部分的にではあるが実現させたというニュースが数年前に流れた。
当時は大きな話題になっていたので、もちろん私も聞いたことがあるはずなのだが、私は相当に忘れっぽいのでそんな叔父がいなくなるよりもっと前の話なんて知るわけないと思えてしまう。
実現時の華々しさとは打って変わって現在記憶データの研究は停滞気味で、時間がたった今でも可能なことと言えば記憶の一部を不鮮明な映像としてコピー、もしくはカットすることくらいらしい。
というのも、このコピーやカットを行った際に人の脳に不具合が現れることがあり、命にかかわるような致命的な例こそ無いものの、コピーしただけで全く別の記憶が無くなってしまうくらいのことは何度も起きてしまっており、そちらの研究に時間を費やさざるを得なかったようだ。
しかしその甲斐あってか、ここ数年では世界中で技術の実用化が行われ始めており、日本でも行政機関や一部の医療機関での研究や取扱いを認められているらしい。
そんな目にするのも貴重なデータが、今私達の手の中にあるわけだ。
「別に見ること自体は簡単だよ。サイトにもアップされてるし。県内に認可を受けた病院もある」
庭にある蔵に向う道すがら、ケイくんはMMYファイルについて語っていた。
蔵に向かっていたのは、ケイくんが映像の序盤に出てきた建物を指して「これはこの家の蔵に違いない」「この記憶は隠し財産の大きなヒントだ」などと言い出したからだ。あの動画が叔父さんの記憶ならば確かにあの建物がここの蔵である可能性は高いが、隠し財産のヒントにはならないのではないか。そう言うとケイくんは「隠し財産を噂されてる人が襲われてるなんていかにも怪しい。あるって証拠みたいなもの」だとか言っていた。いかにも適当だ。しかし、私としてもあんな映像を見てしまい、その現場がすぐ近くにあるというなら、見に行っておく必要はある気がした。
「記憶データの映像は独特で見たことある人なら一発でわかんだ。エンコードを失敗したような部分とそうでもない部分が同時に存在するみたいな、あの質感だったりで。俺も前にサイトの動画見ただけだったけど、それでもひと目でこれが同じやつだってわかったし」
歩きながら、ケイくんはMMYファイルをARグラスに映して、再び叔父さんの記憶を再生しているようだった。
「でも、なんであんなに画質悪い感じになるの? 人の記憶なんだから、他にないくらい綺麗な映像でもおかしくないよね?」
「人の記憶なんて曖昧なもんってことじゃないの? よく知ってるものなら記憶に残りやすいし、逆に見慣れないものなら理解できないと覚えづらいし。勉強でも予習してる所としてない所じゃ覚えやすさ違うだろ?」
なるほどと頷きそうになったが、そもそも私は予習なんてろくにやったことも無いことに気づく。
ケイくんはそこそこ偏差値の高い学校に通っているので、予習なんかもちゃんとしているのだろう。とは言えあまり勉強熱心という話も聞かないので、やっていたとしても最低限といったところだろうが。
外靴に履き替えて、庭に出る。蔵はすぐそこにあった。
「じゃあ動画ではっきり見えていたものは叔父さんにとってはよく知ってる物だったってわけだね。……っていうか何で叔父さんの記憶だってわかったの?」
「そりゃあ叔父さんしか住んでない家に隠されてたものだし、普通に考えれば叔父さんの記憶だろ。それにほら」
ケイくんは蔵の扉を開こうとするも、ガツンガツンと錆びた金属音を鳴らすだけで開かない。
「倉庫の鍵を持ってるのは普通家の住人だけだろ。鍵預かってたっけ?」
私は父さんから預かっていた鍵束を取り出す。父の仕事が終わるまでは私が持っているように、昨日のうちに預けられていたのだ。
「ええと、これだっけ」
鍵束の中から特に古い鍵を手に取り、鍵穴に差し込んで回す。がしゃりと確かな手応えを感じた。
「よくわかったな」
鍵のことを言われているのだと気づく。言われてみれば、父さんからどれがどの鍵だと説明を受けた記憶はない。まあ物覚えの悪い私のことだから、聞いていおきながら忘れているだけかもしれないが。
「なんだろ。勘かな」
適当に返事をしながら、錆びのせいで重くなってしまった横開きの扉を開く。
MMYファイルの映像ではあまり建物の中の様子はわからなかったが、それでもここで間違いなかったようだと確信をもてるほどには、映像で出た建物の中と蔵の内装は一致していた。つまり記憶に残った時と今の内装はほとんど変わっていないということか。
蔵の中は薄暗く、草抜きや大掛かりな掃除につか様な道具、棚に並べられたよくわからない陶器などがひしめき合っているせいで、外から見るよりも狭く感じる。
奥の方にははめ込み式の小窓もあるが、時間帯のせいかほとんど光は差し込んできていない。確か、記憶の主が男に襲われていたのはあの下のあたりだ。割れた陶器は流石に残っていない。
「ちょっと退いててくんない?」
いつの間にやらケイくんは蔵から五~六メートルほど離れた位置に立っており、大きな声でこちらに指示を出してきた。
一体何をしているんだろうと首を捻りながらも、私は言われたとおりに蔵から出る。
ケイくんはARグラスのつるを触って何やら操作すると、急に全速力でこちらに駆けてきた。
慌てて避けるとケイくんは開いた扉の前で立ち止まり、何やら手遊びのような真似をして、そのまま転がり込むように中に入っていった。奥で膝に手を付いて息切れをしている。
「良いって言ったら入ってきて!」
異様な様子に心配になって声をかけようとしたところを制された。すぐに「いいよ!」と聞こえてきたので恐る恐る入ると、ケイくんは振り返ってびっくりしたように後ろに飛び退き、肩を棚にぶつけた。
よく見ると、ケイくんのARグラスには先程の記憶データの動画が流れていた。蔵が暗くなければ気づけなかったが、そのおかげでケイくんが何をやっているのか理解する。
記憶の再現をしているのだ。ARグラスで流す映像は半透明にすることもできるので、それを利用して現実の景色と重ね見ることもできる。何故そんなことをしているのかはよくわからないが、刑事ドラマで現場検証をする際に被害者と同じ視点に立つために、遺体と同じ格好をする刑事を見たことがある。その真似かもしれない。
そして私を蔵に入らせたということは、私には記憶の主を襲った影の男の役をやれと言っているのだろう。気恥ずかしかったが、確か男は記憶の主を見つけ次第足早に近寄っていた。躊躇している暇はない。
映像の通り、私はケイくんに両腕を伸ばすと、ケイくんは自分から私の腕を掴んで自らの首に持っていき、そのまま転がった。
慌ててそれに付いていくと、自然とケイくんに覆いかぶさる形になる。この位置からだと、ARグラスに流れる映像がよく見えるが、タイミングとしてはほぼバッチリだったようだ。
そのうち映像が白みだし、影の男が引っ張られて横に飛んでいく。それを真似するように。私も横に移動した。その後は引っ張った男に蔵の外に連れ出されるはずだが、その役はいないしそこまでやる必要もないだろう。そのまま立ち上がり、膝の汚れを払う。
「何かわかった?」
「わかった。ここは砂がすごい」
ケイくんは体を起こし、髪や肩に付いた砂をうっとおしそうにバシバシと落とす。
まあ実際に被害者になりきってみて得られる情報なんてそんな物なのだろう。本当に有用な方法なら、実際の警察も捜査に取り入れているはずだ。
「あと、映像の視点は結構ぴったり合わせれたけど、ナッちゃんと襲ってきた影の体格差が凄くて逆にびびった。あの感じだと、190cmくらいあったんじゃねえかな」
「へぇ」
私の身長は約160cm。ケイくんも同じくらいだ。更に影の男は横幅もそれなりにあったので、きっと本当に大きな差があったのだろう。
「映像が白っぽくなってるのは何でかと思ってたけど、グラスで見てよくわかった。多分あれは意識が飛びかけてたんだな。ホワイトアウトって感じ? 首締めてすぐああなるんだから、結構怪力だったんだろうな」
「そういえばそんな使い方もできるんだね、それ」
私は自分のこめかみあたりを指で叩いて示す。ケイくんはこめかみに手を添えて。すぐにARグラスのことを言われているのだと理解する。
「まあ仮にもARグラスだしな。もっと良いやつだと仕事風景を録画して、新人研修やら仕事の引き継ぎにも使えるらしいし」
「そのARグラスだとできないの?」
「できないことはないけど、微妙。ちゃんとしたやつに比べると機能もスペックも足りてないから。ただ良いやつは高いしデザインも良くなくて難しいとこなんだよ。テンプルが極太だったり、でかい水晶みたいなやつが付いてたりするしさ」
「ああ、何か見たことあるかも」
グラス部分の前に、映像を投射する水晶体がついているARグラスが業務用として売られているのを広告で見た気がする。ただ、ああいったものは見るからに個人用として作られていないはずだから、それを比較対象として出しているということは、ケイくんのARグラスも私から見れば低い性能のものではないのだろう。
そうやって話していると、そばにある駐車場から車が止まる音が聞こえてくる。
「あ、時岡のおじさんじゃね?」
時岡のおじさんとは、私の父のことだ。蔵から顔を出してみると、ケイくんの言う通り父さんの車だった。仕事を済ませて返ってきたのだ。
「おかえり」
車から出てきた父さんに声をかける。ここにやってくるとき父さんはスーツ姿だったが、今は何となく古臭いトレーナーを着ていた。家でも余り見ることのない格好だったが、丸いお腹と小さなシルエットのせいで、いつもより愛嬌があり似合っているように見えてしまう。
「ただいま。連絡は無かったけど、何もなかった?」
父さんはここを離れて仕事に行く前に、何かあったらすぐに連絡するよう私に言いつけていたので、そのことを言っているのだろう。父さんは少々心配性なところがあり、平日でも出かけるときと帰ってきた後は必ず連絡の確認をしている。
「うん。別に何もなかったよ。キッチンの掃除が大体終わって、今は蔵を見てたとこ」
本当はMMYファイルなんてもの見つけてしまっていたけれど、伝えるのは後でも良いだろう。あれだけケイくんが楽しんでいるのに、水を差すこともない。
「あ~蔵か。蔵は最後でいいよ。それよりも、居間や作業部屋がまだだったはずだから……そうだね、作業部屋を掃除してほしいかな。あの部屋は物が多いから、ケイくんと二人でやると良いよ。居間は父さんがやっとくから」
「作業部屋? 叔父さん家で何かしてたの?」
「知らないんだっけ? 賢二くんは美術家だったんだよ。いやイラストレーターだったか?」
それは驚いた。賢二くんというのは叔父さんのことだ。まさか叔父さんが自分と同じように絵を描いていたとは。いや、それを職にしているのだから同じというのもおこがましいが。
私自身が意識していなかっただけで、もしかしたら私が美術部に入ったのも叔父さんの影響があるのかもしれない。しかしそうなると作業部屋とやらにどんな物があるのか俄然興味が湧いてくる。
美術部で教わるのは、何も上手い絵の描き方だけじゃない。描かれた絵にどんな意図があるのか、どんな感情が乗っているのかといったことを理解する、美術鑑賞の心得も私があの部活で教わった大事なものの一つだ。もちろんそんなそんな余計なことは伝えず、そもそも顧問がほとんど部に干渉しないという部活も多いだろうが、私のいたところはそうではなかったのだ。
まあ鑑賞と言うほど大それた絵を残してはいなかったとしても、単純に叔父がどんな種類の絵を描いていたのかというだけでも気になる。
「ていうか叔父さんってどんな人だったの? 私全然覚えてないんだけど」
父さんは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに「ああそうか」と柔らかく微笑む。
「もう夏美が会ったのも随分前だしなあ。そうだな、賢二くんはなんというか、クールな人だったよ。こだわりが強いというか、この家古いものばかりだったろ? 新しいものが好きじゃなかったらしいよ。それに口数も少なくて……夏美と遊んでるときは、そうでもなかったみたいだけどね」
父の語る叔父さんは、なんだか私の抱いていた印象とは違った。よく世話をしてもらってたからだろうか、もっと普段から朗らかというか、人当たりのいい大人というのを勝手に想像していた気がする。
「あとは、そう、背が高かったな。顔も男前だったし、昔はよくモテてたんじゃないかな。礼儀のなった人だったし、捕まったって聞いたときは信じられなかったよ。それに……ううん、人を説明するのって難しいなあ」
「うん、まあいいや。あとは帰って聞くよ」
父も、母の弟のことなんて紹介できるほど詳しいわけではないのだろう。聞いておいて何だったが、早く作業部屋を見てみたいという気持ちに急かされてしまった。
「それじゃあ何かあったらすぐに居間に来るんだよ。場所はわかるよね?」
「わかってるわかってる」
振り返るとケイくんは蔵から出ており、扉のそばでなにやら携帯を操作していた。彼も学校では無愛想だとかクールだとか言われているのだろうか。
鍵束を父さんに返して戻ると、ケイくんは待ってましたとばかりに顔を上げた。
「なんか聞けた? 財産のこと」
そう言えばそういう話だったか。
「聞けたよ。間違いなく値打ちものだね」
嘘は言っていないだろう。多分。




