第一話
サザエさんの家より少し狭い。
それが叔父の家に対する印象だ。瓦づくりの屋根や、障子で仕切られた部屋、庭にある小さな蔵などを見ているとますますそんな風に思えてくる。
この家に来るのは初めてではないが、それでも四年ぶりなのだ。私の住んでいるようなマンション街ではまず見られないような古い家の作りにかえって目新しさを感じてしまう。たかだか四年で、という人もいるだろう。しかし私にとって四年と言えば、もう記憶もおぼろげになってしまうほど大昔のことだ。自分が最後にこの家に来たときの記憶すらろくに無く、教えてもらえなければ初めて来たんだと勘違いしてしまいそうなほどだった。
あの頃の私は中学三年生。覚えていることと言えば、はじめての受験を前にして戸惑いながらも、ようやくこの芋っぽいセーラー服を脱げると奮闘していたことくらいか。何故ブレザーに対してあんな憧れを抱いていたのか、自分のことながらイマイチ理解できない。
だがあの頃の自分でも、今の私には決して憧れないということはわかる。
貴重な夏休みの昼間にこんなホコリにまみれた部屋の中で、捨ててもいいようなパーカーを着ているからといって、どうにかスチールラックに置かれた電子レンジを動かさずに雑巾で拭けないかと隙間に手を突っ込んで横着しようとしている姿に憧れる中学生はいない。いるのならこの後に控えている流し台の掃除を任せたい。かびたスポンジや洗剤で彩られ、洗面台としてもつかっていたのか青とピンクの歯ブラシが二本綺麗に飾られており、花の学生さんにもぴったりな環境だろう。私は触りたくないが。
こんな面倒な掃除、ロボット掃除機にでも任せられたらどんなに楽かと思うが、あいにくそんな高級品うちには無い。あったとしても、こんなコードのこんがらがった旧式電子レンジの裏側まできれいにできるのかと言われたら疑問ではあるが。タンスの中まで綺麗にできるらしい最新式のやつならいけるかも。
「なんで棚ごと動かさないんだ?」
不意に足元から届いた声に驚いた私は肘をスチールラックの柱に打ち付けてしまう。
そこには膝を曲げてしゃがみこんでいるケイくんの後頭部があった。ケイくんは音に反応して顔をあげる。こんな場所でも、彼はその色白の顔に自慢のARグラスをかけていた。
ケイくんは私と幼い頃から付き合いのある、父方のいとこだ。今は高校二年性になるはずだが、身長や童顔気味の顔のせいかもう少し幼く見える。この家の掃除においては唯一の協力者でもあり決して無碍にはできない。本当はもう一人、父も掃除にはずだったのだが、どうしても外せない仕事が出来てしまったとのことで私達をこの家に送ってすぐに帰ってしまった。遅れてやってくるとは言っていたが、それまではケイくんと二人でどうにか分担して掃除をしなければいけない。
ケイくんのかけているARグラスは、スマートグラスとも呼ばれることのある、眼鏡にコンピューター機能を搭載したものだ。ずっと昔から存在自体はしており一般向けに販売もされていたのだが、実用的となったのはここ数年のことで、それまでは半分試作品みたいな中途半端な機能のものが高校生には中々手が出せないような高値で売られていたらしい。私も詳しくは知らなかったのだが、ケイくんにきいたら嬉々として語り聞かせてくれたのだ。半分も覚えていないが。ケイくんはそういったものを語らせるとうるさいことがある。
「せっかくキャスターついてんのに」
「キャスター?」
部屋の不衛生さに気を取られ気が付かなかったが、アルミラックの根本には黒い車輪がついていた。
ケイくんはキャスターのロックをパチリパチリと外すと、立ち上がってアルミラックを手前に引き寄せる。あまり重さは感じさせない。
予想どおり電子レンジや、別の段に置かれていたトースターや炊飯器の裏にまで、びっしりと塊になったホコリがついていた。ひどい有様だが、当然だろう。なんたって四年放置されていたんだから。
この家の主である叔父さんは、四年前から行方知れずになってしまった。
叔父さんは私が小学生の頃に病気で死んでしまった母の弟であり、小さな頃は病床に伏せていた母に代わってよく私の世話をしてくれていたらしい。このらしい、というのは、このことは父に教えてもらったから知っているのであって、とうの本人である私にお世話になった記憶がほとんど無いからだ。自覚が無いわけでなく、ただ純粋に覚えていない。
父が言うにはそれこそ毎日と言っていいほど顔を合わせていたこともあるそうだが、本当に記憶にない。そんなことすら忘れてしまう記憶力と恩知らずっぷりに我ながらに呆れる。
しかし決して悪い人だったわけではないはずだ。母に変わって子供の世話をしていたという話だけでもそう感じるし、私の中にわずかに残る叔父さんのイメージにも悪いものはみじんもない。私自身がおじがいなくなるまでこの家に来ていたということからも、それはわかる。
だからこそ、叔父が行方知れずになるまでの経緯を聞いたときは驚いた。叔父は行方不明になる直前まで、刑務所に入っており、その釈放と同時に行方をくらませてしまったらしい。捕まった理由は教えてもらえていないが、私と最後に会って間を置かずに捕まったのだとしても、一年立たずに釈放されていることになるので、殺人など重すぎる罪を犯したわけでは無いはずだ。
このことに付いて聞こうとすると父は決まって口を閉ざしてしまい、未だに私のもとにはろくな情報が入ってきていない。
「ケイくんは何か知ってる?」
もしかしたらケイくんの方はもっと詳しく聞いてるかもしれないと思い、棚裏のホコリを取りながら叔父さんのことについて尋ねてみる。
「何も? ていうかナッちゃんが知らないなら俺が知るはずないだろ。尾道の叔父さんは、時岡のおばさんの弟だったんだから」
時岡のおばさんというのは私の母のことだ。ケイくんはおじやおばを名字付きで呼ぶことが多い。
確かにケイくんからしてみれば叔父さんは血縁が少し遠い。話したこともろくにない叔父さんのことなんてほとんど覚えていないはずだ。今が夏休みでなく、親から命じられもしなければわざわざこんなところの掃除になんて来ることもなかっただろう。
「あ、いや一つ知ってるわ。なんか叔父さん隠し財産持ってたっぽい」
「はー、隠し財産」
聞きたかったこととは違うし、意味もわからないが、夢のある言葉だ。
私達が知っている叔父さんの財産と言えばこの家そのものくらいであり、他に何を持っていたのかほとんど知らない。何が隠されたもので何が隠されてないものなのかわからないという点を考えなければ、隠し財産という言葉には興味をそそられる。
この子もまだ男子高校生なんだなあなどと微笑ましく思っている気配を察されたのか、バケツから雑巾を取り出そうとしていたケイくんは少々動揺したように振り返る。
「いやいやマジだって。父さんが言ってたんだよ、本人から聞いたって」
「ケイくんのお父さんとこっちの叔父さんが会うっていうと、親戚の集まりくらいでしょ? あれはお酒入るからねえ」
ケイくんのお父さんは結構な酒飲みなのだ。しかも酔うと陽気になりすぎるタイプの人。叔父さんとどんな仲だったのかはわからないが、酔った勢いでしつこく絡んで何かを無理に聞き出し、その上でろくに相手の話を聞かず残った記憶は徹底改ざん。そんなパターンが容易に想像できる。
「勘違いなんかもしれないけどさ、でもロマンはあるじゃん。美術部員的にはそういうのないの? 絵画に隠された暗号とかさ」
「今はもう部員じゃないし。まあ、ちょっと雰囲気あるのはわかるけど。脱出ゲームでこういう部屋あった気がする」
電子レンジから手を離して部屋を見渡す。雑多で散らかっているように見えて意外と物の数は少なく、いかにも人の手の入っていなさそうな薄暗い雰囲気は、見ようによってはなにか謎が隠されていそうではある。
美術部は高校の終わりまで私が入っていた部活ではあるが、あまり関係あるようには思えない。ゲームの影響で、手書きの絵に対して妙なイメージを持ってしまっているのではないだろうか。
「その手のゲームならだいたいどっかに金庫か鍵のついた引き出しがあるよな。この部屋にはなさそうだけど」
「飾られた絵の裏にパスワードが描かれてたりしてね。あとは鍵が隠されてたり」
言いながら電子レンジを開けてみるも、もちろん中にはなにもない。
「そんな露骨なトコにあったら手抜きじゃね。そうだな、こういうギミックの多いゲームなら、それこそ動かせる棚の裏とか……?」
そう言いながらケイくんが電子レンジの裏を見るので、私も何かないか見てみるも、やはりホコリとコードの根本ばかりでなにもない。と思ったが、よく見るとホコリの塊に紛れる形で小さなマッチ箱が脇に挟まれていた。少し取りにくい位置なので、回り込んで手をのばす。
「あれ、マジであったの?」
ケイくんは雑巾を流し台に置き、手の水気を払ってこちらに寄ってくる。
ホコリにまみれたマッチ箱を手にとって見せると、なんだ、という顔をするが、私はこのマッチ箱に違和感を感じていた。振ってみても音は鳴らず、何も入っていないようにも感じたが、それにしてはやや重い。
中箱をスライドさせて開けてみると、内側はすりガラスのようにざらついたアルミで覆われており、そこに細長いUSBメモリのようなものがハマっていた。長方形のマッチ箱の対角線とほぼ同じ長さで半ば無理やりに入っていたため、振っても動かなかったわけだ。
「うわっ、珍しい。Type-Fじゃん」
ケイくんは中箱だけを私の手から抜き取り、ハマっていたUSBメモリを取り出す。
USBメモリのキャップを外すと端子が露出するが、その形は私のよく目にするものではなく、もう少し小さな、なんだか見たことのない形状のものだった。
「なにこれ? 昔使われてたメモリとか?」
「逆。新しすぎて普及しきってないやつ。なんでこんな古い家にあるのか不思議なくらい。USBの端子じゃ一番新しいやつなんだけど、今までのUSB端子全部に対応して、オスにもメスにもなるってやつで……」
イマイチ要領のつかめない話を始めながらも、ケイくんは携帯を取り出してUSBメモリと接続する。中のファイルを開くとプレイヤーが立ち上がったので、どうやら動画ファイルが入っていたようだ。
「08112044-TNTM」とファイル名が表示され、再生が始まる。
どうやら一人称視点の無音動画らしい。
動画は視点の主が走ってるところから始まった。この家にある蔵と似た建物に駆け込んだにみえたが、あまりはっきりとはしない。
というのも、カメラは激しく上下移動し、駆けている視点があまりにも忠実に再現されているのに、色はモノクロで、画質も荒い、というかぼやけているところとぼやけていない部分の差が大きい。画質の悪い動画はいくつも見てきたけど、こういう形で悪さが現れているものは初めて見た。しかし、建物とその扉は常に焦点が合っているかのようにはっきりしていたので、なんとなく駆け込んだんだなとわかったわけだ。
視点の主が慌ただしく鍵を取り出して扉を開く。建物の中は物置のようになっていた。中に入った視点の主は一旦その奥に向かうと、下を向いて息切れを繰り返す。振り返ると入り口から光が差し込んでいるのが見える。
そこに影が現れたかと思うと、影は視点の方に足早に近づいてくる。
影の主は大柄の男のように見えたが、建物内が暗く、かつ男の周辺がぼやけているせいで、男の容姿ははっきりせず、妙につるの太い眼鏡をかけていることくらいしかわからない。
視点の主は、男に対して明らかに怯えており、寄ってくる男から逃れようとして背後の棚か何かに体をぶつけてしまった。陶器のようなものが落ちて派手に割れる。
男はそれに一瞬たじろいだようだが、構わずに進み、両腕を視点の主に伸ばす。
視点は回転した後に上を向き、男から押し倒されていることがわかった。男の両腕は、未だ視点の下に伸ばされたままだ。
これは、首を閉められているのか?
視点が細かく震え、画質のムラが一層激しく移り変わる。
しかしそれも秒数を重ねるごとに弱くなり、代わりにじわじわと画面の黒が薄くなって白みがかっていく。
と、そこで覆いかぶさっていた男が横に吹き飛ばされた。
画面の白さはそのままに、視点も男を追いかける。
男は床に尻を付けたまま、別の男に首元を掴まれていた。どうやら吹き飛んだのではなく、引っ張られて無理やり引き剥がされたらしい。
視点は影の男の姿を中心に捉えており、引っ張った男の姿は胸から下しか見えなかったが、何故か影の男よりもかなり鮮明に映し出されていた。顔こそ見えないものの、影の男と同じくらいには長身で、しかし線が細いせいで大柄とは言えないということまでわかる。
引っ張った男が視点の主に何か語りかけたようで、視点がうなずいたようにゆっくり上下する。
影の男は立ち上がらされ、半ば引きずられるようにして建物を出ていった。
と、そこで画面が完全に白くなり、再生も終わる。
「……? なにこれ?」
率直な感想だった。
よくわからないが謎めいていて、面倒な掃除中の清涼剤のようなロマンを感じさせた物体は、よくわからないが故に清涼とは真逆のもどかしさを感じさせる物体へと変わった。
ドキュメンタリー動画を作る際の素材というのが一番しっくり来るかもしれない。しかしそれが何故こんなところに隠されているのか、何故今でさえ新しい形式のメモリを叔父さんが持っていたのかといったとことは全くわからない。
「これ……」
ケイくんが言葉を選ぶようにしながら、口を開く。
「これ、叔父さんの記憶だ」




