エピローグ
ーエピローグー
街外れの森の中。
喧騒から逃れて、 物寂しい自然の音が溢れた森のなかに、
悪魔の棲む図書館がある。
深い藍色の髪に金色の瞳。真っ黒な装いを見れば、きっと誰もがその青年を、人の苦しみを糧とする悪魔だと疑わなかっただろう。
実際のところ、彼は確かに悪魔だった。けれど天使でもあり、のちには何者でもなくなってしまった。
そして今は、青年はただの青年でしかない。もう何百、何千もの時を経ても、色褪せないたった1つの心を抱いたまま、少女を待ち続けていた。この終わらない理想郷に、彼女の魂が流れ着くのをずっと。
「答えは見つかりましたか」
失ったものを取り戻す方法。誰もが求め渇望した奇跡。
「自分でもわかっていたさ。もうとうの昔に2人は終わったんだってこと…俺がここにいる本当の理由だって、お前はもう気づいているんだろう」
青年の視線を受けて、微笑みを返した。
今の彼は、彼女へ抱いた心そのもの。命ではないから、思いが成就すればこの場所もろとも消えてしまうだろう。
「…少し気になったのですが…あなたは、少女に先立たれたのではなかったですか…?失う痛みを味わいたくないとおっしゃっていたでしょう」
結末を綴る中で、思わず羽根を止めたところだった。私の問いに彼はゆっくりと目を閉じて、やがていった。
「……ここではずっと俺の記憶を繰り返していると言っただろう。聖夜祭の日になると、あいつは俺の前から消える。いつもいつも、何度も、もうこれまで何万回も最後の日を繰り返してきた。桜の頃になるとまた現れるが、最初は消えていくのを見るのが恐ろしかった」
そうか…ここにきてからも、彼は何度も少女を失ったのか。でも、それにももう慣れてしまったらしい。
そして今ここにいる少女が幻想だと思っている。
けれど大丈夫…あの子がきっと、彼に言うだろう。先に進もう、と。ここを離れて、新しい世界に行こうと。
「…お前の答えは見つかったのか」
そう問いかけてきた彼の声を聞いて、手元の本に目を落とした。
「……答えのないものを探し続けるのが、私が神から与えられた役目ですから。こうして物語を紡ぐだけです」
「終わらない役目だなんて、まるで俺の過去みたいだな」
「当然の報いですよ。片翼の天使を唆して地に落とした罪は重いですからね」
笑いかけると、彼も静かに微笑んだ。気づいていたとでも言いたげな視線を向けてくる。
「お前だったんだな」
「…あの子には、最初から気づかれていたみたいです。あなたのことが嫌いかと聞かれました」
私が大昔に彼にしたこと。少女にあっていたこと。
あの子が彼に襲われたのは私の責任でもあるから、この黄金色にだけ許された奇跡で、彼女の瞳はもう元に戻っている。もっとも、彼女自身も夢のような存在だし、2人の願いがもう見える見えないに留まっていないからこそできたこと。
この閉じた世界を終わらせるための一押しだからこその奇跡だ。
「随分…長い時が経ったんだな…」
「…そうですね。私は片翼の天使だったあなたに、憎しみの心を奪われた1人だった。もうそのときの感情は忘れてしまいましたが…」
この物語のもっとはるか昔。まだ人間だった頃のことだ。どういうわけか魔物として目がさめたとき、私は復讐以外の何も考えることができなかった。
今は、自分のための感情などほとんどない。愛を綴り語るこの命は、もう誰かを再び愛することは永遠にない。それは神様の罰ではなく、心が行き着いた果てなのだ。
「まだ復讐したりないか?」
冗談まじりの言葉に苦笑した。ここにきたのは本当に偶然だ。話を聞き始めるまで、実際の所彼の存在を忘れていた。
「今思えば、あなたに敵うはずありませんでした。…いえ、少女には、ですね。私がどれだけあなたをどん底に突き落としても、彼女がいる限りそれは無意味だった」
少女が彼に無限無償の愛を注ぐ限り、誰にも彼自身を脅かすことはできない。とはいえ、愛されている自覚が彼にあればの話だが。
「結局さいごまで、あなたはあの子の本当の願いに気づけなかったんですね」
「…共にいることを望んでくれていたのはわかっていた」
目を伏せて、彼は呟いた。
「昼も夜も、冬の先もずっと…。だが共にいることを選んだとしても、俺は羽根を失った時点で少女と長くはいられなかった。人間になってしまったら、もうあいつをこの目に見ることはできなくなっていた。それに…昼の世界を心の底から願っていたのは確かだから、後悔はしていない」
「見れなくても?」
「ああ……そう思うのもエゴだと言われればそれまでだ。けれど俺は、そうすることでしか彼女への思いを表せないから」
揺らぎない声が、彼自身の答えだと知る。彼が、彼の方法で示す愛情なら、それは誰になんと言われようと愛だし、それを受け取る彼女が満たされるならそれでいい。
「…伝えないのですか?それだけが心残りで、ここに留まっているのでしょう?」
「……そうだな…もう終わりにしよう」
もうすぐ月が沈む。
長いときの果てに、ようやく重ねてきた思いも報われるのだろう。この世界の終わりは一体どれほど美しいのだろう。
役目も罪も痛みも、全てから解き放たれて、2人は今度こそ新しい命へ還る。
微かに、胸が疼いた。そんな感情はもうないと思っていたのに、長い間話を聞くうちに情が湧いていたのだろうか。
切ないような、羨ましいような。
私自身には決して踏み出せない一歩だから。
またこうして、自分の先を歩いていく魂たちを見送るのだ。
忘れてしまいたくない。自分が一番執着しているのは、己が己であるという意識そのもの。この姿で、この心で、この頭で記憶して、歩んできたたった1つの人生。
そこで出会った最愛の人。狂おしく病むほどに愛してやまなかった。
忘れたくない。ただそれだけのために、時の流れに逆らい続けてきた。
それが、私自身の愛の形であり、この役目の答えだ。
それに…自分がこの役目に縛られ続ける本当の目的は、再会するため。
愛した人の魂が再び生まれ、死に逝き、彼のように思念を残し彷徨う果てで、きっと私は引き寄せられるように物語を紡ぎに来る。
どれだけの確率で会える条件が揃うかはわからない。わからないけれど、いくらでも待てる。不変であり続けよう。たとえそのときの彼の人の魂が別の誰かを想っていようとも。
「なあ…奇跡を願うには、俺の話は十分だったか?」
窓辺に立っていた彼は、言いながら顔だけ振り返った。月明かりを取り込んだ金色の瞳が、何かを思いついたように煌めく。
なるほど、少女が見ていた彼の姿はこうだったのかと、ふと思った。
「ええ…願いは思いつきましたか」
「…この場所。俺と少女が過ごしたこの場所を、俺たちが消えても残しておいてほしい」
「…きっと残ります。この庭と館は、これから先もずっとここに在り続けるでしょう」
いうと、彼はとても綺麗に、優しく微笑む。
「ありがとう」
「…彼女が待っていますよ」
「…?」
私の言葉に、彼は今度こそ体ごと振り返った。庭の端の桜の木の下に、少女は彼を見つめて立っていた。
艶やかな真っ白い髪に、銀の飾りの柔い煌めきが落ちる。
淡い紫の瞳は濡れて潤んでいたけれど、藍色と金色の姿を零しはしなかった。
ー*ー
恐る恐る、白い頬に手を伸ばした。信じられない思いでいっぱいで、それでも目に映る姿が、ずっと焦がれていた彼女だという確信もあって。
淡い紫の瞳がきらきらと輝く。忘れたことのない色。
少女は、ふわりと微笑んだ。その拍子に目尻から雫が溢れる。
堪らなくなって抱き締めた。
ずっと、みたかった笑顔。初めて見たときからずっと、その笑顔でいてほしくて。
愛しさが溢れて止まない。
縋るように髪に顔を埋めて、ただ抱き締めるだけで声も出なかった。
僅かな震えが自分のものなのか、少女のものなのか、合わさった体温のせいで曖昧だった。心臓の鼓動も、息遣いも、こんなにも近い距離に感じたのは初めてだ。
抱き締めた腕の中に温もりと仄かな花の香りがして、目が熱くなった。
ゆっくりと体を離して、淡い紫の瞳を逸らさずに見つめる。青白い月の輝きが乗ってこそ、この色の本当の姿。
刻々と変化を続ける瞳は、時間であり季節であり、思いの全てだった。
「…好きだ」
胸の内でずっと膨らみ続けていた思いは、言葉にした瞬間、夜のしじまに溶けていった。
もう何千年も前から、褪せずに降り積もっては、重なっていった思い。今こうして伝えられる喜びが心を満たしていく。
自分をここに留めていた見えないなにかが、急に不安定になる。体の浮遊感に心地よさを感じながら、少しずつ消えていく世界を観た。
「…私も…同じ気持ちです。生まれ変わってもきっと、あなたを思う。その時は、今度こそお互いになんのしがらみもなく、心のままに……」
少女の言葉に笑みを向けた。かつて好きだと言ってくれた笑顔。今はちゃんと少女にも見える。
彼女が見てくれさえすれば、自分はずっと在り続けられる。
「そうだな…2人が巡り会うまでにきっと幾度も輪廻を繰り返す。その間にどれだけの思いが流れていっても、行き着く先はきっとお前だ」
魂ごと長い旅をするようなもの。
そして、この姿で、この名前で再び巡り逢えたときこそ、永遠に繋がれる時。
もう何千年も…何億年も待った。星の命よりも長い時をずっと、待ち続けてきた。
思いが繋がったと実感出来る今なら、それ以上を待つことになってもいい。
いくらでも待つ。
「さようなら。またいつか会える時まで」
花のような笑顔を向ける少女に、そっと顔を近づける。
一瞬、愛おしい温度を唇に感じた。
それが、さいご。
遠のいていく意識の果て、世界の巡りの一部に溶け込み消えた。
ー*ー
黄金色が溢れる中、消えていく2人を見送った。さいごの瞬間まで繋がれたまま、幸せそうに微笑む。
彼らが、いつかどこかで。
再び出会えば、恋をすれば、愛を抱けば、また傷つけすれ違い、過ちを何度も犯すことになるだろう。
けれど何も恐れはしない。繋がったこの物語は永遠に失われることはないのだから。
少しずつ、黄金色が消えていく。代わりに朝日が滲み始めた遠くの空を見渡した。さいごのページに終止符を打って本を閉じると、名残のように少しだけ、金色が散り落ちた。
ここにはもう誰もいない。物語は終わった。羽根をしまって、朝日に背を向ける。
さあ、次の物語を紡ぎに行こう。
かつて愛した彼の人に、もう一度巡り会うその時を待ちわびながら。
最後までおつきあいいただきありがとうございました。
旅人と黄金色の文字、これにて終了になります。
拙い文で読みにくい部分も多々あったと思いますが、なんとか完結まで持っていくことができました。
初めての作品ですので今後ちょこちょこ手直しや付け加えなどしていく予定です。
整ったら再投稿も考えてます。
今後は短編を更新していこうと思います。
そのときはまたお会いできたら嬉しいです。ありがとうございました*
白藤あさぎ




