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旅人と黄金色の文字  作者: 白藤あさぎ
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      Part-9




   ー 聖夜の別れ ー




あたたかくて、やわらかくて、冷たくて、白くて。寂しくて切なくて、愛おしくて、哀しい。どんな言葉で表しても、抱く想いはもっと深く、広く、大きい。彼女は自分の心の全てであり、確かな存在意義だ。

願うことならもう少し長く、共にいたい。今こそ永遠を望むけれど。


もう何度も思い知らされた。有限の時間の尊さを。光と影が織りなす世界は、どちらも失ってはいけないことを。



ー*ー



街に出かける前に、白いワンピース一枚だけの少女にマフラーを与えた。

長い髪ごと包まれた姿は体の小ささが目立つ。


「…約束通り、手を繋ごう。俺の手に重ねて」


もう、少女からじゃないとこの体は触れることができないから。

彼女は差し出した手は見えずとも、ちゃんと小さな手を乗せてくれる。その手をしっかり握って、転ばないように寄り添って歩き出した。

確かに握っているはずの手に冷たさを感じなかった。終わりの近さがゆるりと心を青くしていく。

最後だ。今日はずっと、少女と同じ色でいよう。


何も話はしない、静かな時がただただ心を満たしていく感覚が、とても心地よかった。


今日は…少女が初めてこの世界に降りてきた夜と同じ、細い三日月の夜。周りに散りばめられた星たちが、砂つぶのようにまばらに輝きを放っていた。

幸せと光に満ちるこの日、祝福の夜に、願うことはただ一つ。


絡ませた指。

どちらからともなく、きゅっと力を込める。想いも繋がったような気がして、微笑んだ。


何がなくてもいいから。この世で最も美しかった色が失われたこの世界も、好きになれる気がする。


「なんだか、みんな光ってる」

「…感じる?俺の目には、そこらじゅうから光が溢れて見える」


人々が灯した明かりだけじゃない。星明りや、雪灯りとも違う。声や心が、小さな光の粒になって天に昇っていく。かつて見ていた(もや)のような暗い感情が這う世界とは違う。何もかもが白く、淡く金色に色付いていた。


片翼の天使が心を奪わずとも、人々はこうして輝きを見出せる。それはとても崇高で愛情深く、どんなものにも代えがたい特別な光。

作り物の世界では見れなかった神様が本当に望んだ世界。


「本当に…生まれた意味なんてなかったな」


消えかけた自分の体は街中の光で輪郭が曖昧になっていた。考えたら虚しいとわかっているし、今は少女がいてくれるから、笑って言える。


「でも、あなたがいなかったら、私はいなかった」


繋いだ手にもう片方も添えて、少女は俺を見上げて言った。

一瞬、その包帯の下に、強い眼差しの淡い紫の瞳を見た気がした。彼女が心を込めて見つめるとき、その残像は記憶の中で呼び起こされる。


「…そうか。お前はここにこれてよかった…?」


好きだった世界を奪われたんだ。よかったはずない。大事なものも壊して、辛い思いばかり強いてしまった。知らなくていい痛みを与えてしまった。


それでも彼女は頷く。

優しさではなく、本心で、微笑みを浮かべて頷いた。


「もちろんです。あなたに出会えてよかった。私はとても幸せです」


彼女が言うなら。

罪は背負うけれど、その言葉に心を痛めたりしない。罪悪感はもう抱かない。俺のために言ってくれてるのだとは思わない。


「ありがとう。俺も、今が一番幸せだ」


光と夜の世界を、再び歩き出す。

道行く人たちは様々な表情を浮かべ、明るく通り過ぎていく。遠く、教会の鐘の音が響いた。

あと2度、鐘が鳴る。さいごの瞬間は、2人の始まりの場所で迎えよう。月の魔力を通すあの窓で、羽を掲げて願うだけ。その前に、プレゼントを…


「…なんだか甘い匂い…」


不意に少女が足を止めた。つられて立ち止まって、甘い匂いを辿ると、小さな子どもがたくさん群がった露店を見つけた。


「…ああ、ケーキを売ってるんだな」

「…ケーキ…?」


今日の祝いのためのものだろう。甘いし、少女は喜ぶかもしれない。

思って、露店のテーブルの上に金貨を置いた。四角く切られた一欠けを貰って、適当に座れる場所を探した。


大広場の噴水。冬の寒さで固まって、今は水が出ていない。代わりにとても大きなツリーが飾られている。

深緑の針葉樹にところどころ雪が積もって、枝に飾られた小さなキャンドルがそれを照らす。暖かい炎の色が淡く緑を色付けて、とても優しい光が灯っていた。


噴水の縁に少女を座らせて、その隣に自分も座る。


「わぁ…なんだかここ、あったかい…!」

「ああ…ツリーのすぐそばだから」

「ツリー?」

「聖夜に飾るモミの木。とんがり帽子みたいな形で、枝にキャンドルを飾るんだ」

「ふふっ…かわいらしい木なんですね」

「いや…かなり大きいから可愛くはないと思う…」

「だってとんがり帽子じゃ、小さい木だと思って」


くすくすと笑いながら少女は言った。例えが悪かったのだと思ったが、他にそんな形のものを知らない。ツリーを見上げて、なんと説明したものか悩んだ。


「想像するだけで楽しい。あなたにも私のイメージが伝わったらいいのに」

「…俺も思う。俺の見ているものがお前にも見えたらいいのにって」


少しだけ強張った指先に気づいてか、少女はそっと俺の肩に頭を凭れさせた。思い出すたびにあの日に戻れたらと願わずにはいられない。凄惨な血の夜を、俺は消えても忘れられない。


オルゴールも髪飾りも、淡い紫の瞳も。この世から失われたものをもう一度取り戻す事はできなかった。


「一緒に居られるだけで十分です。だから、どこにも行かないでくださいね…」


その言葉に弱く笑って、凭れ掛かった少女の頭に自分も頭を寄せた。

約束しようと言い出すのを待っているかのようで、少し苦しい。


「…ケーキ。食べよう」

「…。さっきの甘い香りの…?」

「ああ。きっと好きだ」


備え付けのフォークで一口大にして、少女の口元に持って行った。気配に気づいて開いた口に、そっと入れ込む。


「……ふわふわ…」

「おいしい?」

「はい、とっても!」


少女らしい弾けた笑みが嬉しくて、つられて笑った。紅茶を飲んだ時もそんな顔をしてた。花火を見たときは…もう少し切なげな微笑みだったな。

残りの時間、できる限り全て思い出しておこう。初めて会った時から今まで、たくさん少女が見せてくれた表情も、言葉も声も、仕草も。


泣いたときのこと、辛そうな顔をして、苦しげだったときも。ひどく胸を締め付けられた泣きそうな笑顔も。強い意志を宿した横顔も。

その時気づけなかった世界の色…少女の心を、全て。


少女がケーキを食べ終わった頃、遠くで鐘が鳴った。高らかに、澄んだ冬の夜の空気に響き渡る。


あと一回。それまでに屋敷に戻らなければならない。


輝く星空を見上げた。あの中のどれかになるのだろうか。

もう光のない自分に、夜をあんなに強く照らす星にはなれないか…消えて永遠の巡りに還るなら、どこか流れ着いた先で、少女のことを待っていたい。

時の長さなど、もう自分にはあってないようなものだから。


「わぁ…!なんだか楽しそうな音…!」


少女の声に視線を戻すと、この広場にいつの間にか人だかりができていて、その中心に赤と黒の隊服を着た楽隊が聖夜のパレードを行っていた。


「そうだな、今この広場に楽隊が来てる。金色の楽器で音楽を奏でるんだ」

「本で見たことあります。いろんな形があるんですよね!」

「ああ」


楽隊が近くなると、少女は俺の手を引いて群衆の中に向かって行った。楽しそうにはしゃいでいる姿に嬉しさばかり溢れて、温かい気持ちになる。


「妖精も一緒に歌を歌ってる…!綺麗な音…」

「…そうか」

「あなたにも聞こえる?」

「いや…俺にはお前の声しか聞こえない」


それ以外はもういらない。それに、音なら色になって弾けて飛んでいくのが見える。だんだんと感覚が閉じていくのを穏やかに受け入れていた。この心を満たしていくのはもう少女だけだ。


「…手に触れたままでいて。プレゼントをあげる」


あの日壊した髪飾り…俺からの初めての贈り物だった、桜を模したあの髪飾りではないけれど、これは瞳の色に似ている。白い髪をひと束絡めて留めた。そこらじゅうの光を集めてキラキラ輝いた。あまりにも多すぎて、光が髪飾りから溢れて少女の髪に落ちている。


「…これは…?」

「聖夜祭のプレゼント。お前の瞳と同じ色の髪飾りだ」

「…見たいです」

「……感じて。俺が壊したものよりずっと想いを込めた」


ぎゅう、と手に力がかかった。まだそこに存在しているのだと、ぼんやりと思う。


「…いらなかった?」


少女は首を振る。

俯いて肩を震わせて、ひたすらにそうじゃない、と言った。


「……笑ってほしい。さっきまであんなに楽しそうにしてたのに」

「…嬉しいです…とても…」


その言葉に微笑む。よかったと、安心した。

悲しいから涙を流しているのではないなら、それでいい。笑顔を見るにはもう少し時間が必要なんだと思った。


繋いだままの手を引いて屋敷に向けて歩き出した。

今夜は本当にずっと、こうして繋いだままだったな。そうでもしなかったら、この体は少女を見失っていただろうが…


今は枯れたコスモス畑を横に過ぎ、公園を抜けて林に入る。

いつか一緒に花火を見た川を渡って、泉を過ぎればすぐに屋敷が見えてくる。

庭の花たちが色とりどりの光をぼんやりと宿して、街はずれのこの場所でも十分に明るかった。


次の日、この花の香り立つ中朝日を迎える少女はどんな気持ちになるだろう。見えなくても、きっと精霊たちが彼女の目になってくれる。光の中に身を置く少女は夜よりも明るく輝くのだろう。

想像して、微かに胸が高鳴った。


雪の花を咲かせた桜の木を横目に、庭を通って屋敷に入った。


月明かりが差し込む窓。青白い光の中に身を置くと、体が浮くような感覚に包まれた。

片翼の羽の欠片が夜の光と共鳴して輝き出す。ただこの羽に願うだけ。彼女の願いを、幸せを。


思いに呼応するように金色の筋が流れて溢れ出し、少女の体に纏い始めた。


「……なんだかあったかい…」


そう呟いた少女の髪がふわりと浮いた。目元を覆っていたリボンが解け、透明な瞳が露わになる。

目があったような気がして、微笑んだ。


「約束を果たそう。お前の願いを、俺に叶えさせて」


償いきれない罪は魂ごと持って行く。さいごは深い気持ちで終わらせたい。

残光のような記憶がゆっくりと頭を埋め尽くしていく中で、一番大切なものを手繰り寄せた。色褪せることなく鮮やかなままのその記憶が、自分の思い全ての始まりだった。


「ありがとう。とても幸せな時間だった」


透明な瞳に金色の粒が映り込む。身をかがめて、少女の額にそっと口付けをした。ちゃんと触れられたのかはわからないが、少女ははにかんだ後で言う。


「…私も…今日はあなたとずっと一緒にいられて幸せでした」


彼女の笑顔を見て、安心して笑い返す。最後が好きな笑顔でよかった。


心の底から満たされていく感覚に意識を委ねた。

この身を離れた翼の欠片は、ゆっくりと光を放ちながら消えていく。


黄金色に満ちた世界の中で、淡く、消えそうな紫が一度煌めいた。



鐘の音は遠く。

やがて訪れた静寂の中、名残のように漂っていた白い光が、夜を後に残して消えていった。




次回 最終回、エピローグになります

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