Part-7
ー さいごの約束のお話 ー
「聖夜祭、一緒に行かないか」
一年で一番大きな催し。街はその準備で賑わっていて、大通りは灯りが木に絡められてとても綺麗だ。青白い小さな光の粒が、雪を煌めかせる。星の道が出来ているみたいで、神聖な夜を演出する息を飲む景色だという。
昨年も一昨年もそのずっと前も、その日だけは街に出なかった。光が明るすぎて、この目は痛くて世界を映せなかった。だから初めて見る。
今まで少女と見てきた景色が美しく思えたように、今回も、特別な思い出になるだろう。
「聖夜祭…?」
「そう。街の催し。この前、俺と街を歩けるの嬉しいって言ってくれたから…心変わりしたなら無理にとは言わないが…」
とっさに断られた時のための予防線を張ってしまう俺に、少女は眉を少しだけ下げた。白い包帯の下の目が呆れた表情をした気がした。
「…一緒に行きたいです。ずっと手を繋いでいてくださいね」
「…ああ」
安堵して微笑む。
聖夜祭の贈り物はもう決めた。少女はきっと喜んでくれる。想像するとなんだか気分が浮くような感じがした。笑って見上げてくる姿が目に見えるようで、早くその瞬間が来たらいいのにと思う。
「楽しみです。またあなたとの思い出ができるんですね」
「……俺も、楽しみ」
同じ思いでいられることが、こんなにも心を穏やかにする。大罪を犯したこの身には余るほどの幸福感がじわりと広がった。
いや…どう贖うかはもう決まっている。だから残された僅かな時間が、ささやかであればあるほど満ち足りるのだ。会話一つさえ、少女の反応の変化さえも愛おしく大切で、それが永遠に続くことは叶わなくても、だからこそかけ替えがないのだと思う。
「…少し寒いですね…雪でも降りそうなくらい」
「暖炉はついてるが…もう少し強くしようか」
立ち上がって、壁際の暖炉に近寄った。炎の色が部屋全体をぼやけたオレンジに染める。薪をくべると、ぱちぱちと弾けた音が鳴った。風を送って炎を少し大きくした後で、少女の手をとって暖炉に導いた。
「…あったかい…」
細い手を炎にかざすと、少女は呟いた。白い姿が淡く金色に揺らめく。その影を見て、僅かに目を細めた。
少女はいつも冷たい。指先も頬も、温度を感じない。
なのにそばにいるだけで心があたためられて、優しい声音には温もりが込められている。自分が少女に癒しや救い、愛おしさを感じるのは、彼女自身のそんな優しさなのだと改めて思う。
「春の日のこと…覚えてますか?」
「……桜を見た日か?」
「はい。あなたの髪に花びらが絡まっていて、それをランプの光に透かして見せた」
「…覚えてる。昼間、川辺に咲いた桜並木を歩いてついた花びらだったな」
自分の容姿を改めて見直したあの日。突然現れた少女に戸惑いつつも、変化を見せはじめた世界に期待を抱いた。
歯車は結局壊れてしまったけれど、今思えばあの時から、自分の心の叫びはずっと少女に届いていたのだ。あの瞬間、この心はもう救われていたのだと思う。
「桜並木…私も見てみたいです。咲いたら、一緒に行けますか?」
「……ああ。きっと」
見てみたい。そう言った少女の心は正確に読めなかった。無意識に言ったのかもしれない。元に戻る見込みも可能性もあるかわからないけど、自分にその未来は知りようがない。
願わくば薄紅色に彩られたあの景色と、澄み切った青い春の空を少女が見られますように。その白い髪に桜の花びらを飾って微笑む姿が、閉じた瞼の裏に浮かぶと、なにか熱いものが目を覆う感覚がした。
「…。紅茶でも淹れよう。少し待ってて」
こみ上げそうになる感情を留めて立ち上がる。未来を想像すると陥る胸の息苦しさは、もう何度目かわからなかった。
歩き出そうとした俺の手を、冷たい感触が絡め取る。少女が引き止めるように両手で包んでいた。
「…私も行きます」
他になにか言いたげな様子だったが、そう言ったきり俯いてしまった。あまり深く聞けば、自分も困る事態に陥るだろうと思って聞かなかった。黙って手を引いて、部屋を出る。
「ぁ…」
扉を開けたすぐ正面の窓。ふっと掠めた影に視線を止めると、雪が舞っていた。どこからか風に運ばれてやってきた粉雪が、銀の輝きを纏って降りてくる。
「雪だ」
「ぇっ?」
つぶやくと、少女はその言葉に反応して、かすかに高揚した。
「雪、降ってるんですか?庭に行ってみます」
ぱっと手を離すと駆け出す。手探りで進もうとする後ろ姿に声をかけた。
「っ、待て、1人じゃ危ない」
見えてない代わりに感覚が研ぎ澄まされているのか、壁伝いに廊下を曲がろうとする。その先には階段があるのに。
焦って追いかけていくと、危うい足取りで階段を下りていくところだった。
止める声をかけようとした瞬間、がくっと少女が視界からずれた。
咄嗟に手を伸ばす。届かない距離じゃなかった。むしろ抱きとめられるくらいに近かった。
なのに手は少女の体をすり抜けて、空を切った。
視界いっぱいに白い髪が広がる。鼻を掠めた甘い香り。
瞬きの間に、少女の体は階段下に倒れていた。
なんの理解も追いつかないまま少女に駆け寄る。何か言う自分の声すらも耳には入ってこなかった。
ただ、言い知れぬ喪失感が、息を、声を、全身を震えさせる。抱き起こそうとした手は、少女の体を何度も通り抜けた。
どうして。
なんで…
触れられない事実がじわじわと頭に浸食し始めてようやく、焦りと不安と、恐怖という感情を認める。
「…ぅ…」
微かに呻いて、少女はゆっくりと体を起こした。顔を覗き込んで、声をかける。
「大丈夫か?どこか怪我は…」
見たところ打ち身くらいで、血が出ている様子はない。少女もその問いに首を振った。
「少し体を打ったくらいです…すみません…」
触れようとした手が躊躇ったまま、空で止まっていた。見れば自分の手ひらの向こうが薄く透けて見えた。さっきは確かに繋いでいたのに、少女が手を離してしまったから。
少女に触れることすらできなくなってしまったら、誰がこの中途半端な自分を認めてくれるのだろう。
せめてあと少しだけ。聖夜祭の夜は、ずっと手を繋いでいようとさっき言ったばかりだ。
消えかけた指先を少女の頬に添えた。なにも感じないけれど、この目にはきちんと触れ合って見える。
「…震えてるんですか…?」
少女は、俺の添えた手にそっと自分のを重ねてきた。すると冷たくて細い指先の温度が手の甲に伝わる。
驚いて、咄嗟にその指を包んだ。
ちゃんと、ある。ちゃんと触れてる。
…よかった。
堪らず握った手を口元に押し付けた。ひんやりした柔らかな肌が微かに唇に触れる。
臆病になった自分が情けなくて、今多分、ひどい顔をしているのだろうと思う。力なく笑って見せても、彼女は見えない。泣きそうな顔も、咄嗟に恥ずかしいことをして熱くなった顔も。
「…俺の手、わかったんだな」
「……なんとなく、そんな気がして。前は、見えなくてもあなたのことすぐに感じられたのに…最近はそれもできなくて…」
もう、神様の使徒ではなくなったから。膨大な光の力はこの体には残ってない。
さっき少女が俺の手を握ってきたのは、掴めなくなった気配を手放さないようにするためだったのだと、ぼんやりと思った。
「いなく、ならないでくださいね…ずっとそばにいてください。じゃないと、暗闇に飲まれてしまいそうなの」
不安げに小さく呟いた声にやりきれなくなる。俺が消えようとしていることをわかっているのかと、聞きたくなった言葉を飲んだ。約束できないから、苦しい。導として求めてくれることが嬉しくて、満たされるはずなのに、なぜだかとても悪いことをしているような罪悪感が生まれる。
「…怖くなったら、手を伸ばせばいい。いつでも触れられるところにいるから…大丈夫だ」
少女から手を絡めてくれる限り、この体に触れられる。ぎこちない手つきで何度も頭を撫でた。
大丈夫。昼の世界に舞い降りたら、そこらじゅうに光がある。眩しくて美しくて、悲しくて優しい世界があるから。今は暗くて、俺なんかを光にでもしないと怖いかもしれないけど、それ以上を知ればなにも心配ないから。
「雪、見に行こう。立てるか?」
「…はい…」
2人でゆっくり立ち上がって、今度は寄り添って歩く。初めてをたくさんあげたい。時間が許す限り、この体も心も、もう彼女のためだけに使い切ると決めたから。




