Part-4
ー 白い雪花のお話 ー
今日は…また、少女に会えない。
たくさん泣いていたあのときに、結局自分にできたのは、小さな手の細い指先を弱く握るくらいで、気の利いた言葉もかけてやれなかった。
厚い雲が覆った空を見上げる。もうだいぶ空気が冷え込んできて、本格的に冬の気配が森に広がっていた。初雪ももうすぐだろう。今夜にでも降りそうなくらいだ。外に出れば、白い息が目の前を掠めた。
寒い。冷たい。
いつもの装いで出てきたことを少し後悔する。今まではそう頻繁に外に出ていなかったし、ましてや、こんな風に温度を感じることもなかったように思う。失った色を取り戻したから…?前より多く感情を知って、いろんなことに目が向くようになって、自分自身が色づいていくよう。
それはいいこと、なんだろうが。
冬のこの不安定さは一体なんなんだろう。
言い知れぬ孤独感を含ませた陰があらゆるところから手を伸ばしてくる。この目に映る景色は、灰色ばかりだったあの頃の世界によく似ている。
逃げ場のない、どうしようもない寂寥感。静かすぎる森を抜けて、やがて人の多い街へ出た。
さっきまで感じていた心を、人々の話し声の中に追いやった。意識しなければ、寒さも気にならない。
今日は会えないとわかっていても、こうして街を出歩くのはいつか一緒に出かけるとき、いろんなものを見たいから。
昼間にいることができない少女に、違いを聞かせて楽しませたいから。泣いている姿を思い出すと辛いけど、自分が笑えば彼女も笑ってくれることが嬉しい。その逆もまた、自分の心を潤した。
ー*ー
シャラン、とドアベルが鳴った。外気で冷たくなった取っ手を押して扉を開ける。初めて入る店だった。木の机、椅子、棚に所狭しと雑貨が置かれ、その全てがランプの鈍い光を受けて輝いていた。ショウウィンドウに飾られた売り文句、『特別な贈り物に』の意味をぼんやりと理解する。
普段使いでない陶器の食器や、リボンのついたスプーン。小さな木彫りの動物、スノードームにオルゴール。ネックレスやイヤリングなんかのアクセサリーもあった。
暖かそうなワンピースに身を包んだ少女が、すぐ脇を通り過ぎた。フリルをあしらった、淡い水色のワンピース。カウンターで買い物を済ませている女性の腕に甘えて、弾んだ声を出す。
「ねえ母さん、今年の聖夜祭にはもう一つプレゼントが欲しい!」
聖夜祭…確か、この一年で一番大きな催し。
母親らしきその女性は、優雅に笑って少女に答えていた。
「わがままを言うんじゃありません。今日で一つお姉さんになったんだから」
「えー!だって友達はみんな、聖夜祭と誕生日別の日だからって、一年にプレゼント二つもらってるんだよ?私だって別の日なのに、時期が近いからって一個しか買ってもらえないなんて…」
「だったらお父さんに頼んだら?私からは、この手袋をあなたの誕生日プレゼントに贈るから」
「そっか!そうしてみるね!」
雑貨店の店主は、そんな親子の会話を聞きながら優しい表情で手袋を包んでいた。
赤いリボンで飾られたその箱を、少女は大事そうに受け取った。ふとその面影が、あの少女と重なる。
贈り物…したら、喜んでくれるだろうか。
近くにあったオルゴールに手を伸ばした。冷たい金属の感触に胸が痛む。
思い出…あのオルゴール。あれを…
もう一度元に戻すことはできない。
出会って間もない頃、桜を一緒に見た夜。思いを音に認めたと言っていたあのオルゴールを、俺は踏み潰して壊した。
世界にたったひとつだけの少女の大切なもの。思い出せば身勝手な苦しさがこみ上げてきて、唇を噛んだ。
目につくオルゴールを全て手にとってみた。
違う…違う。どれも違う。
形も音も、全部違う。どうしたらいい。あれじゃないものに、意味なんてない。
ああ…あれはどんな音だった?どんな旋律だった?
よく聞かされていた。素敵でしょう…?そう言っていつも。
思い出せない。何度も聞いたはずなのに。嬉しそうに笑う少女の顔ばかり浮かんで、肝心なことは何も、思い出せなかった。
「オルゴールをお探しですか?」
不意に横から声をかけられ、顔を向ける。驚いて目を見開くと、さっきカウンターの向こう側にいた店主が穏やかな表情で俺を見上げていた。
間違いなく交わされている視線に戸惑う。
「ああ…それ、綺麗でしょう?」
何も答えられずにいた俺を置いて、店主は目線を下げた。俺が持っていた白い花をかたどったオルゴールを見て言う。
「雪花というのですよ。散りゆく花と舞い降る雪というのは、儚げでどこか似通っているところがありますから。その白い素材は貝殻なんです。手触りもいいでしょう?」
「あ…ああ」
「どなたか思う人へのプレゼントですか?聖夜祭も近いですからね」
目尻のシワが深くなる。その笑顔を見て、なんとなく納得した。
善良な人間だからか、と。
そうでなければ、俺を見ることなどできるはずないのだから。
もう一度オルゴールに視線を戻した。よく見れば、かすかに妖精の光が宿っていた。他とは少し違う、特別な思いの込められたもの。音楽も素材も、俺が壊したオルゴールとは違うけれど…
少しでも…元気付けられたら、なんて…
「これを…贈り物用に包んで欲しい」
「かしこまりました」
ー*ー
片手に収まるほどの小包を見て、深いため息をついた。買ったはいいけど、果たして渡せるのか。
少女は優しいから、きっと笑ってありがとうと言ってくれる。でも…
本心では大切に思っていたあのオルゴールを思い出すだろう。
そもそもあれに勝るものなど俺が用意できるわけないけど、だったら渡すことも躊躇われた。
歩き出して、視界を掠めた何かにすぐに足を止めた。
ふわっと白い綿のような雪が、近くに、遠くに、ゆっくり降ってくる。見上げれば、灰色一色を塗りつぶしたムラのない、平坦な空があった。
雪、白、花…
軽やかに舞い散る、触れればすぐに消えて、冷たい。
寒い。
少女に、会いたい。
会って、触れたい。消えないことを確かめて、この腕に抱いて、指先は冷たくても、体はきっと違うから。その温度を感じたい。
今、会いたい。今なら迷うことなく触れられる。衝動の赴くままに求められる。なのに少女はここにいない。夜だけじゃ、足りない。
こんなに寒くて冷たくて、あたためて欲しくて、それができるのは少女だけなのに。笑顔を思い出すだけじゃ、足りない。
その瞳は…
記憶の中の、あの笑顔は…
もう二度と、見られない
ここまで読んでいただき、ありがとうございます
真夏に冬のお話を書くのは難しくて、一週間に一度の更新頻度も落ちそうです、、
あと冬パート5話ほどと、エピローグで完結できそうです
またどこかでお会いできたら覗いていただると嬉しいです
白藤あさぎ




