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旅人と黄金色の文字  作者: 白藤あさぎ
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      Part-3




   ー 透ける微笑みのお話 ー




願いが叶ってからというもの、青年は少しずつ大昔の頃の心を取り戻していった。妖精が織りなす音の調べに耳を傾けることも、久しくしていなかった彼は軽やかな旋律に自然と笑みを零した。

明るい日差しの中にいる自分を少しずつ受け入れて、明日への希望に溢れた夜を過ごす日々。


もう一度生まれ変わったかと思うほど。

凄惨で逃げ出したかった過去など長い夢だったのだと思えるほど。


世界の色に魅せられて溺れていた。


それでも、月の光とともに現れる少女は、その幸せな夢から青年を引き戻す。ぽつり、胸の内に小さな蟠りを落として、青年は彼女を見て切なげに笑う。月の出ている夜は必ず現れるとわかっているはずなのに、今日も会えてよかったと安堵する。まるで現れないことを恐れているように。


彼が幸せに浸ろうとするのは、心の奥の隠した悲しみから逃れたいから。

まだはっきりとはわからない、けれど確実に壊れてしまったなにか。その喪失感に耐えられないことだけはわかっていた。


だから今日も気づかないふりをする。少しだけ無理をして、少女に笑いかける。



ー*ー



「ずっと眺めてるんだな」


もう何日も、少女は現れては月を見上げるだけの日々が続いていた。飽きもせずに、ずっと首を傾けている。隣で俺が本を捲っても、読み終わって立ち上がっても、何か話しかけるまではずっと黙ったまま。

視界の隅に少女を捉えながら、ページを捲るだけの動作にしびれを切らして声をかけた。


言ってしまってから、ずっと見ていたことがバレてしまうようなこと、と少しだけきまりが悪くなる。

何をしようと少女の勝手だし、構わないのだけれど。

なんだか少し…少女が遠い気がして落ち着かなかった。


「飽きないのか?」

「…空は一度だって同じ瞬間はないから。それに…」


忘れてしまう気がして。


躊躇った後に少女が呟いた。吐息の多い声は掠れて苦しげに聞こえた。

声にこたえようと浮かんだ言葉はいくつもあるのに、そのどれも、次に返ってくるかもしれないことを予想するとなにも言えなかった。


なにか別のことを。少女が喜ぶような、楽しめるような別の話題はないだろうか。遠のいてしまった距離を再び縮めることができるようなきっかけはないだろうか。そもそも以前の関係も近かったとは言い難いが、心ない返事はもうしない。


だから…

少女のほうからもなにか言って欲しい。

今までこんな気持ちだったのか?いくら声をかけてもそっけなかった俺に、もうそんな気力起きない?今俺が少しだけ胸の奥に痛みがあるみたいに、少女も明るく笑いかけていた裏で同じ思いをしていたなら、自分の今の痛みは報いだと思える。


「…街に行きたいか…?」


前は、何かと街に行きたがっていた。いつも少女からどこかに行きたいと言い出していたけど、今はそんな気配はない。出るのを嫌がってた自分から誘うのもなんだか居心地が悪くて、昨日までは聞けなかった。でもそんな思いなんて抱く隙がないくらい、少女を元気付けたい一心だった。


問いかけた俺を見ることもなく、首を横に振る。


「…もう行くなとは言わない」

「……ひとりで行くのは少し怖くて」

「嫌なものを見るから?」


もしもそうだとしても、俺はもう役目を棄てた。戻るつもりもない。少女がそれに心を傷めるのを黙って見ているだけになったとしても、少女が代わりになったとしても、戻るわけにはいかない。もうこの心を失いたくない。


けれどその問いにも、少女は首を振った。


「……いいんです。感じたいものがここにあるから、外にでなくていい」

「感じたいもの…?月ってこと…?」


それ以上少女は答えなかった。その代わり、困ったように眉を下げて笑う。さっきまで見せていた泣きそうな顔に拍車がかかって胸を締め付けてくる。なにもわかってない、そう言われたような気がした。それが図星だから、やるせなくて拳を握った。


わかりたい。知りたい。もっと近づきたい。

たとえるならそう…物語のなかの男女みたいに、少女といろんな気持ちを交わしたい。


「……街に行った。昼間、お前がいない間にいろんなところを歩いて、たくさん、行ってみたいところをみつけた」

「……」


喉の奥が熱い。意識してしまえば、自分がこれから何を言いだそうとするのか考えるだけで心臓が脈打った。


「…ここにいたいならそれでもいい。けど…最近ずっと空を見上げてばかりだし、飽きてきたら…一緒に…街に行かないか」


いつのまにか体に力が入っていて、眉間のあたりが攣ってきた。何も特別な言葉ではないのに、自覚以上に込めた想いは特別で、大きかった。色を取り戻してから、何をみても、何をしても、感じる全てを少女とともに。


「…一緒に?」


少女は微笑みを消して、目を見開いてこっちを向いた。ちゃんと少女の顔を見たのは久しかった。いつからだったか。こちらを向いた少女の、透明で色のない、ガラス玉見たいな瞳。大きな違和感が心にひとつ亀裂を作った。


「あなたと一緒に、街を歩けるのですか…?」


続く問いかけに、ふっと意識を戻す。食い込んだ衝撃にまだ目が覚めずに曖昧な返事をした。


「嬉しい…」


ふわりと笑う。柔らかく緩んだ微笑みは、記憶の中のそれとズレて焦点が合わない。

嬉しい。俺も、そう思えるはずだったのに。どうしてこんなに痛くて苦しいのだろう。


そんな心に気づかれたくなくて、少しだけ無理して笑う。


「やっと笑った」

「ぇ…」

「最近ずっと、泣きそうだった」

「…そんな顔……もしかして、それで元気付けようとしてくれたんですか?」


それもあるけど、それが一番じゃない。ただ、ようやく得たこの幸せを少女と一緒に感じたかった。

同じ景色をみたい。綺麗だと笑うお前に、そうだなって言える。その瞬間が待ち遠しかった。


「……私のこと、見ててくれたんですね」

「…居心地悪かったか…?」

「いいえ。むしろ嬉しいです。私が笑ってたら、あなたも笑ってくれますか?」

「わからない。でも、お前が笑顔だったら…少し安心する」


さっきよりもずっと驚いた顔をして一瞬惚けたかと思うと、また少し眉を下げて笑う。心なしか頬を染めて、俯きがちになった。透明な瞳が睫毛に隠れて見えなくなると、違和感の締め付けもふっと緩む。


「嬉しいです…本当に……っ」


一度大きく息が乱れた。それを合図にすっと音もなく涙が少女の頬を伝う。そこからは堰を切ったようにぽろぽろととめどなく溢れ続けた。


突然のことで狼狽える。傷つけたわけではないのはわかるから、余計に理解が追いつかない。

戸惑っているうちに少女は両手で顔を覆って、その場に膝をついてしまった。同じように屈んで顔を覗き込むけど、当然表情がわかるわけもないし、小さな手は雫を抑えきれていない。


涙を止められない少女に、なにもしてやれなかった。

こんなときどうしてやったらいいのか、自分に何ができるのか、必死で考えるけれどなにも浮かばなくて。

震える手を握ろうとするけれど、それをしたところで慰められるのかわからない。むしろ嫌がられてしまう気がして、拒まれたら怖くてできない。


前は…こんなじゃなかった。思い起こせば無遠慮と思えるほどに強引に手を引いていたのに、したいときに限ってできなくて、もどかしい。

自分のすること、言うことがどう思われるのかが気がかりで踏み出せない。


違う。

本当は、そんな理由じゃない。


俺には、少女を慰める資格なんてない。こんなふうに泣かせているのは自分なのに、そもそも慰めたいと思うことも、俺がすることで慰められて欲しいと思うことも間違ってる。

だったら少女の涙に心を揺さぶられたくはないのに、そんな抑制もできなくて苦しい。


近くにいて、隣にいるのに、あと少しの距離が届かない。


拒まれてもいいと思えるほどには、少女を助けたい気持ちも強くはないのかもしれない。


そんな自覚がまた、胸を締め付けた。




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