Part-2
ー しるましのお話 ー
或る日突然、世界が明るくなる。救いのない世界の中で、希望を見つける。足掻こうと思える、そんな瞬間が誰にでも来るとしたら。青年にはその時だったのかもしれない。
その日、王都はメインロードを中心にバザーが展開されていて、人で賑わっていた。エメラルドバザーと言われているらしい。青年に色はわからないが、逆三角に切られた旗が連なって、その中に濃い色で王国の紋章が縫いこまれていた。多分、エメラルド色なんだろう。
人々は並ぶ露店に立ち止まったり、偶然出くわした知人と話し込んだり、広場でやっている余興には、子供が多く集まっていた。石畳の上、硬い靴を踏み鳴らす。馬の蹄の音と車輪が心地よくリズムを刻むのを聞きながら、目当ての店に向かった。
古びた看板が降りた、露店でない店。正面の扉には、バラの花びらのところがガラスでかたどられた洒落たデザインが施されていた。チリリリンと涼しい音をさせて扉を開く。落ち着いたオルゴールの音がすっと耳に流れてきて、微かに花の香りがした。
「いらっしゃ…おや…?」
カウンターに腰掛けていた初老の男性が怪訝そうにこちらをみつめる。この店の店主だろう。その視線を置いて、ほんのり明るい店内を進んだ。
バザーを表でやっているせいで、こっちは別の世界のように静かだ。染み入るようなオルゴールの音が心地いい。
花の種を数袋、選んで代金を置いた。店主はカウンターに隠れて本に熱中しているようで、気づいていないらしい。そのまま店を出て、また騒がしい街の中に足を進める。
この種はどんな花を咲かせるのだろう。アイリス、シオン、アガパンサス。どれも草花の類だけど、名前だけでは想像がつかない。色はどうせわからないけど、模様とか形を想像するのは暇つぶしになるだろう。知ることが増えれば、図書館の本も増える。
大通りを少し歩いた後、角を曲がって路地に入る。喧騒を逃れると気が楽だ。聞こえてくる人間たちの声は決していいものだけではないから。普通よりも遠くまで、小さくても鮮明に拾ってしまう耳。それだけならまだよかった。もう何年もずっとそうだから、さすがに耳をふさぐことすら面倒になった。心の裏の声は、耳を塞ごうとも意味はない。頭に直接響くように伝わってくる。
聞きたくない音に限って、執拗に聞こえてくるのはどういうわけだ。この心理を作り出した神様とやらは性格が悪いと思う。望めば望むほど遠ざかる。それはなにも音だけではない。なにかに見透かされたように、この世の中は欲で溢れかえるように作られているようだ。
神様、なんて所詮そんなものだ。人間のためになにかをしてくれることなんてない。世界を綺麗に作り直したって、それは果たして本当に世界のためなのだろうか。憎む心を奪って、恨む心を抑え込んで、それは、正しい世界の形と言えるのだろうか。
確かに、憎しみの連鎖をうまないことは、不幸なものを生まないための最善策だと言えるのかもしれない。それに囚われてしまうこと、生きる希望や意味を、復讐に見出すことは幸せだと言えるのか、自分にもわからない。
それがわかるのはきっと当事者だけ。
この世界には最初から、恨みつらみの心がない。つまり考えようもない。
誰に聞こえるわけでもないため息をつく。どれだけ考えたって、自分の使命が変わるはずもない。自分もまた神様とやらによって生まれた存在なら、飽きられるまで踊らされなくてはならないのだろう。
逃げようもないのだ、感情なんてとっくに捨てた。
図書館に帰る途中の公園に差し掛かった。人の多い噴水広場を避けて、木々が散在する小道を歩く。この林を抜けた先に小川があって、そこを渡ってさらに森を突き進めば図書館にたどり着く。
人は小川を境界にして、そこから先へは寄り付かない。悪魔の棲む森がある、そう言い聞かされてきているのだろう。
葉の揺れる木の下をゆっくり歩く。もうすぐ夕暮れ時。足元を通り過ぎる風が冷たい。
遠くで聞こえるバザーの音楽が、今日の終わりを告げるゆったりとしたメロディーに変わる。
また、夜が来る。はやく帰って蝋燭に火を灯さなければ。闇に飲まれたら何もわからなくなる。
おまけに少し寒くなってきた。若葉が枝先に姿を見せただけの木は、春の訪れを知らせはしてもあたたかさは微塵も感じられない。見ている景色はいつだって冬そのものだ。
「運命を、憎んでいるんですね」
ふと、聞こえた声に歩みを止める。
しわがれた低い声だった。心の声とは違う、誰かに向けて言われたもの。
憎む、という単語が引っかかった。
そんな感情、この世界の人間たちは知らないはずだ。
「いいんですよ、心に身を任せても。壊してしまっても、いいんですよ」
不吉な匂いがした。にじみ出る闇の気配が、あたりを包んでいく。しわがれた声のそばに、すすり泣くような濡れた声もあった。
気になってあたりを見渡すと、林の陰に隠れた二つの人影があった。一つは背が低くて腰が曲がっている、年老いた雰囲気のもの。引きずるほどのローブを被っていた。もうひとつは、小柄な…あの服は修道服か…
「これを差し上げましょう。あなたの覚悟は、きっと神に届きます」
キラリと光る何かが、修道服のなかに吸い込まれていった。冷たい風が足元を過る。舞った木の葉で視界が一瞬途切れた。次に見た時、影の一つは消えていた。あとには浸み込んでいく啜り泣きが残っただけだった。
ー*ー
館の重い扉を開いて、硬い床を音を立てて歩く。天井が高いせいか、音がよく響く。シャンデリアと、壁についているろうそくに火をともす。手元にぬくもりを感じると、ようやくほっと息をついた。
買った種を蒔くのは明日にしよう。
小さな種子袋をテーブルに置いて、いつものように書斎に向かった。
窓際に座って、帰り道に聞いたあのやりとりを思い出す。
人間じゃない何かが、人間に良くないことを吹き込んだ。憎む、壊す、身を任せる。そんなことを掻き立てたら、世界が揺らぐ。神様が作ったこの綺麗な世界が、汚される。
止めなければいけないのか。
そんなことしてなんになる。そんな正義ぶったこと、気だるい。世界が壊れるなら、それでいいじゃないか。
そうしたら俺のこの色のない景色も、なにかが変わるかもしれない。色づいて見えるかもしれない。
ああそうだ…
人間の感情が足りないのだ。あるべきものを奪われた世界だから、見えない。俺は悪魔だ。人間の穢れた憎悪、嫉妬、怨嗟、そういう感情があってこその存在だ。
どうしてもっと早く気付かなかったのだろう。もう何万年も生きてきたというのに、愚かだった。
この生まれもった性が、世界を歪にする。
壊してしまえ。そして色づいた世界を見せてくれ。憎しみに溢れた世界は、一体何色に染まるのだろう。
細かく区切りすぎてるかもしれません、、
読みづらい等のご意見ございましたらよろしくお願いいたします