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旅人と黄金色の文字  作者: 白藤あさぎ
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      Part-9




   ー 闇染めのお話 ー




会わないと決めた日から、数週間が経っていた。今日の月は細い。明日か、その次の日には新月だろう。つまり少女が現れない。


できればすぐに、目的を果たしたかった。

この重い感情からすぐに解放されたかった。なにか色々考えて、躊躇(ためら)ってしまうことがないうちに。決意の固い今のうちに。


「おかえりなさい…!」


久しぶりに聞く声が廊下の向こうから飛んできた。覚えのある足音が近づいてくる。あかりの灯っていない館の中で、ぼんやりと白い光が階段の踊り場に滲むように現れた。

心なしか、いつもより明るく見えるのは周りが暗いせいだろうか。


「……」

「なんだかあなたに会うのは久しぶりですね…!」

「…そうだな」


いつもの部屋を目指しながら、足早に少女の脇を通り過ぎる。やけに声にが高ぶっているのは気のせいだろう。

月が浮かぶ窓辺までいって、どうに話を切り出そうか少し考えた。


「今日、街でバザールをやっていたんです。秋は夜が長いから、月が出てからも明かりがついていて…」


黙っていた俺に、少女は語り出した。前から外に出たがっていたし、なにをしようと勝手だけれど頭は気になって思考を止めた。てっきり、少女も少女で与えられた役目のために出かけていたのだと思っていた。

俺が何も言わずにいるので、少女は続ける。


「公園に行ったら、紅葉がとても綺麗だったんですよ。赤と橙と、黄色と…街灯に照らされて、葉っぱが一枚一枚明かりみたいでした」

「……」

「夏にお祭りでみた、あの雪洞(ぼんぼり)みたいでした。それから、コスモスのお花畑を見つけたんです。ここの庭園にはなくて、私も初めてみる花でした。ピンクとか白とか、マゼンタ色の可愛い花びらがついていて…秋桜とも言うんですって」


想像もできない話を続ける。一人でずっと一方的に喋ってるだけなのに、何がそんなに楽しいのか、少女は笑みを絶やさずにいた。

色の話は避けていたんじゃなかったのか。見えないし想像もできないことを知ってるはずなのに、わざとらしいほどに詳細に伝えてくる。


「桜、春に一緒に見たの覚えてますか?私が好きになった花…バザー、まだ明日もやるそうです。ねえ、あなたも見てみたいでしょう?明日一緒に行きませんか?」


何かが壊れていく。自分の中にまだ、壊れきってないものがあったことをその時自覚した。崩壊していくものの正体をこじつけて、自分からそれを速めた。

どろどろした塊が喉のあたりに絡まった不快感がずっとあった。なんだか無性に声を上げたい。落ち着かせようと静かに深呼吸をすれば、それと一緒に言葉も飛び出そうで息が詰まった。


これに、悪意がないと言えるだろうか。見てみたいか、だって?

何が楽しくて灰色の無感動な景色を見に外に出なきゃならないんだよ。


「行かない」

「…でも、色、きっと思い出せる」


露骨に眉間に皺がよった。どうしてそんなことを言うのか理解できない。何の根拠があって、どれほど確実性があって言ってるのか、ただ怒りしか湧かない。


「私の目を通してなら、色が分かるのでしょう?」


…ああ…そうだ。その目を通してなら、俺は色を見られる。それさえあれば、願いが叶う。なんだ分かっていたのか。最初から差し出してくれるつもりだったんだな。だったら早く言えばよかった。


「じゃあ、それを頂戴」

「ぇ…?」

「その目、くれるんだろ?」

「…違います、そうじゃなくて…一緒にいて、一個ずつ色を覚えていけば取り戻せるってあの人が…」

「そんな面倒なことしなくても、その目をくれさえすれば済むことだ」


一歩近づくと、少女は怪訝そうに後ずさった。

その仕草に苛立ちが増す。色をくれる気なら拒む理由なんてないのに。

部屋の隅に追いやるように徐々に距離を詰める。月明かりの窓から離れると、少女の光も闇に飲まれかけていた。

わずかな光源のその月さえも、薄雲がかかって遮られている。どす黒く渦巻く感情が色を濃くしていた。


「違ぅ…こんなことしないで…」


怯えた顔。今までそんな顔、向けられたことない。そんなに今の自分は怖く見えるだろうか。でも、だとしたらそう仕向けたのは少女自身だ。しなくてもいい話を、自慢げに見せびらかして言うから。余計欲しくなった。


壁際に追い詰めた少女に手を伸ばした。

その瞬間、微かな旋律が頭をこじ開けるように割って入ってくる。少女が胸元で握っていたオルゴールのペンダントが鳴っていた。


思い出と言っていた光景が一瞬脳裏に浮かぶ。少女と一緒に見た庭の桜。月明かりに透けた白い花びらが舞う。綺麗と呟いた、傾いた横顔。風に揺れた白い髪の柔らかさと、指先で触れた肌の温度が記憶の奥で霞んだ。

ずっと見たかった。少女が見るよりも前からあの桜の花は咲いていたのに、俺には見られなかった。


「…うるさいなぁ…」

「っ…」


ゆっくり音を一つずつ紡ぐオルゴールを引っ手繰るように奪って床に叩きつけた。小さく声を上げる少女を壁に押さえつけたまま、(かかと)でオルゴールを踏みつける。パキンと金属の砕ける高い音がして、それはあっけなく壊れた。音が止む。足元から淡い光が溶けていく。思い出とやらを踏み(にじ)って消した。再び静寂に包まれて、向き直ると少女は泣いていた。

また、それに思考が奪われる。鬱陶しくて仕方なかった。


「…なんで泣くの…?」


壊れたオルゴールを見つめる横顔に、今度は髪飾りが微かな煌めきを零す。

夏祭り、贈った夜に見た可憐な笑顔が浮かぶ。それとは対照的な今の少女の泣いた顔。胸の奥で何かが疼く気がして、耳の後ろが騒ついていた。

自分の中で大事なものが壊れていく予感を無理やりかき消した。


少女の光全てが今はとても煩わしい。強引に髪飾りを取って投げ捨てた。奥で華奢な音が散った。銀が砕ける細い音。少女がなにかを叫ぶ。やだとか、どうしてとか、聞いたって仕方ないようなこと。


「…酷い」


酷い?…酷いのはどっちだよ。ずっと苦しめられてきた。わけのわからない気持ちだらけで、どれだけ苛まれてきたかなんてお前にはわからない。

それなのに追い込むようなことを言ってきたのはお前だ。


「ただ…願いを叶えたかっただけなのに…」

「そう思うなら、その目を頂戴」


どうせ怪我したってすぐに治るんだろ。痛みだって感じないだろうし、願いを叶えたいと思ってくれるなら、それが欲しい。


「……くれる?」


ぎゅっと瞑った少女の目元をそっとなぞる。抑え込んだ肩が震えていた。見つめていたら余計な感情が入り混じって、何もできなくなる。そうなる前に…


もうあなたがわからなくなる。


つぶやくような声を無視して、少女の左目の眼窩(がんか)に指を沈めた。


ぐちゅ、と生々しい音がして、じわりと目元から血が溢れて垂れた。指先に力を込めてもなかなかでてこない。血で滑って、うまく取り出せない。いつも冷たく感じていた少女の温度がぬるく感じた。ぐっと勢いをもたせて引き抜く。細い糸が切れるような抵抗を感じながら取り出したそれを、口に含んだ。ひどく不快な、あの甘い紅茶を飲んだ時とは違う、こびりつくようなしつこい味。匂いと同じ味な気がした。ミルクを入れない紅茶の色は、今自分の指と口元を濡らすこの血と同じ色。それをぼんやり頭の奥で考えて、嫌に柔らかいソレを歯で潰して嚥下(えんげ)した。異物が沈んでいく動きが体の中心で止まると、全身に(たぎ)るような熱が走った。


体の奥が跳ねる感覚がして、心臓から熱がぶわっと広がってくる。少女を離して胸を押さえた。渇いた呼吸を繰り返して、息苦しさから逃れようと必死に空気を吸い込んだ。冷や汗が手と額に滲む。


その場に膝をついた少女が、よたよたと窓の方に這っていく。溢れ出る熱を押さえ込みながら、その背を追って床に押し倒した。近くなった距離のせいで血の匂いを強烈に感じる。


いつの間にか雲に霞んでいた月が出て、ほのかに明るい窓の下でぬめった手が少女の白い肌をなぞった。指先から血の赤が線を引いていく。体がさっきの感覚を求めてまた高ぶってくる。心臓の鼓動がとても激しく鳴っていた。聞こえてくるはずの悲鳴も、耳元でガンガン鳴る心音にかき消されていた。


勢いがなくならないうちに、もう片方の目のほうに歯を立ててまぶたごと食い破る。唇に触れた柔らかい肌の感触が、一瞬躊躇いを起こす。そこから逃げるように思い切り力を込めた。

突然、耳の奥を針で刺されたような叫び声に襲われた。体を抑える腕に力が入った。ギリギリと締め上げるように細い体に指が沈んでいく。舌と歯を動かして、眼球を残らず食らう頃には、少女はもう声も上げていなかった。


くたりと力をなくした体を置き去りにして、口についた血を拭う。引き伸ばされる生暖かい温度。鉄の味が気持ち悪い。立ち上がろうと窓辺に手をついた。ふらつきながら、足に力をいれる。


ゆっくりと、顔を上げる。乱れた呼吸を整えながら、窓の外を見た。




今まで感じたことのないほどの興奮が、大きな衝撃として全身を激しく叩いた。息が止まるほどの感動。それを、初めて知った。




ああ…これが…

ずっと見たかった色。ずっと望んでいた世界。まさかこんな…こんなに。


なんて、綺麗なんだろう。


夜はこんなに明るい。

これが、夜の空の色。深く重く、濃い色。月の光は、夜空色に輪郭を滲ませていた。本に書かれていた表現を思い出す。青白く、銀色の光を湛えた月。細い切れ目のような月。瞬く星は白や青、淡い赤にも見える。今まで白い光が弱かったり強かったりして見えていたものは、あんなふうに違う色だった。

白く靄がかかって、空に亀裂を走らせる銀河のなんて神秘的な輝き。


あんなに恐ろしく感じていた夜は、ずっと明るくて、光に満ち溢れていた。

流れ星がたくさん流れていた。水色の尾を引いて、地平線の向こうに消えていく。


絶望しか感じられなかった夜が、こんなにも明日の気配を滲ませている。あの空の果てから、今度は朝日が昇るんだ。こんなに待ち望んだ日の光は生まれて初めてかもしれない。


月はもう消えかけている。朝日を見たら、庭にでよう。そして今まで見えなかった葉の色を見る。花の色を見る。木の色を見る。この館も、黒く見えていたけれどもしかしたら違う色かもしれない。

そうしたら、街に行こう。海や川も見たい。昼間の空の色を知りたい。夜もまだまだ見足りない。


遠くの空が、明るく色づき始めた。藍色、群青色、そんな夜があたたかな色を滲ませる。押し退けるようなしつこさじゃなく、溶け込むような優しさがとても美しい。


これから、きっといろいろな感覚を、感情を知る。

そんな確信に胸が高鳴った。


すべての柵がなくなった解放感に浮かれて、苛んでいた重苦しい声があったことすら忘れてしまうほど、世界は美しく、光に溢れていた。


生まれて初めて、生きていて良かったと思えた。幸せだと思えた。





ここまで読んでいただいて本当にありがとうございます。

第3話 秋 はこれにて終わりになります。

次回、幕間を挟みまして 最終話 冬 に移ります。

しばらく更新とまりますが、またどこかで見かけたら覗いていただけると幸いです。


白藤 あさぎ

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