第1話 春 Part-1
−第1話 春−
ー 世界のお話 ー
この世界には、とても優しい愛がありました。あらゆる存在が、あらゆる愛の形によって守られ、世界は形作られていました。
けれども、愛が奪われ、壊され、失われると、世界はだんだん歪んで、悲しみを生みました。
愛が生まれては消えて、悲しみは積み重なっていきました。
世界をつくった神様は、最初はそれでいいのだと、世界の成り行きを見守っていました。
愛と悲しみは、表裏一体。愛するから悲しいのだと、悲しいから、愛は尊いのだと。二つの感情は、必然的に生まれて結びついたものだから。
けれど、世界はそれだけでは止まりませんでした。
やがて悲しみが、憎しみと怒りと、恨みを生みました。世界は争いを始め、多くの命が天界に送られていきました。奪われた愛を悲しみに留めることができなくなった存在は、互いに責め合い、その罪の所在を押し付け合いました。
神様は思いました。
世界から、悲しみ以外の負の感情を消し去ったら。愛を失う悲しみから、世界は立ち直れるかもしれない。
恨む感情を忘れて、憎しみを抱くことを忘れて、誰のことも責めずに、彼らの中で向き合わなくちゃいけなくなれば、世界は優しくなれる。
そうして生み出されたのは、神様から片方だけ羽を授かった真っ白な天使でした。
天使は、世界に滲むあらゆる怨嗟の声を、思いを、浄化するための受け皿でした。
世界が歪んでしまう前に、幸せな愛の記憶を蘇らせることで、神様の願いを叶える存在。優しい世界を願った神様の、使徒。
これは、生まれた天使のかなしい愛の物語。
ー 黄昏のお話 ー
青年には、色がない。
彼にわかるのは、白と黒の濃淡だけ。色を塗る前のキャンバスのように灰色の世界は、彼から感じる心を奪った。
異形の悪魔と言われて、大昔においやられたのは街のはずれにある小さな図書館だった。彼を見るものはもうこの世界にいない。
そこは林に紛れた静閑な場所。そっと目をつむって耳を傾ければ、湧き水の流れる涼やかな音が聞こえて来る。窓枠に腰掛けて、少し開いた窓から入ってくる風が葉擦れの音を運んでくるのを感じながら日向ぼっこをする。悪魔であることを忘れそうになるほど、青年にとってそこはあたたかで穏やかな空間だった。
葉の色、木の幹の色、水の色、陽の色、川の色、花の色、土の色、石の色。この林にあるあらゆるものの色、想像すらできないけれど。この視界には比較的明るいモノクロの濃淡がある。
昼の色。夜はもっと暗い。暗くて、物の輪郭がわからないほどになる。蝋燭を灯せばぼんやり明るく見えるようになるけれど、どこまでいっても闇の世界が広がっている感覚。
夜は嫌いだった。
真っ暗にしていると、どんどん空間が圧迫されていく感じがする。息苦しくて、なにかわからない強迫観念のような、頭を抱えて叫び出したくなる不快感に耐えられない。夜という概念を知る前、世界は1日ごとに終わりを迎えるものなのだと思っていた。光が飲まれて消えていく様を、見知った顔がじわじわと闇に蝕まれていく様を恐ろしく感じていた。闇を畏怖するのも、悪魔らしくないと言われた原因なのだろうか。
ゆっくりとまばたきをして、青年は窓枠から立ち上がった。そばの小さなサイドテーブルから陶器のカップをつまむ。まだ半分ほど残っていたけれど、冷め切ってしまっていた。窓際に置いてあった花瓶に注ぐ。水面が揺れると、瓶底から伸びる影も揺らいだ。
どうせ中身は泉から汲んできた水を温めただけのもの。花瓶に植物をさしてるわけでもないのに、水を足す瞬間、なぜか見入ってしまう。
瓶の水がいっぱいになったら…なにか花でも挿そうか…
読みかけの本にしおりを挟んで閉じる。どの本を読んでも、色の描写でいつも頭を悩ませる。どんなに細かく書かれていても想像できない。白黒の濃淡だけしかない平坦な世界にいるせいで、景色を見ても感動できないし、絵を描いても自分のキャンバスがどんな色になっているのかわからない。
かつて、周りから感情が乏しいとよく言われていたけど、生まれた時から変化のない世界を見続けていたのだから、仕方ない。
見てみたいと、そう願う日々に終わりがあるのだろうか。
空の色を知りたい。一度だって同じ色になることがないらしい彩を。昼も夜も、雨も雪も、毎日違った色が見える。星の明かりを、月の光を、太陽の温度を知りたい。
季節によって色が変わるらしい木々を感じたい。春の優しい萌黄色というのを、夏の盛る深緑を、秋の寂しい落ち葉を、冬の枝に咲く雪を、この目で見れたなら。
人々に疎まれる悪魔としての使命からは逃げられないから、願う日々にきっと終わりはない。
ただ無心に、悠久の時を貪って。
青年は、再び瞼を閉じる。
黄昏の刻。
果てのない世界に希望を抱くことはできない。いつか、は、青年には訪れない。何年も、何十年も、何百年も。これからの、ずっと先の未来も。
彼の世界には、色がない。
ー*ー
その日は朝から薄暗い日だった。太陽の光がいつもより小さくて、心なしか肌寒い。春先はまだ夜も冷えるし、こういう曇りの天気は暖炉の温もりが欲しくなる。
暇つぶしに育てている庭の花に水をやりながら、今日の予定を考える。最近園芸の本を読んだから、また花の種を街に買いに行ってみるのもいいか。それにしても、悪魔のくせに何をやってんだか。呆れ混じりの苦笑を零す。
咲いたって色なんてわかんないのに。
悪魔が育てたにもかかわらず、咲いた花には光が宿る。精霊の小さな光。
どうしてかその光を見ていると、気持ちが少し安らぐ。無垢なものは純粋に綺麗だ。この世界の歪さから唯一逃れた存在のような気がするからか。
どうせ街に出るなら、この際色々と店を回ってみようか。久しぶりに…
拙い文をおお読みくださりありがとうございます
少しずつ更新していきます
処女作ですので、なにかご意見等ありましたらよろしくお願いいたします