第3話 秋 Part-1
-第3話 秋-
ー 炎根のお話 ー
少女の背を追って走り出したのは、少女が館を出てしばらく経った後だった。カーテンを閉めた部屋で、月明かりもない中よく一人でいられたと思う。目を瞑ったまま眠ってしまえたらよかったかもしれないけど、それは叶わなかった。行ってしまった少女のことが気がかりで眠れない。眠れないどころか、頭の中はずっとそのことでいっぱいで苦しいほどだった。
外に出て、とりあえず街の方に向かう。
騒ぎの声は境目である林を抜ければすぐに耳に入ってきて、自分と同じように走って様子を見に行こうとする大人の姿が何人かあった。どうやら思っているより大きな騒ぎになっているようだ。
それがわかれば不安と焦りが足を速める。少女が惨事を見ることが本当に嫌だった。綺麗なものばかりをみていればいい。あの憂い顔がただの絶望に変わるのを見たくない。
その家が炎に包まれているかどうかは、離れていても感じる熱風でしか判断できなかった。この目には白くまぶしい光に家が飲まれているようにしか見えない。その光の輪郭がゆらゆらと燃ゆるのが、炎だというのを視覚的にわからせる。パチパチと高い音と激しい轟音、木材が中で崩れる音。集まった人々の悲鳴、怒号。一気に耳に流れてくる音声に何一つ明瞭に聞こえてくるものはない。
家はもう、なにか巨大な化け物にでも飲まれたように原型がないように思えた。壊れた窓から手足を伸ばすように、空気を求めて炎が夜空を埋めていた。
熱にまみれた人ごみの中で少女の姿を探す。簡単に見つかると思ったのに、首を振って目まぐるしく揺れる視界の中に、その白い姿は見当たらない。
すっと何かが通り過ぎる。見覚えのある気配に目をそらしたかった。
この火事が事故じゃないということを、俺に教えに来たのだろうか。
耳まで裂けた口が、フード姿の横顔から炎に照らされてよく見える。また失われた。まだ全容はわからないけれど、確実に一つずつ壊されている。
「っおい!」
人ごみに紛れて消えようとしていた影を捕まえる。霧のようにマントは手応えがなかったけれど、俺に気付いてそいつは立ち止まった。
「おや、あなたでしたか。随分焦っておいでのようで、なにかありましたか?」
何かあったか?白々しいにもほどがある。わかっているくせにと歯噛みしたい気持ちで、早口で問いかけた。なにが起こっているのか、今回の狙いはなんだったのか。少女のことも気になったが、こいつがその存在を知るはずもない。目の前の惨状をまずは理解しなくてはならない。
「もっと人ごみをかき分けて行ってみたらどうです?答えがわかるでしょう」
大きく舌打ちをする。はぐらかすように促されて苛立ちが増す。余裕のあるこいつの笑みが余計にそれを助長させた。
「喜ばないのですか?もう3つ壊れたんですよ、あなたの願いはもうすぐ叶う」
「……本当なんだろうな…俺は何一つしていないのに、望みが叶うなんて…」
「何もせずに願いが叶うなんてこと、あるわけないでしょう?今更怖くなっているんですか…?くくくっ」
怖くなんてなっていない。ただ実感がなさすぎて、兆しも見えないから疑った。闇の存在はいつだって口が上手いから、乗せられてるんじゃないかとこれまでだって疑ってきた。
それと同時に、確実な方法であることも確信していた。世界が汚れれば、本来の姿になれば、色が見える。歪な綺麗さがこの目から心を奪ったのなら、元に戻せば自然に色だって取り戻せる。
でもそうだとしたら、俺が払うべき代償は一体なんだ…
願いが叶うと同時にこの力を…役目を失うと、そういうことだろうか。
だとしたら、俺にとっては安い代償だ。むしろそれは褒美とも言えてしまう。ただただ悠久の時間を色づいた世界で過ごすことになるなら、それはむしろ幸せといえる。
そう考えたところで、きっとそうにはならないと気づいた。幸せと感じるようなことが代償になるはずがない。
「…迷っているんですね。やめたいなら、我を消したらいいんですよ」
ことも無げに言う。一番初めにあった時も、自分を消さないのかと問いかけられた。その時は消さないと言った。このつまらなすぎる世界にふって現れたイレギュラーを迎えた。影を潜めていたはずの闇の存在が、石畳の隙間から滲み出るように少しずつ這って侵食していくのを受け入れていた。
止めるなら、これが最後の機会。
もう次はない。
「…いつだってそうだ」
上がっていた口角が不意に落ちた。
感じられなかったこいつの中の憎悪が、覆っていた皮を剥がして晒されていく。
「都合が悪くなれば闇を消せばすべてが治ると思っている。そうやって自分たちが世界を制御しているかのように振る舞う。光こそ真の悪。憎悪を生み悲しい存在を生んだ元凶。それなのに、負の感情を悪として断罪することでその責から逃れようとする」
爆風ではためいたフードの下、初めて見えた目が強く自分を睨みつけていた。真っ黒で深い、ぽっかり空いた穴のような暗い目。込められた感情は怒りや恨みなのに、その裏で悲しい、苦しいと訴えられているようだった。
何か言おうと口を開きかけるのに、何も言えない。
本当にその通りだと思うから。
光という言葉が許されるのは、感情のない無い純粋なものくらいだ。
「……俺が望んで生かした。だから消したりしない…。迷っているのは、この性のせいだ。本心であって本心じゃないから、自分でも訳が分からなくなる。でも今更やめない。俺は…色を取り戻したい」
「…あなたの性、それは役目のことですか。それを聞いて安心しました。だったら、この人垣をかき分けてその目で確かめたらいい」
ここで起こっていることを。
そう言って、さっさと踵を返して消えた。露わになった感情を誤魔化すようにも思えた。
後に残された背後で、まだ炎が鎮火せずに轟音を立てる音がする。少女もまだ見つかっていない。
そして確信する。
少女はこの先にいる。今自分が立っているここよりもずっと熱くて激しい炎に晒されている。火種となった憎悪を確かめなくてはならない。
少女をここから連れ出さなくてはならない。




