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旅人と黄金色の文字  作者: 白藤あさぎ
17/37

ー幕間 2 ー





ー狭間の館にて 少女との語らいー





庭は夕暮れに包まれ始めた。この物語で何度も出てくる夜になるのはもうじきだ。黄昏時の頃を綴った春の章が、なんだかとても懐かしく感じる。

夜が近づいているということは、あの幻の少女が月を恋しく思っているのかもしれない。


円形の部屋から、庭に続く扉を開けて外にでる。物語の途中で、悪魔は小さく寝息を立ててしまっていた。目をさます頃に戻ってくるとして、しばらくこのあたりを散策しよう。館の中は迷いそうだから、せっかくだし庭をもっと堪能することにする。

庭に出ると、晩夏の太陽が痛く目に入ってきた。思わず顔をしかめて手で目を遮る。目元を影にしたまま、徐々に慣れてきて瞼を開けると、金色の光があらゆるものを透かして、風に揺られてキラキラと輝いていた。葉も花も木も水も、すべてが金色を纏って反射している。


燃えるような赤い空、雲間から降り注ぐ光が神々しい。

ゆっくりと薔薇の生垣とガゼボを歩く。そこを過ぎて少し行った先に、一本の木があった。話に出てきた桜の木だろう。少女が(いた)く気に入ったらしい花。もう秋が始まるというのに、満開の桜が花びらを散らしている。その木の下で、(つや)やかな金に染まった髪を風に預けた少女が花を見上げて立っていた。


「綺麗な桜ですね」


背後からそう声をかける。この館に来た時も、似たような言葉をかけた気がする。

ゆっくりと振り返った少女の目元に包帯が巻かれているのを見て苦笑した。もうすぐ、か。この子が目を失うのは。そうしてどうにもならなくなってから、あの青年は気付くのだろう。


「…お話は済みましたか?」

「いいえ。眠ってしまったようなので、少し休憩にしたんです」

「…そうですか」


やっぱり…幻には思えない。こうしてここで自分と交わされる会話は、それもあの悪魔の中の記憶を繰り返しているというのだろうか。でも少女が少女自身であるなら、その真実を彼に伝えないのには理由があるんだろう。彼が今目の前のこの子を生み出したと自分で思っているのだから、言ったところで受け入れるのは難しいが。


「桜が好きですか?」


少女は少し間をおいて頷いた。


「…ここでは一年中咲いているの。あの人が、私のためにそうしてる」

「そのようですね。ずいぶん想われているようだ」


微笑むと、彼女も少しだけ口元を緩めた。年相応の少女らしい仕草に、微笑ましい思いになる。もっとも、この世ならざるものたちは見た目で年を計れないが。

心が緩んだのもつかの間、少女はまた寂しそうな顔をした。表情にものを言わせる目元が見えないにもかかわらず、彼女の考えていることは手に取るようにわかる。思いの深さと、素直な心がそうさせる。


「でも、あの人をここに捕らえているのは私なの…ここに閉じ込めて、ずっと彷徨わせているのは私。もうやめたいのに、どうしていいかわからない…」


そんなのわからなくて当然だ。彼は自分の意思でここにいるのだから。この子がどうにかできるわけじゃない。自分がここに留まり続けることが少女にとって辛いことだとわかったら、悪魔は去るだろうか。自分の思いより相手の思いを優先できたなら、本当の意味でどちらも救われる。


「彼が好きですか…?」

「…はい…」


包帯の下から涙がこぼれだした。ハンカチを出してそれを拭う。


「だったら、彼の思うようにして差し上げればいい。彼が望んでここにいるのだと、受け入れたらいいんです」


それが辛いと感じるなら、二人の関係は少しずつ崩れ始める。けれど相手の思いに委ねることに幸せを感じるなら、穏やかに時が流れるだけ。それも確かな愛の形といえる。

激しさを伴わない、ただただ平らな愛。

けれど心というものは至極面倒だ。

相手が自分の意を受け入れることを喜ぶのは最初のうち。優しい、尽くしてくれる、安心する。そんな言葉で相手を評する。

そしてそのうち、不安になる。なにか我慢してるんじゃないか、知らないところで鬱憤(うっぷん)を晴らしているんじゃないか、本心を偽っているんじゃないか。

もしもそうなんだとしたら、今の二人の関係は健全と言えないのではないか。


大体はその疑心の通りのことが多い。理想の人でいようとして、嫌われたくないと、従順でいようと必死で痛々しい努力をしているのだから。もしもありのままの心で相手の思いに委ねられる人がいたのなら、それは楽な生き方を選んできたのだ。


自分の思いを押しつけ合えば、すれ違いが生まれるのは当然だ。妥協、譲歩をお互いにしあった末に、心にほんの少しのわだかまりを抱えながらうまくそれと折り合いをつけられれば長続きする。


どんな状態でもやがて心は変化を求める。うまくいけば不安に思い、不和が続けば平穏を求める。


「それができないのなら、あなたの今の思いを伝えてみたらどうですか?ここを立ち去って、新しい命を始めて欲しいと」

「…私がそれを望んでいると知ったら、あの人はそうしてくれるでしょうか」

「さあ。彼があなたを大切に思っているのなら、きっとそうします。幻だと思って耳を傾けないのなら、永遠に二人はこのままです」


みたところ、悪魔の彼ももう潮時だと思っているらしい。少女の一押しがあれば自分で進めるかもしれない。


「…語るほど経験があるわけではありませんが…あなたと彼はよく似ている。臆病で、お互いの気持ちを勘ぐりあって、恐々(こわごわ)と壊れ物を扱うかのように接する。大切すぎるから、気を使いすぎるから、本当の思いを遠慮して言えない。踏み込んで、壊したっていいんです。似た者同士なら必然的にうまくいきます」


波長の合うものなら、愛はどんな形も成り立つ。気を使いあう相手なら、それが大事だという証。ぶつかりあう相手なら、それが愛情表現。必ずしもすべてが同じ波長ではなくても、相手に対する思いが同じくらいなら伝わりやすいのも事実。


想い合う者同士だからといって無遠慮なことがいいとも言えないし、気を使いすぎるのもまた歪。距離感と価値観がうまくいかなければ破滅の一途を辿るだけ。本当に、パズルのピースのようだと思う。出る部分と受け入れる部分が噛み合わなければ絵は完成しない。


少し、言葉が過ぎただろうか。

じれったく思うとすぐに口を出したくなるから、余計なお世話だったな…


「…ありがとう…」


小さな唇から、そっと吐息のような声がした。散り降る花びらのようにぽそりとしたつぶやき。


「ここにはずっと二人だけだったから…こんなふうに背中を押してくれる人が、ずっと必要だったのかもしれません。私にもあの人にも…」


呆れにも似た感情が湧いて、それが顔に笑みをもたらす。罪深い悪魔だ。こんなにも愛情深い人がそばにいるのに、それを幻だなんて。情けなく哀れだけれど、彼にも彼なりの葛藤(かっとう)があったのだと思うと一概には非難できない。

もっともそんな積極性、自分には許されないけれど。胸の内で思う分にはいいだろう。


自分にも、ずっとそばにいるはずの彼女ですら、あの悪魔に与えられた役目の残酷さと苦痛は分かち合えない。それさえなければ、彼が愛に臆病になることも、歪んだ性格になることも、矛盾した存在になることもなかったのだから。


「あなたとのお話が終わったら…伝えてみようと思います。自惚れかもしれないけれど、あの人は私のことをとても大切にしてくれているから…きっと大丈夫ですよね」

「ええ…」


大事にされてると思えるのは、簡単なようで難しい。特に、控えめで自分に自信をもてない人には。そうでなくたって、誰しも自分が愛される人間かどうか悩んで、そんな価値ないのだと思い込む。


他人を傷つけたことのある人間が、誰かに愛されるだなんて幸福を許されるはずがない。


都合のいいことに、恋をする人間は自分の過去の過ちを忘れる。恋が盲目だと言われるのは周りが見えなくなって自分よがりの行動を重ねるからじゃない。恋をしている間は間違いなく何事にも被害者であるという傲慢さが生まれるからだ。他人を傷つける人間ほどその傾向が強い。

想いの成就が叶わなかった時、に限らないが、その原因を自分に探すことをしない。それが若ければ若いほど顕著(けんちょ)で醜い。そして大人になってから気付く。自分がどれほど他人を陥れてきたのかと、その報いが今現在望む愛を手に入れられないことだということを。


世界中の人間がそんなふうに自分の過ちを(あがな)おうとしたなら、今いったいどれだけの家族が存在しないことになっただろうか。

残念ながら、そこまで自分を苦しめられる人間のほうが少ない。愛する人に愛されない苦しみを受け入れられるほど、強くも弱くもないから。


また、考えても仕方ないことを考え始めてる。

吐き気がするほど汚ない人間の自己愛なんて、どうだっていい。考えたくもないのに考えてしまうなんて、まるでそれに執着しているみたいじゃないか。自分のこの考えが至高だとでもいうようで、それこそ傲慢だ。このことを考え始めたら、思い出したくないことまで頭を(もた)げてくる。


彼のことを悪魔だなんて言えないな…


染み出した記憶を無理やり押し込めて、目の前の少女に向き直った。少女は相変わらず綺麗な輪郭を傾けて、桜を見上げていた。


「聞いてもいいですか?」


少女はゆっくり振り返って、首を傾げた。


「…あなたの役目は、いったい何だったのですか?」


彼の元に現れた意味が必ずあって、彼女にしかできないことがあった。


「……声が…聞こえたんです。私はそれで目を覚ました…苦しい、悲しい、痛い、助けて…って、その声に起こされて、気がついたら私はここにいました。それが誰の声だったのか、定かではありません…でも…」

「彼の声だと思ったんですね」


小さく頷く。きっと間違いじゃない。

少女のような存在を、彼はずっと望んでいただろうから。この場所に流れ落ちただけで、もう役目を果たしていたのかもしれない。


ささやかな恋心は、彼にとって名前のない感情だった。けれど優しく、ほのかなあたたかさは心地よく幸せな時間をもたらした。知らないままでよかったのかもしれない。彼が自分の気持ちを恋だと知ったら、きっと彼はそれを否定しただろうから。


「あなたの物語はとても短いけれど…奇跡を願うには十分のようだ。彼を思う深い心も、純粋でひたむきな性も…」

「…?」

「……彼の姿が見えないことが悲しいですか?」

「……」


少女の柔らかい髪に触れる。その後ろで結ばれた包帯のリボンをゆるりと外した。現れたガラス玉のような透明な瞳は、金色の光ばかりを取り込むだけ。


「…見えなくても感じられるから…」

「無欲な方ですね。彼が願ったらそれを受け入れますか?」

「……はい」


少女の瞳は自分を見ない。無機質で冷たく感じるはずなのに、綺麗だと思った。これが淡紫を取り戻したら、この庭をどれほど美しく映すだろう。昼の庭を少女に見せることが彼の願いだったから…


この物語の終わりに、なにを願うかはわからない。

少女の包帯を巻き直して、そっと頭を撫でた。金色の輝きがあたりいっぱいに満ちて、まぶしいほどだった。もともとこの時間の太陽は強い。きっと朝日よりも痛い光。この手から溢れる金色と黄昏時の金色が混ざり合う。


…これは、ちょっとしたおせっかい。いや……


「…あなたは、あの人のこと…嫌いですか…?」


少女がふと呟いた問いに目を見開く。しばらく惚けたように少女をみつめて、そして力を緩めた。観念した。たぶん自分は今そんな顔をしているだろう。いつから、なぜ。そんな問い返しを考えたけれど口にはしなかった。


「…いいえ」


そう言うと、少女は少し安心したようだった。

胸の内の微かな痛みを隠すように、口を開く。


「…そろそろ続きを聞きに行きますか…」


彼女を見ていると、きっとまた色々と考えてしまうだろうから。

与えられた自分の役目のために、彼らの物語を紡がなくてはならない。


少女はそっと微笑んで見送ってくれた。


部屋に戻ると、悪魔はつまらなそうに本を捲っていた。私に気づいて顔をあげると、また優美に微笑む。戻ってきたのか、そう言った。


「どこに行ってた?」

「…ちょっとした罪滅ぼしに」


彼は首をかしげる。

それ以上は聞かれなかったし、聞かれても多分答えられなかっただろう。

終わりがくればやがて、真実を得る。その時まで……





次回、


第3話 秋

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