悪夢の始まり
「……なるほどね」
私たちの話を聞いて、神使のラファエルさんは一言そう呟いた。
外から見た通りの、狭くてボロボロな部屋の中。ラファエルさんは一人だけ椅子に座って、私たちは立ったまま話をしていた。普通、椅子はお客へ勧めるものだと思うけど、どうやら私たちはお客と思われていないらしい。
「それで、ダニエルさん」
カノンが言った。そうだった、この人の名前はラファエルじゃなくてダニエルだった。
「何か、わかりませんか? 私がこんな身体になった理由や、元に戻す方法……」
「それは、わからない」
その悪びれない物言いに、私は心底ガッカリした。
せっかくここまで来て色々話をしたのに、何も得るものがないだなんて……時間を返して欲しい気分だった。それを言うと、「お前はどこまで性根が腐ってるんだ……」と呆れ顔をされた。だって、時間はタダじゃないっておじいちゃんも言ってたし。
一悶着したあと、ミハエルさんは咳払いをした。仰々しく腕を組むと、言った。
「だが、この国にガラスが降る理由なら、知っている」
そうだった。旧王都に来たそもそもの理由が、それだった。雪が降る理由。今となっては、それとカノンのガラス化とを無関係というほうが難しく思えた。
その話を聞こうと待ち構える私たちをまるで焦らすように、マリエルさんは思案顔で自分の組んだ腕を睨んでいた。
「マリエルさん?」
「…………」
名前を呼んでも、返事をしてくれない。隣でカノンが何か言いたげだったが、言わなかった。
しばらく、そんな時間が続いて。
不意にマリエルさんが立ち上がった。まるで何かを思い出したかのように、口をぱかっと開いていた。
「悪い。隣の部屋で作りかけの魔具を放置してるのを忘れてた。見てきてもいいか?」
「あ、どうぞ」
私が何か言う前に、カノンが返事をした。サキエルさんは立ち上がって外へ出て行く。家の中で行き来できないなんて、不便な作りだ。それとも作業場みたいな扱いなんだろうか。てっきり隣の部屋には、別の人が住んでるんだろうと思っていたけど……
……いや。
そうじゃないのかもしれない。
「ラルゥさん? 何をしているのです?」
問いかけてくるカノンに「静かに」とジェスチャーしてから、私は壁に耳を押しあてた。何も聞こえない。つまり、そういうことだ。
私はマントの下に手を入れた。指ぐらいの大きさの木片をいくつか取り出して、部屋の隅々に並べる。できるだけ目立たないように、一定の感覚を保って。ついでに玄関の扉を開けて、外側にはガラス細工を並べた。
一通り並べ終えて中に戻ると、カノンが不思議そうな顔でこちらを見ていた。話したほうがいいかなと一瞬悩むも、カノンは顔に出そうだから話さないことにした。「気にしないで」と手を振りつつ、私は部屋の窓際に立つ。手招きして、カノンも隣に立たせた。
しばらくして、アラエルさんが戻ってきた。
「悪い、時間がかかった」
「大丈夫、気にしなくていいよ」
私が寛大な態度を見せると、アラエルさんは苦虫を噛み潰したような顔をした。許してあげてるのに、どうしてそんな顔をするんだろう。
隣の部屋に行っただけのはずのアラエルさんは、どうしてか額に汗をかいて息を切らしていた。その様子を見ながら、私はこの周辺の地理を思い返した。ここからあそこまでは往復でだいたい……うん。まだ時間はあるはず。
「それで、雪が降る理由だがな……」
私たちが急かしたわけでもないのに、アラエルさんは少し早口で話し始めた。
まるで、他のことを聞かれたくないとでもいうように。
* *
……その昔。とは言ってもせいぜい八十年ほど前の話だが。その頃はまだ、魔法の研究はそこまで進んではいなかった。魔法で出来ることと出来ないことの区別が明確になっていなかった。だからこそ、金や銀が魔法で作り出せると、本気で信じられていた。
当時、国の財政はそれなりに逼迫していたらしい。だから王は、その状況を覆す術を探していた。そこで目をつけたのが、錬金術――今で言う、錬成魔法だった。
ちなみに言っておくと、錬成魔法は原理的に不可能という訳じゃあない。ただ、労力に見合わないだけだ。過去にどこかの国で金の錬成に成功した奴がいるらしいが、何日、何ヶ月とかけて、小指の先にも満たない吹けば飛ぶほどの量しか出せなかったらしい。それならまだその辺の川でもさらってたほうがマシだってことで、今だと錬成魔法に手を出す神使のほうが少ない。
……話が逸れたな。王の話だ。
王は、何人かの錬金術師を雇って、金、もしくはそれなりに価値のある鉱物を作るよう勅命を下した。研究費用も膨大に注ぎ込んだ。当時は今と違って、神使の賃金は平均の二倍から三倍近くあったらしいが、そんな神使を十人以上も抱え込んだらしい。つまり、財政が逼迫してるっていっても今ほど深刻な状態じゃなかったってことだな。
その研究は二十年以上にも及んだ。何人かの神使は代替わりして、神使以外にも魔法使いとして何人かが雇われ、使い潰された。だがそれでも、研究の成果は芳しくなかった。
僕が思うに、神使の何人かは気づいていたんじゃないだろうか。錬成は不可能だと。だが、それだけの研究費用がついて、何も成果はありませんでしたじゃタダでは済まない。自分一人の命ならまだしも、それは家族の命さえ危ないレベルだ。誰も真実を言い出せず、ただ延ばし延ばしにするしかなかったんじゃないだろうかと僕は思う。
だが、さすがの王も二十年も経てば嫌でも勘づく。成果らしい成果が挙がっていないことを、おかしいと気づく。そこで雇われていた神使たちを召集して、問い質した。研究はどうなっているのかと。それに、誰も何も答えられなかった。言い訳らしい言い訳も既に出尽くしていた。
そこで王が真実に気づいて、研究を取り止めていれば、まだ良かったんだ。何人かの神使は責任を取らされて文字通り首を切られたかもしれないが、それぐらいで済んだなら、まだ良かった。
立ち並ぶ神使の中なら、一人の新入りが前へ出た。そいつはこう言ったんだ。「自分は宝石を作ることに成功しました」と。そして実際に、王の目の前で作り出して見せた。蒼く透き通った、石のような何かを。
もうわかってると思うが、それは宝石なんかじゃなかった。ただのガラス玉だ。錬成が労力に見合わないのは、ないものを作ろうとするからであって、あるものを変化させるならそれほど難しくはない。そしてこの国に降るガラスは、そのほとんどはどこにでもある石なんかが変化したものだ。
その神使は、よっぽど死にたくなかったんだろう。作ったガラスをその場で消し去る魔法までちゃんと身につけていた。下手に調べられたら嘘がバレるからな。「今はまだ長く形を維持できませんが、もうしばらく時間をいただければいずれは国中に宝石の雨を降らせてみせます」と嘯いた。
王はそれを信じた。他の神使を全員その神使の下につけて、研究費用もすべてそいつの好きにさせた。で、そいつは直後に何人かの神使を解雇した。嘘をバラしそうな奴を省いたんだな。
そこから更に、五年。潤沢な資金を食い潰しながら、そいつは研究を続けた。困ったことに、そいつは神使としてはそれなりの腕があったらしい。何十人、何百人という魔法使いに、ガラスを空から降らせる魔法を覚えさせた。裏では偽の鑑定士を雇って、それがただのガラスだとバレないように手回しして……
――おい。そいつ、どうかしたのか?
そのガラスの奴だ。なに蹲ってるんだ? 怪しい真似はするなよ。あ? 大丈夫だあ? 誰もそんなこと聞いてないだろう。いい加減にしろよお前。
まあいい。話を続けるぞ。しっかり立って聞いてろよ。……とにかく、そいつの目的は、研究を出来るだけ長引かせることだったんだ。
普通に考えればその間に国外へでも亡命すれば良かったんだが、なぜかそいつはそうはしなかった。長引かせて、長引かせて、そして遂に長引かせられないところまで来ると、そいつは王に言った。「魔法は完成しました。これでこの国は、空から宝石が降るようになります」と。
そしてその言葉通りに――いや、宝石じゃないから言葉通りじゃないが――その日から少しずつ『雪』が降るようになった。最初はあるかないかわからないような量が、次第に量も頻度も増して、最後には今と同じように雪が降るようになった。
王は歓喜した。王だけじゃない。国中が踊り狂った。我先にと空から降るその雪を掻き集めようと争った。これでこの国の未来は明るいと、誰しもがそう思った。
その雪が、ただのガラスだと判明する、その時までは。
その神使が何を考えていたのかは、わからない。そんな大事にすればさすがに誤魔化しきれないことはわかっていただろうに。そいつはそこへ至ってもまだ国内に居座っていた。王の呼び出しにノコノコと応じてその場で尋問されたが、「死にたくなかった」とか「長く研究を続けていたかった」とかそんな分かり切った動機しか話さなかったそうだ。
そして、そいつは処刑された。まあ当たり前だな。だが、悪夢はここで終わりじゃなかった。むしろここからが始まりだったんだ。
そいつが広めたガラスの魔法は、その時すでに全国民の無意識下に刻み込まれていた。無意識の魔法というものは、やめようと思ってやめられるものじゃない。そいつが死んで五十年以上経つ今でも雪が降り続けているが、実はそれは僕や君たちみたいな平凡な国民が降らせているんだ。
僕たちは、雪が降るのを当たり前だと思っている。当たり前だと思い込んでいることは、実現する。それが魔法であり、この世の大原則だ。
今や、この国に雪が降ることを知らない人間はいない。つまり、全国民が魔法使いだ。誰もこの魔法からは逃げられない。
この国が滅んで人がいなくなるまで、きっと雪は降り続けるんだろうね。




