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錬金術と錬成魔法

 よく知らない街を夜中に出歩くのは危険だ。それはおじいちゃんにもよくよく言われていたことだったけど、だからってここまでの空腹を抱えたまま明日の朝まで我慢するのは辛すぎる。携帯食を食べるのも、せっかく街にいるのにもったいない。

 そう思って街に繰り出してきたはいいけれど、困ったことに目ぼしい飲食店はどこも閉まっていた。いや、こんな時間なら当然か。私はため息をこぼしつつ、パッと目についた酒場へと足を向けた。食べられるお店に他に選択肢はない。どうせ情報収集もしたいところだったし。お酒はあんまり飲みたくないんだけど、それでも許してくれるだろうか。

 如何にも酒場らしい扉を抜けると、中は耳が痛くなるほどの喧騒に包まれていた。結構広いお店なのに、八割近く席が埋まっている。基本的に貧乏なこの国では珍しい光景だった。酒場ってこういうものなんだろうか。それとも旧王都は景気がいいんだろうか。考えながらカウンター席についた。

 で? このあとどうしたらいいの? 店員さんは来てくれないの? 私、メニューの字とか読めないんだけど?

 キョロキョロしていると、店員さんより先に顔面毛むくじゃらの男の人が近づいてきた。

「よう嬢ちゃん。見ない顔だな。旅人かい?」

 隣に座って、馴れ馴れしく話しかけられてくる。ドワーフだろうか。私より頭一つ分くらい背が低い。

「はい。一昨日、この街に着いたばかりです」

 微妙に嘘をついた。特に深い意味はない。

「そうかそうか。ま、そんなかしこまるなって。ここは特別におっちゃんが奢っちゃる。おいマスター! この嬢ちゃんにビールを一杯「このお店で一番高い料理をください」

 おっちゃんの言葉を遮って注文を入れた。字が読めなくてもこの場合は関係ない。だって奢りだから。人の親切は無碍にしちゃいけないって、おじいちゃんも言ってたし。

 私のその言葉にドワーフはしばらく面食らっていたが、やがてがっはっはと笑いながら背中を叩いてきた。痛いしうっとうしいけど特別に許す。奢ってくれるんだからね。奢ってくれる人はいい人だ。

 やがて、料理が運ばれてきた。大きめのお皿に、野菜と焼いたお肉が盛られただけのもの。この国ではどの食材よりも野菜が高い。それはこの旧王都でもたぶん変わらないだろう。

 私は手元のフォークで肉と野菜をぶっ刺して、口に運んだ。雑な味付けも、携帯食に比べれば天上のご馳走だ。肉の旨味が口中に広がる。野菜のシャキシャキ感が心地いい。目尻に涙が浮かぶほどだった。

「うまそうに食うねえ嬢ちゃん。おっちゃんも懐を痛めた甲斐があるってもんだぜ」

 隣のドワーフが話しかけてきた。言い方がちょっと恩着せがましいなと思ったけど、実際に奢ってもらってるんだから文句は言えない。話に付き合うのも料理代と思って我慢しよう。

「この街へは一人で来たのかい?」

「はい、そうです(嘘)」

「へえ。あの砂漠を一人でとは、大したもんだな嬢ちゃん」

「慣れてますから」

 一人旅はリスクがある。荷物はかさむし、野盗に襲われたり事故に巻き込まれた時、自分一人でなんとかするしかない。私だって、どこかのキャラバン(隊商)に乗せてもらえるのなら、そうしなくもない。

 ただ、その時だって心底安心とは言い難い。キャラバンが偽物の場合もあるし、そうじゃなくても、何かあった時にはトカゲの尻尾切りの要領で捨てていかれることもないとは言い切れない。結局のところ一人だろうがそうじゃなかろうが、自分の身は自分で守るしかない。だったら私は一人旅のほうが気楽で好きだ。

「嬢ちゃんは、何しにこの街まで来たんだい?」

 ドワーフは遠慮なく踏み込んでくる。旧王都の人はみんな冷たいと思ってたけど、このおっちゃんは逆に暑苦しくてうっとうしい。奢ってくれてなかったら無視して逃げてたところだ。

「実は、錬金術師の人を探してるんです」

 私は微妙に質問からズレたことを答えた。でも、嘘はついてない。

「錬金術師、ねぇ……」

 ドワーフは難しそうな顔をした。その顔に、おや? と思う。そんな妙なことを言ったつもりはなかったんだけど。

「お嬢ちゃん、どこの国から来たんだい?」

「……? いえ、私は元々この国の人間ですけど」

「そうかい……まあ、これは親切で特別に教えてやるんだがよ。あんまりこの国でその言葉は出さないほうがいいぜ。錬金なんちゃらって奴だ」

「……?」

 私は肉をフォークで刺しながら、更に首を傾げた。確かに、私はこれまで錬金術なんて言葉は聞いたことがなかった。それはてっきり私が世間知らずなせいだと思っていたけど、そうじゃなくて、その言葉が禁句だったから誰も言わなかったんだろうか? でも、だとしたらついさっきカノンがあっさりと口にしたのが腑に落ちない。

「一昔前ならいざ知らず、今じゃあ錬金術は錬成魔法って呼ぶ。錬金術師は普通に、神使とかそんなところだな。嬢ちゃんも、神使ぐらいは知ってんだろ?」

「それは、まあ……」

 魔法を研究したり教えたりする人のことを、この国では神使と呼ぶ。私も前にちょっとだけお世話になったことがあった。

 だけど、神使は錬成以外の魔法も扱ってるはずだ。それなのにそこを区別しないのは、一体どういうことだろう?

「聞いたところによるとな。ほら、雪、あんだろ? あれが降るのが、錬金術が原因だっていうんだよ」

「雪が?」

「ああ、そうだ。だからこの国じゃあ錬成魔法を好き好んで研究する奴はいねえ。いたとしても、錬金術師なんて呼ばれ方は好まねえ」

 ドワーフの話を頭の半分で聞きながら、私はさっき聞いたカノンとの話を思い返していた。カノンは言った。自分の父親は、ガラスを作る錬金術師だったと。

 これは、偶然とは思えない。雪と、カノンのお父さん。何かしら関係があるに違いない。

 ただ、一つおかしなところがあるとすれば、雪は何十年も前からこの国に降り続けているってことだ。ここを強引に辻褄を合わせようとすると、カノンは何十年もの間、土の下で眠り続けていたってことになる。……いや、強引でもないのか。食べ物も空気も必要としないガラスの身体なら、それも不思議じゃない。むしろこれで、カノンが雪や海に馴染みがないことや、錬金術をはばからず口にしたことにも説明がつく。

 説明は、つくけれど……

「…………」

 これはどう考えても、カノンにとっては残酷な答えだった。

 カノンの記憶は、もう何十年も昔のもの。もしそうだとしたら、カノンの母親は、今はもう生きてはいない可能性が高い。それどころか、この世界にカノンのことを知る人は一人もいないのかもしれない。ただでさえ精神的に参っているカノンに、こんなことを伝えてもいいのかどうか……

 悩みながらもくもくと口を動かしていると、いつの間にかお皿が空になっていた。ちらっ、ちらっとドワーフに目を遣ると、ドワーフはやれやれと肩をすくめながらもマスターを呼んでくれた。

 やっぱりこのドワーフ、いい人だ。

 私はそう思いながら、この店で二番目に高い料理を注文した。


* *


 一先ず、カノンには何も伝えないことにした。

 はっきりそうと決まったわけじゃないし、伝えたところで何かが変わるとも思えない。宿屋でカノンと話し合った時に決めた次の方針、錬金術師に会って話を聞くっていうのが、変わるわけでもない。呼び方が錬金術師から神使に変わっただけだ。

 神使というのなら、私にも心当たりがあった。前に魔具(魔法の道具)を買いにこの街へ来た時、買った相手が神使だった。住んでる場所もちゃんと覚えてる。顔と名前はともかく、道は覚えられないと旅人としてやっていけないから。

「ここ、ですか?」

「うん、ここ。ここに、神使の人がいる」

 神使の人……名前、何だっけ? 首を捻りながら、私は目の前の建物を見た。そこにあったのは、あばら屋といって差支えないもの。とても神の使いなんて人の住む家には見えない。カノンが呆然としているのも、むべなるかなといった感じだった。

「神使って、あまり儲からないのでしょうか?」

「そうみたいだね。魔具買った時も、お金のことで揉めたし」

「揉めたのですか……?」

 カノンが少し心配そうな顔をする。ちゃんと話を聞いてくれるんだろうかと懸念する顔だった。そんなカノンを安心させるように、私は肩をポンと叩いた。

「大丈夫だよ。もう結構前の話だし、その時だって、最後にはお互い納得したんだから。禍根なんて残してない。むしろ古い知り合いってことで、歓迎してくれるんじゃないかな」

「そう、でしょうか……」

「そうだよ。ほら、行こう」

 まだ不安そうにしているカノンの背中を押すようにしながら、私はあばら屋の戸を叩いた。


* *


「帰ってくれ」

 戸が開いて目が合って、第一声がそれだった。

 隣でカノンが「やっぱり……」という顔をしている。え、どうして? どうしてこの人、私の顔をそんなはっきり覚えてるの? 私なんて顔を見てもまだピンとこないのに。え、普通は覚えてるものなの?

「帰ってくれ。僕は赤字になる仕事はしない。さあ、今すぐ帰ってくれ」

 そう言いながら、向こうから伸びてきた手が早速扉を閉めようとする。それを必死に手と足で抑えながら、私は言葉を繋いだ。

「ちょ、ちょっと待ってよ。えーっと、ミカエルさん」

「誰だそれは?」

 あれ、名前違った? 何だったっけ。サマエル、ユリエル、アルミサエル……

「思い出さなくていい。思い出さなくていいから、だからすぐに帰ってくれ」

「どうしてそんなに邪険にするの?」

「お前それ本気で言ってるのか?」

 なんとかエルさんが、露骨に顔をしかめた。

「あれだけの横暴をやらかしておいて、よくもまあ顔を出せたものだ。いいか、君のせいで僕は、旅人がやってくる度に警戒する癖がついてしまったんだぞ。お陰で商売あがったりだ。君のせい、君のせいだぞ」

「警戒するのはいいことだと思うけど」

「うるさい!」

 怒鳴られた。

 こんなすぐ怒るなんて、お腹が空いてるんだろうか。大変だなあ貧乏人は。

「まあまあ。今日は仕事で来たんじゃないだよ。ちょっと話が聞きたくて」

「だったら尚更だ。お前と話して僕に何の益がある。金をくれるというのならいざ知らず」

「え? 情報なんて形のないものに、どうしてお金が必要なの?」

「だからお前の相手は嫌なんだ!」

 また怒鳴られてしまった。隣でカノンが深くため息をついている。私、そんなおかしなこと言ったかな?

 しばらく扉を押して引いてを繰り返していると、それを見かねたのか、カノンが間に割り込んできた。

「あの、神使さん。少しいいですか?」

「誰だお前は。いや、名乗らなくていい。名乗らなくていいから、もう帰って……」

「これを、見てください」

 カノンが、扉の向こうに手を差し込んだ。

 その、ガラスの手を。

「……! これは……」

 扉を閉めようとする力が、弱まった。その隙に、私はぐいっと扉を開いた。

 カノンと神使の人の目が合う。ガラスの目が、神使の人にも見えただろうか。

「何か仕掛けがあるとかじゃないのです。これは正真正銘、私の手です。元は人間だったのに、ある日からこんな風になってしまったのです。手だけじゃなくて、足も、顔も、全身がこうです」

 神使の人は、もう扉の取っ手を握ってはいなかった。恐る恐る手を伸ばしてきて、確かめるように、カノンの手に触れる。カノンがもう一方の手で、被っていたフードを外した。そのガラスでできた顔と髪が露わになる。神使の人はそれを、息を呑んで見つめた。

「お願いです。私たちの話を、聞いてください」

 神使の人は、もう私たちを追い出そうとはしなかった。

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