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ガラスの温度

「旧王都って、どんな場所なのですか?」

 宿屋へ戻る道すがら、カノンがフードの下からそう問いかけてきた。

 その質問に、私は簡単に答える。ここから北へ二日ほど歩いた場所にあること。その呼ばれ方の通り、王政時代には王の住まう都だったこと。この辺りでは一番栄えた街であること。

「だから、ガラス化と昔の王様が無関係だったとしても、情報収集するなら本当は旧王都へ向かうべきだったんだよ。ごめんね、失敗した」

「い、いえ、そんな謝らなくてもっ」

 両手をぶんぶん振るカノン。こらこら、そんなことしたらガラスの腕が丸見えだから。


「とりあえず、今日はゆっくり休んで明日の朝に王都へ出発しよう」

 宿屋の部屋に入って、ベッドに腰かけながら私は言った。

 それに対するカノンの反応は、扉の前に立ち尽くしたまま目をぱちくりさせるというものだった。……あれ?

「えっと、どうかした? 旧王都には行きたくない?」

「え……あ、いえ! そうでは、なくてですね……」

 何か言いづらそうにしているカノン。この子が気を遣いすぎる性分なのはここまででよくわかったけど、ここまでまごついてるのは初めて見たかもしれない。いったい何なんだろうと、首を捻っていると、

「あの、ラルゥさんも、一緒に行ってくれるのですか……?」

「…………あ、」

 言われて、私はようやく気がついた。

 そうだ。別に私が行く必要ないじゃないか。行き倒れたひとを近くの街まで案内した。それだけで人助けとしては十分だ。もともと、私にカノンを助ける理由なんてないんだから。

 ここでお別れにする。カノンは旧王都へ。私は別の場所へ。マントぐらいはプレゼントしてもいいだろう(ワンピースの裾切っちゃったし)。そう考えて、だけどそうしたくないと思っている自分に気がついた。

 ここで終わりにしたくない。ガラス化の真相が気になるから? ううん、違う。そんなのはわざわざ旧王都まで付き合う理由にはならない。

 ここまでの道すがら、カノンにも聞かれたこと。私がカノンを助ける理由。大した理由はないと私は答えた。だけど本当にそうなんだろうか。何か理由があるはずだ。そうじゃなかったら、私がここまで積極的に誰かを助けたいと思うはずがない。だって、私がこれまでに助けたいと思ったのなんて、おじいちゃんと、あとはあの女の子ぐらいで……

 …………ああ、そっか。そういうことか。

「……行くよ。一緒に」

「あ、ありがとうございます。……でも、あの、しつこいかもなのですが、どうしてここまでしてくれるのか、もう一度聞いてもいいですか?」

「それは、似てるから、かな」

「似てる……?」

「うん」

 子供のころ、一緒に過ごした女の子。その子にカノンは似ていた。顔はよく思い出せないけど、たぶん色々似てた気がする。

 そうだ。カノンを見つけてから、どうしてか私はあの子のことをよく思い返すようになった。それはきっと、こういうことだったんだ。

「私は、あの子のことを助けてあげられなかった。そのことはもう吹っ切れたつもりでいたけど、まだ心のどこかで気にしてたんだと思う。その罪滅ぼし、かな。私がカノンを助けるのは」

「そう、ですか……」

 自分が誰かに似ていると言われるのは、どんな気分なんだろう。あんまりいい気分じゃないんじゃないかと私は思う。例えそこに悪意がなかったとしても、だ。だってそれは、自分の存在意義を否定されることに他ならないから。自分を否定されるのは何よりも辛い。そのことを私はよく知っている。

 だけど、今言ったのはどうしようもなく私の本心だった。ここで嘘はつけない。だから話すしかなかった。

 これでカノンが嫌だと言うのなら、無理についていくつもりはなかった。そんな関係じゃない、私たちは。だけどもし、カノンが許してくれるのなら……

「そういうことなら……」

 カノンが、ベッドに腰かける私の前まで歩いて、そこに膝立ちした。床板が固い音を立てる。目線が合わさる。その先には、ガラスの瞳があった。その瞳は、優しい光を湛えていた。

「わたしはお礼を言わないとですね。ラルゥさんと、その女の子さんに」

 カノンがにっこりと微笑んだ。色のないはずのガラスの肌に、その時だけ朱が差したように私は錯覚した。

「本当に、ありがとうございます。どうかよろしくお願いします、ラルゥさん」

「……こちらこそ」

 その手を、私は握り返した。その手は固かった。その手はひんやりと冷たかった。だけど、暖かかった。

 今、やっとわかった気がした。

 助けて損をしないなら助けなさいって、おじいちゃんは言った。どうしておじいちゃんが、ああ言ったのか。人を助けた時に、何が得られるのか。

 それが今、実感としてわかった気がした。


* *


 部屋に閉じ込もるようになってから、わたしは絵本を読んで過ごすことが多くなった。

 お母さんは、いつも色々なものを持ってきてくれる。お人形さんや、本物そっくりのおうちや、光る魔法の杖や。だけど、大抵のおもちゃはすぐに飽きてしまう。友達と遊べないんじゃ、どんなおもちゃも魅力は半減だ。

 そんな中でまだなんとか飽きずに楽しめたのが、絵本だった。絵本のなかにはたくさんの世界が広がっている。部屋から出られなくても、わたしの心はいつも色んな世界を大冒険していた。

 お母さんに言って、たくさんの絵本を買ってきてもらった。部屋の中はあっという間に絵本でいっぱいになった。それを繰り返し繰り返し読む。大好きな絵本は、もう目をつぶってても空で言えるようになった。それぐらい何度も読んだ。

 読みすぎて、飽きてしまった。大好きな話も、これだけ繰り返し読むとまるで味気ないものになってしまう。絵もどこか色褪せて見える。

 そうなると、嫌でも外が恋しくなった。そう、わたしは、元々絵本はそんなに好きじゃなかったんだ。外でハルちゃんと遊んでるほうがずっと好きだった。

 外――今のわたしには、絵本の世界よりも遠く感じられた。開かない窓の向こうには確かにそれが広がっているのに、わたしがそこへ足を踏み出すことは叶わない。森しか見えない窓の景色と、絵本に囲まれた部屋の中。わたしのこの世界は、まるで時間が止まってしまったみたいだった。

 そんななかでたったひとつ、お母さんだけが外の世界を感じさせてくれた。いつしかわたしは、お母さんの持ってくる絵本よりも、お母さんが来ること自体を何よりの楽しみにしていた。

「ねえお母さん、今日はお洗濯しなくていいの? こんなに外は晴れているのに」

「あのねえ、カノン。さっきも言ったでしょ。今日は奇跡が降る日だから、洗濯物は干せないの。何度も同じこと言わせないでったら」

 花瓶の花を入れ替えながら、お母さんは不機嫌そうに言った。

 お母さんはそう言うけど、本当はそんなこと一度も聞いてない。わたしがお母さんと話したことを忘れるわけがない。このところ多かった。お母さんが、言ってないことを言ったっていうことが。疲れてるんだろうか。

 そう、疲れてるんだと思う。だから最近のお母さんはいつも不機嫌だ。わたしを見るたびに辛そうな顔をする。それがどうしてかなんて、考えなくてもわかった。わたしが病気だからだ。早く治して、いつものお母さんに戻してあげたいと思う。

「お母さん。わたし、いつになったら元の身体に戻れるのかな」

「…………」

「治ったら、また外で遊んでもいいよね? ハルちゃんとも、また会えるよね?」

「……そうね」

 お母さんは、悲しそうな顔をしていた。

「早くそうなれば、いいわね」

 いつも。いつもそうだった。

 お母さんはいつも怒っているか、悲しそうにしている。わたしの部屋に来るときだけそうなのか、それともいつもそうなのかは、わたしにはわからない。だってわたしはこの部屋から出られないから。ガラスの身体を、人に見られるわけにはいかないから。

 だからわたしは、もうかれこれ半年以上前から、こうして自分の部屋に閉じこもっていた。


* *


 私がしばらく手助けすることを約束して以来、カノンの態度は俄に明るくなった。旧王都へ向けて歩く間、質問から雑談まであれこれと話しかけてきて、まるで悩んでいるようには見えなかった。

 ガラス化の問題はまったく解決していないのに、この明るさ。私をそこまで頼りにされてもちょっと困るけどとそう思いつつも、暗い空気を振りまかれるよりはよっぽどいいので、私は何も言わないことにした。

 それに、カノンが明るい理由はきっともう一つある。それは、記憶がほんの少し戻ったことだった。

 昨日、宿に泊まったときに夢を見たらしい。断片的な夢で手掛かりになるようなものは何一つなかったけど、それでも記憶が戻る兆しが見えただけでも大きかった。

 いっそどこにも行かずにじっと記憶が戻るのを待つのも手じゃないかと提案してみたけれど、それはカノンにやんわりと反対された。部屋に閉じこもるのは怖くて嫌なんだそうだ。

 そんなわけで、私たちは昨日歩いた海をまた歩いていた。私は三日連続だ。さすがにちょっとウンザリする。

「ずっと気になっていたのですけど、この子はなんていう動物ですか?」

 歩き始めて最初にカノンが持ち出したのは、そんな話題だった。ガラスの指が指す先にいるのはもちろん、荷物を背負った私の相棒だ。

「オオトカゲってみんな呼んでる。たぶんちゃんとした名前もあるんだろうけど、私は知らない」

「オオトカゲですか。確かにおっきいですもんね。噛みついてきたりしないのですか?」

「どうだろう……肉食だし、弱ってる人間なら襲って食べることもあるっておじいちゃんに聞いたけど。でもそいつがヒトに噛みつくところは、見たことないかな」

「はぁ~、しつけがいいのですかね」

「どうだろね……」

 一緒に旅をして長いけど、このトカゲに躾らしい躾ができた試しがない。目の前に食べ物を置けば待てと言っても食べるし、所構わず糞尿を垂れ流す。本能で生きてるとしか思えない。あえて言うなら、私から離れて勝手にどこかへ行ったりしないのは、躾がいいと言えるだろうか。

「この子、名前はなんて言うのですか?」

「ないよ」

「……ないのですか?」

「うん、ない。つけてない」

 カノンがショックを受けたような顔をした。まあ、その反応は予想できた。

「名前をつけると、情が湧いちゃうでしょ。それだといざってときに困るから」

「いざってとき?」

「聞かないほうがいいよ」

 それだけでなんとなく察してくれたのか、カノンがそれ以上掘り下げてくることはなかった。少し寂しそうな顔で、トカゲの頭をつんつんとつつく。

「でもやっぱり、名前はつけてあげたいのです」

「カノンがそう言うんならつけてくれてもいいよ。私はトカゲって呼ぶけど」

「それじゃあ。うーんと……クロ、とかどうでしょうか? 黒いですし」

「いいんじゃない? わかりやすくて」

 私が適当に答えると、カノンはうんうんと満足そうに頷いて、クロ、クロと呼びかけた。それでもトカゲはやっぱり無反応で、ただ、のしのしと私の後ろをついてくる。カノンに頭を触られたときだけちょっと鬱陶しそうだ。

「クロには、乗ることはできないんですか?」

「小さいころは私も遊びで乗ったことはあるけど、今はどうかなあ。座ったら足が地面についちゃうし。重さ的には、カノンぐらいなら楽々だと思うけど」

「力持ちなのですねぇ」

 そう言うカノンは、自分の今の体重を把握してるんだろうか。人間の頃の感覚で考えてそうだ。その辺を突き詰めていけば、カノンの記憶を取り戻す手がかりにもなりそうな気がするけど。

 考えながら、私は西の空を眺めた。昨日、光るものを見かけた方角だ。光は、昨日よりも大きくはっきりと見えるようになっていた。また一つ私は憂鬱な気分になった。

「なんですか? あれ」

 私の見ているものにカノンも気づいたらしい。あれが見えるってことは、視力はまあまあいいんだろう。ガラスの視力ってのもよくわからないけど。

「あれは、雪の光だよ」

「ええっと……雪は、ガラスが降ることでしたよね。その光ということは……つまり、雲みたいなものですか?」

「そういうこと」

 光は確実にこちらへと向かってきている。このペースなら今夜は雪だろう。

 こうなることは実は朝の時点でわかってたけど、だからって旅に出るのを延期していたらこの国ではいつまで経っても旅には出られない。何の前触れもなく雪に降られることだってあるんだから。

 雪が降るなら洞窟へ逃げ込むか、テントを張りたい。洞窟は位置的に手前すぎるから、ここはテントだ。

 雪が降る前に旧王都までの中間地点にあるオアシスへ辿り着いて、テントを立てる。この空の感じだと降り始めは日暮れ前になりそうだから、少し厳しいけど……

「カノン、ちょっとペース上げたいんだけど、ついてこられそう?」

「あ、はい。だいじょうぶです。たぶん」

「わかった。辛かったら言ってね」

 それだけ言いおいて、私はペースを上げた。と言っても実は、私の普段のペースに戻しただけなんだけど。

 カノンがどこで音をあげるか、それだけが気がかりだった。だけど意外なことに、カノンは苦もなくついてきた。楽しくお喋りを続ける余裕すらあるようだ。悔しかったので私は途中から更にペースを上げたけど、それでもついてきた。

 これも、身体がガラスでできてるからだろうか。ちょっとズルいなって思った。

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