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偽りのわたし

 そこで先生は、言葉を詰まらせた。

 施術はもう終わって、針をしまうところだった。私はベッドから起き上がって、服を下ろした。「しばらく荒事は控えるように」と決まり文句のようにそう言われて、そうできればいいけどと考える。立ち竦むカノンの腕からマントを取り上げて、身に纏った。

「なんですか? わたしのお父さんを苦しめたものって……」

 カノンの腕が、行き場をなくしたようにだらんと垂れ下がる。

 そんなカノンに憐れむような目を向けつつ、先生は、

「それは………………いや」

 先生は、言わなかった。

 これで二回目だった。先生が何かを言いかけてやめるのは。

「自分の目で見たほうがいいだろう。ちょうど、顔を出す頃合いだ」

「顔を出す?」

「ああ、そろそろ……」

 その時、まるで見計らったかのように入口の扉が開いた。チリリンというベルの音に釣られて顔を向けると、そこにはおばあさんが一人立っていた。

 透き通った、吸い込まれそうな瞳を持つおばあさんだった。不思議と、どこがで会ったような気がした。

「あら、珍しい。お客さんが……え?」

 おばあさんは、カノンの姿を見て驚きに目を見開いた。まあ、それは普通の反応だ。身体がガラスなんだから。

 ただ、妙だったのは、カノンまでおばあさんを見て同じ反応をしていたことだった。

「あ……ああ、あぁあ…………」

 口をわななかせ、手を震わせながら、一歩、一歩そのおばあさんへ歩み寄っていく。そしてそのしわくちゃの手を手に取った。愛おしそうに、優しく、包み込むように。

 おばあさんの手も、震えていた。

「あなたは……まさか、本当に……」

「会いたかった」

 おばあさんの言葉を遮るように、カノンは言った。

「お母さん……」

 お母さん。カノンのお母さん。

 目の前にいるおばあさんがそうなのだとしたら、この人がカノンを殺したのだということになる。

 私は、カノンに見えないようにマントに手を入れて警戒を強めた。カノンのお父さんが良い人でも悪い人でも私は困らないけど、目の前にいるお母さんが悪い人だとちょっと困る。カノンを助けると決めてここにいる以上は、最後まで守りきりたい。

 カノン自身は、母親に殺されたことは完全に頭から抜け落ちているようだった。その涙混じりの声音にはただ、愛する人に会えた喜びだけがあった。カノンはそうだろう。そんなカノンだからこそ私は助けたいと思った。だからカノンはそれでいい。私が後ろで見ていてあげればそれでいい。

「…………違う」

 しかし、おばあさんの反応はどんな私の予想とも違った。

「私は、あなたのお母さんじゃない」

 おばあさんは、カノンの手を振り払った。その仕草からは嫌悪感とかよりも、いたたまれなさとか罪悪感のようなものが強く感じられた。

「私は、カノン。あなたと同じ、カノンなの」


* *


 私は、神使のなんとかエルさんの話を思い返した。

 確か、国を挙げて錬金術の研究を始めたのがだいたい八十年前だと言っていた。その二十年後に王様の前でカノンのお父さんが大嘘をついて、更にその五年後に処刑された。

 お父さんが処刑されてからカノンがお母さんに殺されるまで、どれくらいの年月があったのかは知らないけど、それでもせいぜいが五年くらいだろう。計算すると、カノンが死んだのは五十年くらい前ということになる。

 当時カノンが仮に十歳だとしても、お母さんは三十五はいってるはずだ。五十年後の今なら八十五歳。そこまで高齢の人は、ちょっと聞いたことがない。六十歳なら、まあいないではないけれど。

 そこまで考えると、もう一つ理屈に合わないことが出てくる。それは医者の先生だ。

 先生は五十年前も先生だったはず。だとしたら今も変わらず先生をやってるのはおかしい。となると恐らく、この人も……

「ああ、私も、そちらのカノンくんの知ってるウィリアムじゃない。息子のほうだよ」

 私の視線から疑念を汲み取った先生が説明してくれる。何度か言おうとして躊躇ったことは、きっとそれだったんだろう。

「カノンが二人もいるなんて、そんなこと有り得るんですか?」

 私は一応声を潜ませたけど、この狭い診療所内でどれだけ意味があるのかはわからなかった。

 カノンが二人いる。それはつまり、両方の身体に同じ魂が入ってるってことだ。分裂したってことだろうか。魂って、そんな簡単に増えるものなんだろうか。

「いいや。分裂とは違うようだ。……僕は魔法は専門外だから、これは聞き齧りの知識になってしまうがね」

 そう前置きしつつ、先生は語った。

「どうやら、人の記憶や性格は、必ずしも魂と同一の存在ではないらしい。魂はあくまでも繋ぎ。世界のどこかに蓄えられている記憶や性格と、身体とを繋ぐ働きをするのが、魂なのだそうだ」

「つまり、別人の魂であっても、同じ記憶と性格に繋がりさえすれば……」

 それは、同じ人間のように振舞う。

 最後のそれを、私は口には出さなかった。その事実がどれだけカノンを傷つけてしまうか、途中で気がついたからだ。だってそれは、カノンがカノンじゃない、ただの偽物だということに他ならないのだから。

 だけどそんななけなしの気遣いに、どれだけの意味があったのかはわからない。

 カノンは、放心状態だった。

 今日一日で、いったいどれほどのショックに見舞われたんだろう。お父さんのこと。お母さんのこと。眠っていた時間のこと。そしてあまつさえがこれだ。世界はどこまでもカノンに優しくなかった。

 それを可哀想だと思いながらも、私にはその心に寄り添ってやることができずにいた。私にはカノンの気持ちがわからない。だって私には、お父さんも、お母さんもいない。おじいちゃんはいたけど、そのおじいちゃんが死んだ時だって、私は涙一つ零さなかった。

 自分のことだって、そんなかけがえのないもののようには思えない。私は、私がもう一人目の前に現れたって、きっと平気な顔で笑っていられるんだろうと思う。

 私は、おかしい。

 私がカノンに惹かれたのは、もしかしたらカノンが普通の女の子だったからかもしれない。普通なんてどうでもいいと言いながら、内心は惹かれていたのかもしれない。普通に、笑って、泣いて、怒ることができるカノンに。

 もしそうでなかったとしても、今の私が普通を求めていることは確かだった。今は、カノンの心に寄り添って悲しめる、普通の私になりたい。でも現実は、私は私が普通でないことのほうに悲しんでいた。カノンのことは二の次だった。薄情な奴だなと冷静に思う。冷静な自分は、どう考えても普通じゃなかった。

「まだ、信じられない……」

 椅子に座ったおばあさんは、そう言った。その人が本当のカノンだと聞かされはしたけれど、私の中ではやっぱりカノンがカノンで、おばあさんはおばあさんだった。

 私はさっきまで自分が寝ていたベッドに腰掛けて、カノンもその隣に座らせた。カノンは、とても話ができる状態には思えなかった。だったらここは私が話すしかない。冷静な私が。

「カノンが……この、ガラスのカノンがいるってこと、誰かから聞かされてたんですか?」

「ええ。母から」

 その言葉に、放心していたカノンの手がピクっと動いた。見るとカノンは、カチカチと小刻みに歯を鳴らしていた。

 どんな気持ちなんだろう。自分の母親だと思っていた人が、本当は他人だったなんて。自分がいたはずの場所に、知らない誰かが座っている。そしてそれは間違いでも奪われたのでもなく、間違っていたのは自分のほうだった。

 おばあさんは、言った。

「母が、死ぬ前に話してくれたの。自分の犯した、罪のことを……」


* *


 父は私を死なせないためにガラスの身体へ魂を移そうとしたのだけど、その魔法は残念なことに、新しい別の魂を呼び寄せる結果になってしまったの。人間の私と、ガラスの私。同じ人間が二人に増えてしまった。

 ただ、人間のほうの私は不治の病にかかっていたから、どちらにせよいずれは死んでしまうはずだった。だったらその時まで、二人は二人のままでということになったらしいわ。父と母の間で。

 母は、ずっと苦しんでいたらしいわ。父が処刑されたあの日からずっと。私とあなたを別の部屋に隔離して、世話をしながら……双子のようなものだと割り切ろうとしたらしいけど、どうしても違和感が拭いされなかった。見た目は全然違うのに、どっちがどっちだかわからなくなることが度々あって、気が狂いそうだったと言われてしまったわ。父のしたことのせいで世間の風当たりも厳しくなっていたこともあって、いつも逃げ出したいと思ってたって。あの、優しかった母にそんな風に思われてたなんて……薄々気づいてはいたけれど、やっぱりショックだった。

 それでも耐え抜いてくれたのは、やっぱり母は優しい人だったからでしょうね。私のことを、愛してくれた。いつか人間の私が死んでしまった時に、その身体を凍結して、治療法が見つかったらガラスの身体から魂を移し替える。そんな父の悲願を、母は受け継いでくれていたの。

 だけど……

 実際には、私は死ななかった。

 私の心臓の病気は成長と共に悪化していくものだったけど、私がその年齢に達する前に治療法が確立されて、私は生き残ってしまった。身体を凍結なんてする必要なかった。父が国中を巻き込んで成し遂げたことは、完全に無駄だった。それはもちろん、母にとっては喜ばしいことに違いなかったでしょうけど、同時に苦しい決断を迫られることでもあった。

 二人の私を、どうするかという決断を。

 私が死ぬまでと思って母はずっと耐え抜いていたそうだけど、私が死なないとなるとその期限はなくなってしまう。あなたを隠し続けるなんて、そんな綱渡りは精神が摩耗しきった母には到底不可能だった。悩んで、悩んで、悩み抜いた末に、母はその決断を下したの。


* *


 『その決断』とやらが何を示しているのか、おばあさんは言わなかったし、言う必要もなかった。既に、カノンから聞いていたから。

 部屋で寝ているカノンの元へやってきた母親。その手には、木箱と金槌。涙ながらにカノンの身体を叩き潰す――

「母は、ずっと後悔していたわ」

 おばあさんは言った。そんな、何の慰めにもならない言葉を。

「私を見る度に、あなたのことを思い出して辛かったって。その日のことを何度も夢に見たって言っていた。自分は自分の娘を手にかけたんだって、涙を流してた」

 本当に、慰めにもならない。

 そこまで言うなら、どうしてカノンを掘り起こしてあげなかったんだろう。掘り起こして、謝って、そして今度こそちゃんと母親として接してあげれば良かった。

 そうしなかったってことは、結局カノンの母親は、ガラスのカノンよりも人間のカノンのほうが大事だったんだろう。カノンを守り抜く覚悟がなかった。カノンよりも保身を優先した。だからカノンを見捨てた。

 それが悪いことだとは思わない。親子だって他人なんだから、場合によっては見捨てることだってあるだろう。だけど、見捨てられた側が見捨てた相手を許してやる道理はない。

「ねえ、あなた」

 おばあさんが言った。

「良かったら、ここで暮らさない? 大丈夫。国からは私たちが隠し通してみせるから。世間の風当たりだって、五十年前に比べればどうってことないわ。私たちのことは、おじいちゃんとおばあちゃんみたいに思ってくれれば、それでいいから」

 おばあさんと先生がそういう関係なんだろうってことは、その距離感から何となく感じ取れていた。

 二人は今、幸せなんだろうか。幸せなんだろう。その優しい笑顔を見ればわかった。少なくとも、首だけになったり、窓ガラスに突っ込んだりするような日常は送ってないはずだ。

 その幸せは何の上に成り立っているのか……それを思うと、単純に腹が立った。もちろん、それを踏まえた上での申し出なんだと思う。贖罪なんだろうと思う。自分は悪くない、悪いのは両親だと開き直ることもできたはずなのにそうしないのは、きっとこの人がいい人だからだろう。ここだけは、さすがカノンだと言いたくなる。

 だけど、

「……いいです」

 ガラスのカノンは、言った。

「わたしは、ここにいるべきじゃないと思いますから」

「そんなことは……」

「嫌なのです」

 吐き気を堪えるかのように、カノンは言う。そんなカノンの表情を、私は初めて見た気がした。

「自分がもう一人いるだなんて、耐えられません。それがあなたみたいなおばあちゃんでも……お母さんの気持ち、少し、わかる気がします。今こうしているだけでも我慢ならないのです。今すぐにでもあなたに消えてほしい。こんな気持ちを抱えたまま一緒に暮らすだなんて、絶対にできません」

 そこまで一気に言い捨てると、カノンは立ち上がって、扉へ向かった。ドアノブを引き、こちらへ背を向けたまま、もう一人の自分へと言った。

「教えてくださって、ありがとうございました。お母さんのこと……いえ」


「あなたの、お母さんのこと」


 扉が、音を立てて閉まった。

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