特別
カノンの身体は、その辺にあるガラスでも代わりにできる。
そのことを私は知っていたからちっとも焦ってなかったんだけど、よくよく考えると、カノンにはまだ伝えてなかった。
「わたし、これからずっとこんな姿で過ごすのでしょうか……」とマントの下で泣き出されて、慌てて私は説明した。うん、そりゃあ泣くよね。ずっと生首のままなんて、私だって嫌だよ。
生首なカノンを泣き止ませてから、私は服屋へ寄った。生首をマントの下に抱えたままで。私としても、早くカノンを戻してあげたいと思ったけど、着るものもなしじゃあガラスの身体を大衆に見せびらかすことになってしまう。いっそ街を出るまでは生首のままでいてもらおうかとも考えたけど、服屋で私に送られてくる奇異の視線を受けて、早く戻したほうがいいと思った。お腹が生首の大きさに膨らんでるのは、やっぱり怪しいらしい。
誰かに声をかけられる前にと、私はさっさと買い物を済ませることにした。カノンが着ていたのと同じようなワンピースと、同じようなマント。それだけを買って店を出る。カノンと付き合い始めてから、やたらと出費がかさむような気がする。さっき使った魔具の材料とかも買い足さないとだし。はぁ、おじいちゃんには、損をしないなら助けろって言われたのになあ。
胸にたまったため息をなんとか飲み下してから、私はガラス屑置き場へ向かった。向かうと言っても、この国ならどの町にだってそういう場所は一定の間隔で存在する。現に今も、服屋から出てすぐ見える場所に、キラキラと光る山を一つ見つけた。
周りに人がいない頃合いを見計らって、私はマントの下から生首カノンを取り出した。そしてガラスの山にぽーいと投げ入れた。「わわわ!?」とカノンが声をあげる。
「ちょっとラルゥさん!? もう少し丁寧に扱ってくださいよ!」
そう、叫んだ頃には既に、カノンの身体は元に戻っていた。本当に便利な身体だなと思う。
誰か人が来る前にと、私は急いでカノンに服とマントを着せた。着せ終わると、すぐにその場を離れる。あまり一箇所に留まっていたくなかった。
「ま、待ってください、ラルゥさん!」
私に手を引かれるカノンが、そう言って足を止めた。その場所は路地裏とまでは行かないまでも、大通りから外れた人通りの少ない場所だった。
何なのかと目だけで問いかけると、カノンは私のマントを開いて、中を見た。
「やっぱり。ズタズタじゃないですか! 早く手当てしないと!」
カノンの言う通り、私の身体はあっちこっちから血が出ていた。
カノンの身体を砕いた時、爆発を背中に受けた時、窓ガラスに飛び込んだ時、地面を転がった時。色んな時に怪我をして、だけど致命傷じゃないからと、放置していた。
本当は応急手当でもすべきなんだろうけど、道具は宿屋に置いてきた。ここから向かうには少し遠い。その間に門を閉鎖されてしまうかもしれないと思うと、手当は後回しにすべきだろうと思った。
「まあ、大丈夫だよ。死にはしないから」
「でも、痛いでしょう?」
「我慢できないほどじゃないよ」
というか、私に我慢できない痛みがない。慣れてるから。
さあ行こうよと改めてカノンの手を引くも、やっぱりカノンは動いてくれなかった。頬を少し膨らませて、私のことを睨んでくる。参ったな。
「あの、気持ちはありがたいんだけど、本当に時間がないの。このままだと街から出られなくなっちゃう。宿に戻ってる時間はないし、下手したらトカゲも置いてかなくちゃいけないかもしれない。だから私が痛いぐらいは、どうでもいいんだよ」
「どうでもよくなんかないのです!」
カノンが叫んだ。
「そんな怪我して痛いはずなのに、どうでもいいとか慣れてるとか、そんなこと……そんな悲しいこと、言わないでください」
「…………」
悲しいことと、言われた。
そんな風に、考えたこともなかった。痛みに慣れるのが、悲しいこと? うん、言われてみれば、確かにそうかもしれない。私という人間の在り方は、悲しいのかもしれない。だけど、そんな私だからこそ色々なことを乗り越えられる。さっきだって乗り越えられた。それを否定されるのは、どうも納得がいかなかった。
もちろん私だって、痛いのは好きじゃない。災難に遭うことなく、痛みを感じる必要もなく、平和に幸せに生きられたらって、思う。だけどそんな夢は叶わない。そんな自分、想像もつかない。
カノンは、違うんだろうか。ガラスになる前、カノンは幸せだったんだろうか。
だとしたら、ちょっと、ズルイ。
「カノンは、自分のことを考えなよ。さっきの話、聞いたでしょう? カノンはもうお父さんともお母さんとも会えない。それどころか、この国で暮らすことだってできない。その身体は痛みは感じないかもしれないけど、痛いのよりもっと辛くて悲しいことが待ってるんだよ。そんな状況で、他人のことなんて心配してる場合じゃないでしょう」
酷いことを言っていると、思った。
悲しい現実をわざわざ突きつけて、悲しめと言っている。そう、私はきっと、カノンを悲しませたいんだろう。
カノンを悲しませて、悲しいのは自分だけじゃないんだって慰められたい。カノンを助けた理由だって、結局のところそれだったのかもしれない。あの子のことなんて関係なかった。ただ、可哀想な子を助けて悦に浸りたいだけだった。
そんな醜い自分に、嫌悪感が走った。
「それ、は……」
カノンが、顔を歪ませた。
きっとここへ来るまでは、忘れていたんだろう。警吏に囲まれたり、身体が吹き飛んだりで、忘れていられた。だけどそういった問題がとりあえず解決して、余裕ができた今ようやく、そのことを直視した。まあその前に私の怪我のことを気にする辺りは本当にお人好しだなって思うけど。
カノンのその顔を見て、私は胸がほんの少し軽くなった。それを自覚して、やっぱり自分はカノンを助けたかったわけじゃないんだと、実感した。
でも……
「そんなの、どうでもいいのです」
カノンは、私が思っていた以上にお人好しだった。
「それこそ、お父さんとお母さんに会えなくても死にはしません。だけどラルゥさんは今、痛いのです。だったらなんとかするのはラルゥさんが先です」
カノンが、自分のことをどうでもいいと思ってないことはその顔を見ればわかった。
死にはしない……そんなことはない。カノンは捕まったら殺されるだろう。それぐらいはカノンもわかってるはずだ。わかっても、言わない。
カノンのことは、気を遣いすぎる子なんだと思ってた。でもこれは違う。気を遣ってるんじゃなくて、心からそうすべきだと、そうしたいと思って言ってるんだ。
どんな環境で育てば、こんな子になるんだろう。カノンのお父さんは極悪の詐欺師で、お母さんはカノンを殺した。そんな両親に育てられたのが嘘みたいに、カノンはまっすぐな心を持っていた。
「どうして、そこまで……」
理解できなかった。
人が痛くても、自分は痛くない。当たり前だ。人の痛みより自分の痛みをなんとかしたいと思うのが当たり前。それが私の常識だった。おじいちゃんだってそんな私を間違ってるとは言わなかった。
だけどカノンは違う。カノンは、自分と他人を区別しない。幸不幸を同じ秤にかけて、優先順位を決めている。正直、怖かった。同じ人間とは思えなかった。それどころかエルフだってドワーフだってリザードマンだって、カノンみたいな訳のわからない価値観は持ってない。
「だってラルゥさんは、わたしのことを助けてくれたじゃないですか」
「そんな理由で?」
確かに私はカノンを助けた。この怪我だって、カノンを見捨てれば負わずに済んだだろう。
だけどそれは、私が勝手にやったことだ。自分の罪悪感を誤魔化すため。あるいは不幸な人を見て優越感に浸りたいがためにそうしたこと。カノンが私を助ける理由にはならないはずだ。
「この際だから、はっきり言うけど……」
私はカノンから目を逸らした。面と向かってなんて、言えなかった。
「私は、自分の命とカノンの命のどちらかしか守れないなら、自分の命を取る。そうじゃなくても、カノンを見捨てたほうがいいと思ったら、そうする。だって元々、私がカノンを助けるのにたいした理由なんてないんだから」
「だったら、どうしてさっき私を見捨てなかったのですか?」
「それは……だって、切り抜けられると思ったから」
「そんなに怪我してるじゃないですか」
「だからこれくらいの怪我、私からしたらどうってことないんだって」
「言い訳にしか聞こえません」
まるで拗ねるみたいに、カノンは頬を膨らませた。
「どうして、そんなに嫌がるのですか。私は怪我の手当をしようって言ってるだけです。それで街から出られなくなったら、それこそラルゥさんは私を見捨てればいいだけじゃないですか。いったい何を気にしてるのですか?」
「……重いんだよ」
そんな言葉が、ポロっと零れた。
「重い。カノンのその気持ちが、重い。カノンは、私がカノンを助けたから助けてくれるっていうけど、だったら私もいつか、カノンを助けてあげないといけないの? それで助けられなかったら、私は悪いヤツなの? そんなの、困る。私は別にいいヤツになんかなりたくないけど、後悔はしたくないの。カノンはきっと、私にとって特別だから……」
カノンが、目を見開いた。
「そんなカノンが私のせいで死んだなんてことになったら、私は一生後悔する。私は、それを知ってるの。もうあんな思いするのは嫌。それに比べたらこんな怪我ぐらい、いくらだって我慢できる」
そこまで言って、私はようやくカノンの目を見た。嫌われてもいいと、そう思って心の内をさらけ出した。こんな風に本心から話をするのは、いつぶりだったろう。知らず、足が震えていた。
カノンは、両手で頬を押さえていた。まるで私の目が見られないみたいに、目をきょろきょろと泳がせて。「重いのはどっちですか……」と呟くのが聞こえたけど、その意味は私にはよくわからなかった。
「そう、ですね」
カノンは言った。
「わたしが、間違ってました。わたしが、ラルゥさんの傷を手当をしたいって言う理由。わたしも、同じです」
「同じ……?」
「はい。わたしも、カノンさんのことが特別なのです」
特別。
その言葉の意味は一様じゃなくて、言った私自身にも捉えどころがなかった。
だけどカノンも、私と同じで。私がカノンにしてあげたいことを、カノンもしたいと思っているのだとすれば……
「ガラス職人のお姉さんの家の前で、ラルゥさん、わたしの手を握ってくれたでしょう? こうやって……」
カノンが、私の手を取る。
固い、温度のない手。それがまるで熱を帯びているように感じるのは、どうしてだろう。
「あの時、私、すごく安心したのです。まるでお母さんが隣にいるみたいな気持ちでした。大丈夫、私がついてるからって、そう言ってくれたような気がしました」
「あれは……だって、あの時は……」
お母さんを思いやるカノンの姿を見て、私は慰められた。嬉しかった。だからそれを返してあげたつもりだった。あれこそギブアンドテイクだ。
そう言おうとした私を、カノンが首を振って遮る。
「ラルゥさんがどう思っていたかなんて、関係ないのです。あの時から、わたしにとってラルゥさんは特別でした。お父さんやお母さんのことは大事ですけど、同じくらいラルゥさんのことも大事なのです」
あの時。
カノンの震える手を握って、握り返された時。
あの時に感じた暖かな気持ちは、今もまだ覚えてる。
私とカノンは他人だ。だけどそれを言うならあの子だって他人だったし、おじいちゃんも他人だった。おじいちゃんは、私のことをたくさん助けてくれたけど、それを返せだなんて言わなかった。実際、返せなかった。
助けられたら助け返すとか、貸し借りとか、そんなの関係なかった。同じ、なんだろうか。私と、カノンの関係も。おじいちゃんを信頼していたのと同じように、カノンのことも、信頼していいんだろうか。
「だから、ラルゥさんがそんな風に傷ついているのは、嫌なのです。お願いです、ラルゥさん。たいして時間は取らせませんから……」
カノンが、私の手を両手でぎゅっと握った。
「傷の手当を、させてください」