魂の在処
諦めのようなものを感じさせるその言葉で、バーニエルさんは話を締め括った。
カノンは、いつしかまた蹲っていた。両手で頭を抱え込んだ沈痛なその様子に、バーニエルさんはもう何も言わずにただ淡々と話を続けた。何度その話を止めようかと思ったけれど、時間も限られている今の状況で、止めるわけにもいかなかった。
私はカノンの肩を抱くようにしながら、少し後悔していた。
カノンが母親に殺されたのは何十年も前のことだと、私は昨日のうちに勘づいていた。だけど、言わなかった。言えば傷つけるとわかっていたから。
そのことにカノンはたった今、気づいてしまったんだ。更に、今の話に出てきたすべての元凶とも言える神使が、自分の父親だということにも気づいた。避けられない問題だとしても、せめて昨日のうちに半分教えてあげていれば、ショックは少なくて済んだんじゃないだろうか。
「あの、カノン……」
「嘘です」
妙にはっきりとした声で、カノンは言った。
「嘘です。そんなの。わたしの、お父さんは、そんな。そんなこと、するひとじゃ、ない。嘘です。そんなのは、ぜったい……」
「僕の話が嘘? 何を言ってくれてるんだ。なんなら他の神使にも聞いてみれば……っ!」
ミカエルさんが、途中で言葉を詰まらせた。
その視線は、私の指先に注がれていた。そこには、さっき私が部屋に置いたのと同じ、指ぐらいの大きさの木片が一つ。
「ごめん、ミカエルさん。ちょっと静かにしてもらってていい?」
「お前……お前それは、脅迫だろう!」
「大丈夫? カノン」
カノンは、震えていた。
両親にもう会えないかもしれないという事実に? 自分の父親の犯した罪の大きさに? どちらかはわからない。両方かもしれない。だけど私には、そんなカノンの気持ちも、かけてあげるべき言葉も、わからなかった。
「落ち着いてカノン。とりあえず今だけでも忘れて、落ち着いて。今は、大切な時なの」
そう言い聞かせても、カノンの震えは止まらない。
こんな状態じゃあ、立ち上がることも難しいだろう。まずい、と思った。カノンは顔に出るからと思って言わなかった。でも、言っておけば良かった。言っておけば、無理をしてでも悩みを忘れて立ち上がってくれたかもしれない。あれも、これも。私が変に秘密にしていたせいで、何もかもが悪いほうへ転がっていく。
もう、結構な人数が集まっている。
ガラス細工が、それを視ていた。
私はカノンの背中をさすってあげながら、こっそり窓の外に目を遣った。目の届く範囲にそれらしい人はいない。だけどいないはずがない。一人二人なら、なんとかなる? 混乱に乗じればいける? カノンが隣にいるのに? わからない。この街の警吏となんて戦ったことがないからわからない。
カノンの震えは、まだ止まらない。でも、この際だ。仕方がない。私は覚悟を決めた。カノンの覚悟は知らないけど、勝手に決まったことにした。
最後に私は、もう一つだけ聞いておくことにした。
「ねえ、ダニエルさん」
「……! お、おう、なんだ?」
なぜか面食らった様子のダニエルさんに、私は問いかけた。
「どうして、私たちを通報したの?」
「……!」
空気が、一層張り詰めたのを感じた。
「な、なんのことだか……」
「とぼけなくていいよ。ドアの外にたくさんいるでしょ。魔具、置いておいたからわかるの。ダニエルさんに売ってもらったヤツ」
それを聞いてダニエルさんが悔しそうに歯噛みした。正直、迂闊だなとは思う。私なら絶対に気づく。相手がそういうものを持ってるってわかってるなら警戒すべきだ。こんなのは当たり前すぎて、おじいちゃんは言いさえしなかった。
「……僕は、そのガラス人形の正体を知ってる」
唸るように、ダニエルさんが言った。
「そいつは、召喚獣だ。物体に魂を込めたものを神使の間ではそう呼ぶんだ」
「それで、なんで通報?」
「召喚は、禁則魔法なんだよ」
ダニエルさんが、懐から拳銃を取り出した。
「召喚士が傍を離れただけで暴走して魔獣化する危険があるし、そうじゃなくても世の理に反する。見つけ次第すぐに通報しないと、黙認しただけで神使としてやっていけなくなるんだ」
私は、自分に向けられたその銃口を見つめていた。表情は努めて冷静なままで、だけど頬を冷や汗が伝うのは、止められなかった。
私は、別に強くない。おじいちゃんなら素人の銃ぐらいなんとかしてみせるんだろうけど、私にはそんなの無理だ。私が得意なのは、罠を張ったり、後ろから襲いかかったりみたいな奇襲全般。こんな風に面と向かって武器を向けられるのが、実は一番苦手だった。
私たちの会話を聞いたせいか、カノンの震えが止まった。ショックが大きすぎて臨界点を超えたのかもしれない。それか、通報されたという事実に震えてる場合じゃないと思ってくれたのかもしれない。何にしても助かる。
「魂って、そんなものが本当にあるの? どこに?」
本当は、こんな会話をしてる場合じゃないのかもしれない。
だけどこれを聞くことは、何よりも大事なことだと私は思った。
「ある。そうじゃないと召喚魔法なんて事象は説明がつかない。魂はどこにでもあるし、どこにもない。それでも無理に場所を特定するとしたら、召喚士があると思った場所。そこに魂はある」
「なるほど……。親切だね、ダニエルさん。丁寧に教えてくれて。お金も払ってないのに」
「……できたら、大人しくしてくれないか?」
銃口が、わずかに下がった。
「俺が銃を撃てば、警吏が踏み込んでくるだろう。一度捕まれば言い逃れなんてできない。この国じゃ召喚は重罪だ。ましてやガラスでできた召喚獣なんて、縁起が悪すぎる。お前が大人しくそいつを引き渡してくれるなら、お前だけは見逃してもらえるよう俺が口添えしてやってもいい」
それは、予想外の提案だった。
嫌われてると思ってた。捕まって清々するくらいに思われてるものだと。それがまさか、口添えまでしてくれようだなんて。その優しさを、私はほんのちょっとだけ嬉しく思った。優しさに甘えたいと思った。だって、おじいちゃんも言っていたから。人の親切は無碍にしちゃいけないって。
だけど、おじいちゃんはこうも言った。
大切にしたいと思った人は、大切にしなさいって。
「私がカノンを引き渡したら、カノンはどうなるの?」
「…………」
「……って、聞くまでもないよね」
沈黙が何よりの答えだった。
私は覚悟を決めた。さっきも決めた気がするけどもう一つ決めた。
それを感じ取ったのか、ダニエルさんの銃口がまたまっすぐに私へと向けられた。
「逃げられると思ってるのか? お前一人ならまだしも、そんなお荷物を抱えて」
「わかってるよ」
カノンが、お荷物だってことぐらい。
でも荷物なら、減らせばいい。旅の基本だ。本当に必要なものだけ持って後は捨てる。
私は、カノンの背中をそっと抱いた。
「……? ラルゥ、さん?」
「カノン」
呆けたような声を出すカノンの耳元で、私はそっと囁いた。
「………………ごめんね?」
そして両腕で、カノンの身体を粉々に砕いた。
* *
「……なっ!?」
ダニエルさんが、驚愕に目を見開いた。
弾けたガラス片が空中できらきらと瞬いた。いくつかの破片が私の身体を切り裂いたけど、今更こんな痛みで私は怯まない。宙を舞う破片の中に、一際大きなガラスの塊がある。カノンの、頭だ。
それを私は空中でキャッチして、お腹に抱え込んだ。物音に反応したんだろう、ドアが勢いよく開いて、警吏の人たちがズカズカと踏み込んできた。
それを横目に見ながら、私は左手でベルトのスイッチを押した。同時に、両足で床を強く蹴る。
瞬間、部屋の中で爆発が巻き起こった。
「んなぁあ!?」
爆風に押された私の身体が、窓ガラスを突き破る。爆音の中で、ダニエルさんの叫び声を聞いた気がした。
本当、ダニエルさんは迂闊だと思う。この爆弾を売ってくれたのもダニエルさんで、ついさっきも脅しに使ったばっかりなのに、それが部屋中に仕掛けられてることにちっとも気付かないだなんて。これに懲りたら、これからはもっと用心深くなるだろう。そう思えば、部屋の中が滅茶苦茶になるぐらいは良い勉強代だ。
置いた数が多すぎたのか、思っていた以上に私の身体は勢いよく吹き飛ばされた。ちょっと焦る。着地に失敗して、私は石畳の上をゴロゴロと転がった。
即座に起き上がると、そこには警吏の人が二人いた。私を挟み込むように。爆発に驚いたのか、呆然としてまだ銃も構えていなかった。その隙をついて、私は近いほうの横っ面に渾身の蹴りを食らわせた。痛そうな音が鳴って、その人はそのまま地面に倒れ伏した。ごめんなさい。
「止まれ!」
後ろで、もう一人が銃を構えた気配がある。だけど私はそれを見ることもせずに、近くの路地裏へと転がり込んだ。
銃声が響いた。マントに穴を開けられた気がする。間一髪のタイミングに、またも私の頬に冷や汗が流れた。
走る。走る。ここは知らない道だから、この先がどうなってるかは賭けだ。行き止まりだったらそれで終わり。いや、追ってきてるのが一人なら撃退するっていう手もあるのかな? でもできればそんな挑戦はしたくない。さっきの人は不意打ちできたからなんとかなったものの、まともにやり合って大の大人に勝てる自信はない。
……まあ、まともにやらなければ、いいんだけど。
私は角を曲がった。警吏の人はまだ追ってくる。追いつかれるまでに二秒? 三秒? でもそれだけあれば十分に足りる。私はマントの中からリール付きの小銃を取り出した。
それを、壁に向けて撃つ。右に一発、左に一発。足音はもうすぐそこだ。私は咄嗟に、壁を登った。この狭さなら片手でも登れる。一歩、二歩、三歩。
左手で二階の窓枠を掴んだ時、警吏の人が姿を現した。私の姿が見えないことに舌打ちして、また走り出そうとする。その足が、何かに引っかかった。私が張った糸だ。
「うおぉ!?」
ごん、という痛そうな音が、路地裏に響いた。
警吏の人は、思いっきり顔面を地面に打ちつけていた。前歯の一本か二本いっちゃったんじゃないだろうか。ごめんなさいと思いつつも、その背中の上に私は着地した。いや、だって地面は固いじゃない? ぐえっという蛙みたいな声を無視して、私は糸で手早く両手を縛り上げた。よくよく考えると、わざわざ倒さなくても上に登ってやり過ごせばそれで良かったかもしれない。おじいちゃんがいたら、道具を無駄遣いするんじゃないって怒られてたところだ。
「あ、あの、ラルゥさん……」
糸を巻き取りつつ反省していると、地面の上から声が聞こえた。
「…………、」
まさか、と、思った。
思いつつも、声のしたほうを見る。本当は見るまでもなかった。だってそこにそれを置いたのは私だから。警吏の人の手を縛るのに邪魔だったから、少しの間だけと思って地面に置いた。まさか意識があるとは思わなかったから、割と雑に扱っていた。
それは、カノンの生首だった。
生首が、半泣きの顔で私のことを見上げていた。
「ラルゥさん、もしかして、私、いま、いま……」
「うん。後にしよっか」
カノンが泣きたくなる気持ちもわかる。私もこんな時じゃなかったら、そんな大きな問題を放置なんてできなかっただろう。
だけど今は、命が懸かってる状況だ。いつ他の警吏の人が来るかわからない。捕まれば私たちは死ぬ。死ぬのに比べれば、生首が喋るぐらいはどうってことないと思った。むしろそんな状態でも生きてるなんてラッキーじゃないか。
「とりあえず、今は逃げよう。できるだけ早く、遠くまで」
問題を先送りにしつつ、私は生首を抱えてマントで隠し、走り出した。
走ってる間、マントの下からぐすぐす聞こえてくるのが、ちょっとだけうっとうしかった。