行き倒れ人形
挿絵は、らるるさん(@raruru48)が描かれたものです。
らるるさん、掲載のご許可、ありがとうございます!
私の国には、ガラスの雪が降る。
白く光り輝くそれは、一晩で街全体を宝石のような姿に変えてしまう。そして次の日の朝には、目が焼けてしまいそうなほどの眩い光が街中を乱舞するのだ。
よそから訪れた人は、その光景に口を揃えてこう言う。「まるでおとぎ話の世界に迷い込んだかのようだ」と。
だからだろう。いつしかこの国は、こんな名前で呼ばれるようになった。
おとぎの国――フェアリーランドと。
* *
商店街は、今朝もたくさんの人で賑わっていた。
白人や黒人、エルフやドワーフ、リザードマンが行き交い、呼び込みの声は途切れることがない。
そんな人込みの合間を縫うように、私は歩いていた。肩さえ誰とも触れ合うことなく、ゆったりと。
「お? お前さん、ラルゥじゃねえか?」
ふと、名前を呼ばれてそちらに目をやる。そこには浅黒い髭面があった。
「なんだやっぱりラルゥじゃねえか。水臭えな素通りなんてよ」
「悪いね、おじさん」
私は答える。このひと誰だったっけか、と、頭の片隅で考えながら。
「ちょっと買い出しに寄っただけなんだ。またすぐ旅に出るから」
「だったらウチで買ってけよ。ちょうど活きのいいグラスワームが入ったんだ」
言いながらおじさんは、キシキシと足を蠢かせる節足動物を持ち上げた。確かに、活きはよさそうだけど。
「遠慮しとく。それよりそっちのオオトカゲの肉をくれないかな。あとガラス細工をいくつか」
「あいよ、毎度あり」
おじさんが髭面をぐにぃっと歪ませた。どうやら営業スマイルのつもりらしいと、しばらくしてから気づく。
おじさんが肉を切り分けている間、私は空を見上げた。青い空には、雲一つない。ガラスの光も見受けられない。これなら、今日ぐらいは雨にも『雪』にも降られないで済むだろうか。
この国で『雪』と言えば、それは空から降るガラスの粒子のことを指す。白く光り輝くそれは、見た目には綺麗だけど、この国で過ごす私のような人間からしたら害でしかない。吸い込みすぎれば肺をやられるし、目に入れば失明しかねない。雨と違って自然に流れてはくれないから、降り積もればその重みで建物を倒壊させることもある。ちょうど目に見えるところにも、そうして潰れたと思しき廃屋があった。
「うっし、できたぞラルゥ」
おじさんのその声に、私は視線を戻した。なかなか仕事が早い。
「ほれ、肉とガラス細工だ。あと、こっちの木の実はサービスな」
「ありがとうおじさん」
受け取って、袋に詰める。肩に食い込む重さに、知らずため息がこぼれていた。
ガラスは重い。そのくせ脆くてかさばるから、旅に持ち歩くには適していない。それでもこの街に立ち寄る旅人がみんなガラス細工を買っていくのは、安いからだ。タダ同然で売られているそれは、少し遠くの国まで行けばそれなりの値段で買い取って貰える。
「おいラルゥ。今度はどこまで行くつもりだ?」
足を進めかけた私に、おじさんが声をかけてきた。私は首を傾げながら答える。
「えっと……西のオアシス辺りかな。あそこには、まだ行ってないところがあるし」
「そっか。ま、命だけは大切にしろよ。旅の途中で野垂れ死んだんじゃ、お前の爺さんも浮かばれねえからよ」
そう言われて、私はようやく思い出した。
そうだ。ずっと前、私がまだ小さかった頃に、おじいちゃんと一緒にこの店に来たことがあった。確か、この人の名前は……
「ありがとう……アーゴットさん」
「おう、また来いよ」
そう言って、アーゴットさんは頬をぐにぃっと歪ませた。
* *
見渡す限りの、ガラスの海だった。
海――その呼び方を、私は好んで使っている。おじいちゃんもそうだった。一面に敷き詰められたガラスの粒が空の青を反射するその光景は、前に一度だけ見た海の姿とよく似ていた。
だけど、この国を旅するほとんどの人たちはこれを砂漠と呼ぶ。私は見たことはないけれど、辺り一面砂だけで草木のほとんど生えていない場所をそう呼ぶらしい。そう聞けば、なるほどと頷ける。ガラスの海にも草木はほとんど生えない。細長くて弱々しい木や雑草をぽつぽつと見かける程度だ。
私は、北の廃墟を目指して歩いていた。
つまるところ、アーゴットさんには嘘をついたわけだけど、別に罪悪感とかはなかった。よく知らない(と、私は思っている)人に対して自分の所在を教えるほうがどうかしている。ここはフェアリーランドなんて呼ばれていても、その内実はおとぎの世界じゃない。自分の身は自分で守るしかないんだから。
隣を一緒に歩く相棒のオオトカゲが、ぐるるぅと唸った。私は一度しゃがんで、その喉元を掻いてやる。気持ちよさそうに目を細める黒いトカゲは、おじいちゃんが生きていた頃からの相棒だった。そろそろ寿命が来るはずなんだけど、今はまだ元気に働いてくれている。
「もう少しだから、がんばろうね」
耳元で囁く。おじいちゃんには情が移るからやめなさいと言われたけど、こればっかりはどうしようもなかった。たった一人でガラスの海を歩いていると、どうしても話し相手が欲しくなる。例えそれが、唸り声しか出せない猛獣であったとしても。
最後に頭をひと撫でして、私は立ち上がった。
マントの首元を整えて、また歩き出す。ガラスの海を、一人と一匹で。
* *
まず、大きな木が目についた。
青一色の景色の中で、その緑の色は嫌でも目立つ。ただ、それを差し引いてもその木はやっぱり目についただろう。
高さは、6メートルはあるだろうか。海の真ん中にこんなに大きい木が立っているのは珍しい。ガラスの地層に栄養分はほとんどないから、この木はその下の大地に根差してることになる。全長でどれくらいあるんだろう。
特に意味もなく、私はその木に近づいていった。目的地の廃墟から少し方向はズレるけど、そんなに急ぐ旅でもない。それにわかりやすい目印は好きだ。
近づいて、次に目についたのは、木の根元にある何かだった。
人が倒れている。最初はそう思った。白いワンピースのようなものが、人の形に膨らんでいたからだ。
マズイ、と思った。
ガラスの粉塵は、地面に近づけば近づくほど濃くなる。立って歩く分にはさほどでもないけど、地面に倒れ伏した状態となると、ガラスが肺に入って、助かっても後遺症が残る可能性が高い。
半ば同情しつつ、もう半分は罠を警戒しつつ、私は木に近づく。すると、どうもそれは人ではないらしいことがわかった。
ワンピースは、確かに人の形に膨らんでいる。だけど中に入っているのは人ではなくガラスだった。ガラス細工――いや、ガラス人形と呼んだほうが、この場合はしっくりくるだろうか。
白いワンピースを着たガラス人形が、木の根元に置き去りにされていた。
「……趣味が悪い」
私は呟いた。
海の真ん中で人が行き倒れていることは、ないではない。獣に襲われたり、方角を見失ったり、そうこうしているうちに水や食料が尽きたり。だからこんな風に人によく似たものが転がっていれば、心ある人なら心配して近づいてしまう。
私は改めて、周りに罠はないかを確認した。海に遮蔽物はないから、遠くから狙われている可能性もないとは言い切れない。腰のスコープを手に取って、私は全方位の地平線上へと向けた。
しばらくして、狙撃手も、ぱっとわかるような罠もないことを確認してから、私はもう一度心の中で呟いた。趣味が悪い、と。
人を陥れるための罠ならまだわかる。金品目的だから。だけどそんな目的もなく、無為にこんなものを置き去りにするなんて、何を考えてるんだろうか。
とりあえず、私はガラス人形の横まで近づいてみた。いつでも武器が取り出せるように構えていたけれど、それを取り出すこともなく、あっさりと近づけてしまった。
しゃがんで覗き込んでみると、その人形は驚くほど精巧に作られていることがわかった。爪の一枚一枚から、背の中程まで届く長い髪の一本一本まで。十五歳ぐらいの女の子をそのままガラスで塗り固めたかのような丁寧な作り込みだった。例えこの国でガラス細工はタダ同然で売り捌かれるとは言え、ここまでの出来だとそれなりの値がつくんじゃないだろうか。
一瞬、街まで持っていってお金にしようかと考えるも、ここまで大きいガラス細工を傷つけずに持っていけるとは思えない。それにこんな場所で放置されているなんて、厄介事の匂いしかしない。
「…………」
しばらく考えて、私は服だけ引っぺがすことにした。
別に売ろうってわけじゃない。ただ、服を脱がしておけば周囲のガラスに溶け込んで見えなくなるだろうから、私みたいに遠くから見かけた旅人が驚かないで済むだろうと思った。本当は砕いて粉々にするほうがいいのかもしれないけど、それこそ厄介事に巻き込まれそうだし。
「ちょっと待っててね」
どうしたのかと怪訝そうにしているトカゲに一声だけかけてから、私は人形の白いワンピースの裾を掴んで、捲り上げた。服の下まで忠実に再現されているのを見ると、ガラス人形だってわかっていても何かいけないことをしているような気分になる。
私はできるだけ自分の感情を押し殺して、服を脇の下まで捲った。そこで気づいた。
この服、どうやって脱がすんだろう?
人形は、眠るような姿勢で腕をまっすぐ伸ばしている。これだと腕が引っかかってワンピースが脱がせない。それとも私が知らないだけで、ワンピースは腕を下ろしたままでも着脱できるようになっているんだろうか。私はいつもシャツと短パンしか着ないから……
しかし人形をひっくり返してみても、背中に開けられそうな仕組みはついていない。やっぱり首から着る服のように見える。だとしたら、どうやって脱がしたらいいんだろう。いや、それ以前に。
どうやって、着せたんだろう?
「……………………ま、いいや」
少しだけ悩んで、面倒になった。
こんなことで悩んでも仕方ない。謎を解き明かして誰かがお金をくれるわけでもない。それに着せる方法はともかく、脱がすだけなら簡単な方法がある。破いてしまえばいい。
私は破りやすいように人形の服を元に戻してから、マントから取り出したナイフで裾に小さく切れ込みを入れた。全部ナイフで切ったりはしない。うっかりガラスに刃が当たったら、ナイフが駄目になってしまう。
ナイフをしまって、さあ引き裂こうというところで、最後にもう一度だけ私は人形を見た。少し、惜しいと思ったからだ。
私は芸術にはそんなに興味はない。だけどここまで綺麗なガラス細工を見て何とも思わないなんてこともない。すごいなと思うし、作った人の苦労を思えば尊敬もする。
最初はつい指先や髪に目が行ってしまったけど、よくよく見ればその顔もとても整った顔をしていた。細い顎に、健康そうな頬、小さな唇。綺麗な睫毛は、一本一本数が数えられそうなぐらいだ。息遣いが聞こえてくるほどの、本物の人間そっくりの顔立ちだった。
そう、息遣いが聞こえてくるほどの……
…………。
「え?」
私は思わず、声をあげていた。
息遣いが、聞こえた。気のせいじゃなかった。確かに感じる。睫毛を数えるように覗き込んだ私の頬に、ガラス人形の息が、当たっていた。
私は慌てて、人形のお腹に手を当てた。
確かに、上下していた。
おかしい。そんなはずはない。さっき捲ったときは動いてなかった……そう思いながらもう一度捲ってみれば、今度は目で見てもわかった。確かにこの人形は、呼吸をしている。
まさか、さっきの間に息を吹き返した? そう考えて、いやいやいやと首を振る。息を吹き返すってなんだ。人形が息を吹き返すって。
独りが寂しすぎてとうとう頭がおかしくなったのかなと自分で考えながらも、私は人形の身体を隅々まで触って確認する。まず心臓。動いてる。手首の脈。ある。手首だけじゃなく、首筋も、太ももの付け根も、脈を感じられる場所はだいたい動いてるのが確認できた。
ふと、呼吸に合わせて唇が小さく動いているのを見て、私はついその唇に指をあてていた。
感触はガラス。固くて冷たいガラス。
なのにその動き方は、まるっきり人間と変わらなかった。
「なに、これ……」
誰にともなく、呟いた。
確かにこの国は、ガラスに覆われている。ガラスでできたものはあちらこちらに溢れている。だけど、生きたガラスというのは、見たことも聞いたこともなかった。
とりあえず、服だけ脱がして放置するという案は、ナシになった。
挿絵は、らるるさん(@raruru48)が描かれたものです。