涼子(3)
『あ、ごおごああごああ、あがいがああ』
突如耳元から流された音は、この世のものとは思えない断末魔だった。
女性の声だった。しかし私と同じく声がうまく出せないのか、どこか喉に力が入らず、空気が混じったような出し切れない声といった具合だった。だが、だからこそ必死で放たれた耐えがたい激しい痛みによって漏れた彼女の悲鳴は、心底私の心を凍り付かせた。
「さあ、終わったようだね」
通話か何かだろうか。どこか別の部屋にいる彼女は今リアルタイムで身体の一部を切り取られた。その時に彼女があげた悲鳴がおそらく携帯か何かでこちらに繋がっており、私はそれを聴かされたのだろう。
夢であって欲しい。何かの間違いであってほしい。
私は最初の選択を思い出す。
『肉を提供する場合、一回頷く。肉を喰う場合、二回頷く。選択の思考時間は十秒。その間にどちらの選択もしなかった場合、問答無用で提供とみなして君の肉を切る。いいね?』
そして私は選んだ。
『Cut or Eat。どちらを選ぶ?』
そして私は二回頷いた。
ガチャっと扉が開く音がした。こつ、こつ、と真樹人ではない別の人物の足音が部屋に入ってくる。
「ありがと。これどこ? 指先? あーまあ、最初はそんなところだよねー」
声は真樹人のものだけで、相手は一言も喋らない。
誰だ。誰なんだ。結局この何者かは一言も喋らず、真樹人に何かを渡して去って行った。
“これどこ? 指先?”
真樹人は確かにそう言った。それは私が食べる事になるであろう肉の部位だ。
「さ、来たよりょうちゃん。お食事の時間だ」
本当に、食べるのか。
人の肉を。
「一発目のメニューは、人差し指の第一関節。ま、ウィンナーの先っちょみたいな感じだし、余裕だよね」
何が余裕だ。まさかこいつ、食べた事でもあるのだろうか。
「制限時間は三十秒。それまでに口の中に肉が残ってる場合はペナルティだからね。ほら、口開いて」
私は恐る恐る口を開く。
「よーい、スタート」
口の中にぽとっと小さな塊が入ってきた。
「おごっ、げ、ぼっ……!
喉の奥にそのまま入りそうになり、思わず嗚咽が漏れた。
時間がない。三十秒の間にこれを処理しなければ、私の肉を余計に切られる事になる。早く食べてしまわなければ。
今自分の舌の上には人の指先がのっている。想像しただけで気持ちが悪い。ごわごわとした硬い感触がなんとも気色悪い。
指先をごろごろと右奥の方に転がす。
嫌だ。噛みたくない。食べたくない。
でもそれ以上に自分が痛い思いをするのは嫌だった。
私は思い切って奥歯でぐっと指を噛んだ。肉がぶよりと歯で潰される感触が伝わった。
「うっ、お、えぇ……」
肉の中から染み出た血や何かの液体がぶわっと舌の上にぬめっと広がる。
駄目だ。吐きそうになる。だが、口から出てしまった時点で即アウトだ。
「残り十五秒」
もう半分。まずい。これじゃ間に合わない。覚悟を決めてもう一度思いっきり肉を噛んだ。しかし肉はなんとかなってもその奥の骨が案外硬く、これではどうにも間に合いそうにない。
――このまま無理矢理飲み込むしかない。
「ん、ぐっ、ぐ、うっ」
「残り十秒」
まずい。急がないと。
なんとか喉の奥に流し込もうとする。しかし普通の状態なら難なく出来そうなことでも、全体的に筋力が落ちているのか、飲み込む力も落ちてしまっているらしくうまくいかない。
「残り五秒」
急げ急げ。必死で喉を動かしなんとか食道へと押し込む。
「はい終わり!」
タイムアップの宣告。
「ほら、口空けて」
私は言われるがまま、また口を開いた。
「どれどれ」
真樹人は隈なく口の中を確認する。口の中にまだ指の感触が残っていてまた嗚咽が漏れそうになる。
「はい、合格」
――危なかった。
ギリギリだがなんとか間に合った。
しかし結局ほぼぼぼ咀嚼が出来ず、そのまま指を飲み込む形になってしまった。その為にまだ喉の奥がごろごろと何か肉が引っかかっている感触がしてもやもやするのと、何とも言えない人肉の苦味と感触がずっとそこに居座っている居心地の悪さがじわじわと精神を蝕んでいく。
「おめでとう。君のターンはこれで無事終了だ。でも気は抜けないよ。次は相手のターンだからね」
そう。まだこのゲームは始まったばかりだ。そして次は向こうのターン。
肉の提供か肉を食べるか。
一発目で相手の肉を食べる事を選択されたとしたら。相手は私の選択のせいで指を切られるはめになったのだ。普通なら次はどうする。
次はお前だ。私ならそう思うだろう。
そうなれば、次の相手の選択は――。
「向こうの選択は、Eatだ」
今度は私が肉を差し出す番だ。