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055「噓も方便」

――ノックしても返事が無かったので、廊下の反対側に回って窓を確かめてみたら、灯りもなく、カーテンには人影が映っていなかった。明らかに留守だと分かっていながらも、弐と書かれたドアの前で行ったり来たりしていたら、七尾さんに声を掛けられた。

「謝りたい気持ちは共感できますし、いつ帰るともしれない彼氏を、薄暗い廊下で『早く帰って来て、いつまでも帰ってくるな』というアンビバレントな感情に揺れ動きながら、期待と不安で胸をいっぱいにして待つというのも、青春を謳歌するうら若き乙女としては、傍目にも健気でいじらしいものがあります。が、アルバイトに出ているのだとすれば、もうしばらく戻らないと思いますから、しばしのあいだ、定時で帰ることになって暇を持て余している僕の戯言に付き合ってくださいな」

――こうして紅茶を添えてのべつ幕無しの話を聞いていると、エプロンドレスを着て白兎の巣穴に落っこちたような気になってきた。

 テーブルの上に置かれた紅茶を、レイが手に取るでもなくジッと眺めていると、マコトは、ティーポットの蓋に指を置きながら言う。

「中に、ヤマネや水銀でも入っていると思いましたか? 誕生日でないことを祝って、烏と書き物机の共通点について話しましょうかねえ、と言いたいところですが、茶番はここまでにしましょう。茶会だけにね」

――うっ。どうしてこの人は、他人の考えてることが分かるのかな。やっぱり、妖怪か魔物か、何か人外の生物なのでは? 

 マコトはティーポットを持ち、空のカップに紅茶を注ぎ、ティーポットを置いてカップを持つと、深く息を吸って茶葉の香りだけを堪能して、一旦カップを置く。

――あっ、飲まないんだ。毒が入ってないことを証明してくるのかと思ったのに。

 マコトは、ミルクピッチャーからミルクを注ぐと、壁に掛けてある時計を見ながら言う。

「さて、本題ですが、この前、二葉くんに話したのは、ほんの一部、氷山の一角に過ぎないのです。これから、その全貌をお話ししうようと思うのですが、よろしいですか?」

――三谷さんの話に続いて、今度は二葉くんの話か。こうなったら、どんと来いよ。お皿まで食べてやるんだから。

「もったいつけずに教えてください」

 じれったそうにレイが言うと、マコトは悪巧みが成功したかのように口角を上げて薄く笑いつつ、視線を斜め下に向けて昔話を始める。

「それでは、お話しします。――あれは、今を遡ること十七年あまり。高校の卒業式が終わり、ようやく施設を出ることになった三月末のことです。見送り一つなくボストンバッグを片手に門を出た僕は、門扉の脇にある花壇の前に、キャベツの段ボール箱が置かれているのを発見しました」

「それが、二葉くんだったんですか?」

 レイが話の腰を折ると、マコトは人差し指を口に当てながらレイに言い、ティーカップをチラッと見てから、さらに話を続ける。

「その通りですが、話を先取りしないでください。――段ポール箱の中には、まだ生まれて間もない男児が、毛布に包まれて眠っていました。僕は、このまま放置しておくわけにはいかないと思い、バッグをその場に置き、首が座っていないその子を両手で慎重に抱き上げると、すぐに施設に逆戻りしました」

「フ~ン。その頃の七尾さんには、まだ優しいところがあったのね」

 率直な感想をレイが述べると、マコトは心外そうに口を歪めながらレイに言い、すぐに元の表情に戻って話を続ける。

「どうやら四宮さんは、僕のことを、鬼か悪魔だとでも思っていそうですね。――その子をシスターに渡すとき、僕は咄嗟に『この子の名前は二葉サトルといい、私には育てられないから、この施設に預かってほしい、と言われて若い女性から渡された』という嘘をつきました」

――正直に捨てられてましたと言ったら、大きくなった二葉くんが悲しむものね。へえ。いいトコあるじゃない。これが(まこと)の話なら、だけど。

「その話が嘘、ということなら、感動を返してほしいところですけど?」

 疑わし気な視線を送りつつ、レイがマコトを見ながら言うと、マコトは、いつもの営業スマイルを崩して言う。

「千三つの話は信じられませんか? でも、これは、嘘みたいな本当の話です。三つの真実の内の一つ、とでもお考えください。それでも僕のことを信用できないというのなら、大家さんに聞いてみてください。二葉くんが成人するまでは、万が一やむを得ない場合、僕が彼の家賃を肩代わりするという条件で、彼は入居許可を得たのですから。施設から高校に通う肩身の狭さを知ってますが、十五歳で働けるようになるということは、成人として一人で責任を取れるということとイコールではありません。二葉くんは、一人で大きくなったと錯覚しているようですが、その陰には、周囲の人間の理解と尽力による目に見えない支援の輪があるのです」

 マコトが言い終わったあと、しばらく二人のあいだには、外を走る竿竹屋の呼び込みが聞こえるくらいの沈黙が流れたが、やがて、マコトがいつもの作り物じみた笑顔になって言う。 

「本当の話、真面目な話は退屈でつまらないでしょう? だから、僕はめったに話さないんです。嘘や作り話のほうが、千倍は面白い。そうそう。言うまでもないことですが、このことは他言無用です まかり間違っても、二葉くんの耳に入れてはなりませんよ。……さて。そろそろ飲み頃になりましたかね。淹れたては熱くて飲めないが、冷めると渋みが出て苦くなるので、紅茶とは厄介なものですね」

 そう言うと、マコトはカップを持ち上げ、適度に冷めた紅茶を口にする。レイは、その様子を見ながら、想像力の翼を広げ、大きく飛躍する。

――七尾さんって、猫舌なんだ。だとしたら、化け猫か猫又、いやチェシャ猫という線が濃厚か。

 そんなことを思いながら、レイはシュガーポットからトングで角砂糖を二つ入れ、ティースプーンでかき混ぜる。


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