004「三文ライター」
コンクリート打ちっぱなしの廊下を奥まで進み、レイは、ポストにダイレクトメールやメーター検針票が刺さったままのドアの前に立つ。
「三号室は、三谷ツカサ。二十代後半の男性。出不精の在宅ライター。くたくたのジャージを愛用、と。人生負けたって感じのしょぼくれた男の人が出てきそうね」
バインダーに目を落としてぶつぶつと小声で独り言を言いつつ、レイが木目調の合板の張られた金属製のドアをノックしようとしたとき、廊下の向こうから、胸元に桂の丸葉と桜の花弁が右上がりの四十五度線で半分ずつ模られた校章が入ったジャージを着た、無精髭を生やしっぱなしの男が歩いて来ながら、レイに声を掛ける。
「僕に、何か用かな? 出版社の人ではないようだけど」
――桂桜学園のジャージか。私学受験組なのね。頭は悪くなさそうだし、清潔感のある格好をすれば、見た目も悪くなさそう。そこそこ素材が良いのに、もったいない。
レイは、ドアから一歩離れて男のほうを向くと、努めて明るく振る舞いながら言う。
「こんにちは、四宮レイです。しばらく父が怪我で入院することになった関係で、代わりに大家を務めることになりまして、ご挨拶に伺って回っているところなんです、けど」
――聞いてるのかな?
レイが言い終わるころには、男はレイの近くまで来ていて、ポケットから鍵を取り出してドアノブの鍵穴に差し込んでいた。そして、ドアを開けて中に入りながら言う。
「それじゃあ、これから当面は、君に連絡すれば良い訳だね?」
――聞いてたんだ。それにしても、煙草臭い部屋ね。ちゃんと換気しなさいよ。
「そうです。あっ。三谷さんは、ライターさんなんですよね? どんな記事を書いてるんですか?」
レイが興味津々といった様子で訊くと、男は面倒臭そうにガシガシと片手で後頭部を掻きながら言う。
「主な仕事は、海外から送られてくる小説や随筆の翻訳だよ。といっても、原文はマイナーな言語だし、出版社も大手じゃないから、知らないんじゃないかな」
「へえ。翻訳の仕事って、難しいものですか?」
レイが質問を重ねると、男は口の端に得意気な笑みをこぼしながら言う。
「まあ、多少はコツがいる仕事だよ。僕は、もう慣れてるけど。ああ、そうだ。ちょっと待ってて」
男は、サンダルを脱ぎ、一旦、部屋の奥へ姿を消す。
――覗いても良いものかな? 何してるか気になるし。でも、見られちゃマズイものを見たら、後味の悪いことになりそうな。う~ん。
レイが、天使と悪魔に板挟みになりつつ、玄関先で入ろうか止めようか考えていると、男は一冊の雑誌を持って戻ってきた。そして、その雑誌から飛び出ている付箋を指し示しながら言う。
「ここに載ってる小説が、この前、僕が訳したものなんだ。すぐ読めるから、読んでみてよ」
そう言うと、男はレイに向けて雑誌を差し出す。レイは、それを受け取りながら言う。
「ありがとうございます。すぐに読んで、お返ししますね」
「いや、まだ同じ雑誌が何冊かあるから、それはあげる。時間のあるときに読んで」
そこまで言うと、男は何かを思い出したかのように視線を上げ、再び視線を戻しながらレイに尋ねる。
「上の部屋は、もう挨拶回りが済んでるのかな?」
「いいえ、まだです」
レイが首を横に振りながら言うと、男はホッと安堵の息を吐き、人差し指で天井のほうを指差しながら言う。
「良かった。真上の部屋の人間は千三つだから、彼が口にするもっともらしい絵空事を鵜呑みにして騙されないようにしなよ。彼は、人を食って生きてるから」
「えっと。センミツというのは、妖怪か何かですか?」
レイが、手にしている雑誌とバインダーをギュッと抱えながら、やや怯えた調子で言うと、男は一瞬、キョトンとした表情を浮かべたあと、両腕で腹を抱えてくつくつと笑いながら言う。
「フフッ。千三つっていうのは、全体で千ある話のうち、三つくらいしか本当のことが無いっていう意味で、嘘吐きやホラ吹きを指して使う言葉だよ。まあ、ある意味、妖怪より手強いかもね。ご用心、ご用心」
そう言いながら、男はドアを閉める。レイは、しばし呆然としていたが、やがて廊下を一号室のほうへ向かって歩き始める。
――続きは、明日の朝にしよう。今日は、何だかんだあって疲れちゃった。体力よりも、精神力を使い果たした感じ。





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