047「小悪魔」
「レイちゃん。先週のバロック先生の話だけど、ノート取れてる?」
――そっか。この前、サエは午後から映画を観に行くって言って、四限の講義をお休みしてたんだった。
「ああ、音楽史ね。そういえば、欠席してたっけ。ちょっと待ってね。えーっと」
レイは、鞄に片付けかけたバインダーを開くと、中に挟んであるルーズリーフのページをめくり、フルトヴェングラーとカラヤンについての板書の写しがあるページで手を止めて言う。
「たしか、この辺からだったと思う」
「ああ、そうそう。二人の指揮者の音楽性の違いについての話だったっけ。ねえ、このページ、明日まで借りていい?」
サエが鞄からクリアファイルを出しながら言うと、レイは留め金をスライドさせて該当ページを外し、サエに手渡しながら言う。
「良いわよ。はい、どうぞ」
「ありがとう。いつも助かるわ」
そう言ってサエは、クリアファイルにルーズリーフを挟んで鞄にしまう。レイは、留め金を戻してバインダーを鞄にしまうと、廊下に向かってサエと並んで歩きながら、興味深そうに話しかける。
「それで、映画は、どうだったの? 今度、キャンパスで会ったときに直接話すって言ってたけど」
「ウフフ。映画のほうは、レイちゃんが言ってた通りイマイチだったんだけど、そのあとで、素敵な彼氏が出来たのよ。これは、運命の悪戯だわ」
恥じらいながらもキャッキャと興奮しながら話すサエに、レイは、同調しながらも、あっさりと質問する。
――もう、新しい彼氏が見つかったんだ。運命の女神は、サエに微笑みすぎてる気がする。私にも顔を向けて欲しい。一度だけでも。
「へえ、凄い。良かったじゃない、サエ。今度の彼は、どんな人なの?」
「オッホン。聞いて驚きたまえ、レイ殿。なんと、今度の彼氏は現役高校生なのであるぞ!」
――なんで、急に武士みたいになったのかな。嬉しさ余って、頭がおかしくなっちゃたんでなきゃいいけど。
急に時代がかった尊大な口調で堂々と宣言するサエに、その情緒不安定さを心配しつつも、レイは話を続ける。
「高校生か。それじゃあ、清く正しく振舞わなきゃね。くれぐれも、趣味の薄い本の管理には気を付けなきゃ駄目よ?」
「当たり前よ。でも、想像だけなら良いでしょう?」
――それは、想像ではなく妄想というのではないだろうか。街中や電車の中でウェイウェイ戯れてる二人組を見ては、どっちが受けか攻めかを耳打ちしてくるような人間に、はたして、彼氏くんは、どこまで耐えられるだろう?
どこか良からぬことを企んでそうな陰をちらつかせつつ、サエが天使のような笑顔で言うと、レイは、しばし黙考してから、言葉を選びながら言う。
「イマジナリーワールドから、ちゃんと戻ってくるならね。前回の反省を糧に、今度は選択ミスをしないように」
「はい、隊長。心得るであります!」
こめかみに指先を当てて小さく敬礼するサエに、レイは一抹の不安をいだきつつ、恋路が順調に進むことを祈る。
――今度は、警察の真似か。楽しそうで、良いな。今度は、三ヶ月以上続きますように。……私も、恋をしたいな。恋とは、どんなものかしら?





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