042「板挟み」※ツカサ視点①
――招かれざる客が来た。
アパートのドアを開けたツカサは、廊下に立つ推定四十代前半の背の高い女の姿を認めると、あからさまに大きなため息を吐き、腕を伸ばしてドアを大きく開け、床に置きっぱなしにしているものを片付けつつ、部屋の中に進みながら棘のある声で言う。
「どうぞ。狭くて、暗くて、汚いところですけどね」
女は、ツカサの嫌そうな態度に小さくフフッと笑うと、後ろ手にドアを閉め、靴を揃えて部屋に上がりながら愉快に言う。
「招かれざる客が来た、とでも考えていそうですね、ツカサさん」
「何で分かるんだよ。――そこに座って。いま、お茶を淹れるから」
ツカサは押入れから座布団を二枚出し、ローテーブルのコーナーを挟む形で並べて敷いてからキッチンに立つ。女は、その背中に声を掛けつつ、風呂敷に包んだ手荷物を脇に置き、座布団に正座しながら結び目を解いていく。
「お構いなく。用が済めば、すぐにお暇しますから。――ツカサさんのことは、幼少期からずっとお側で見守ってきましたからね。経験則で、たいていのことは、マルッとお見通しです」
――その用とやらは、すぐに済むものじゃないだろうに。九条さんは、下手すると、僕の両親よりも僕について詳しいから、すこぶる付きで厄介だ。
「それじゃあ、こっちも九条さんの訪問目的を当てようかな」
両手に持った粉末緑茶を入れたマグカップをローテーブルに置きつつ、角型二号の茶封筒の口に巻かれた八の字の紐を、手慣れた様子で素早くも丁寧にほどいている女を、ツカサは、まるで刑事か探偵にでもなったかのような観察眼で見ながら言う。
「おおかた、お母さんに僕の様子を見て来いと命じられた、というところだろう。そして、その茶封筒の中身は、お見合い写真だ」
「おやおや。ツカサさんは、千里眼をお持ちなのですね。でしたら、写真を見ただけで、そのご令嬢がどういうかたか、お分かりになるのではありませんか?」
目を細めて感心しながら、女が茶封筒の中から高級和紙に金箔で名家の花押が模られた二つ折りの写真台紙を取り出し、それを開いて中の薄紙を捲りながらツカサに渡すと、ツカサは面倒臭がりながらも、その写真に写っている日本髪の和装美人をつぶさに検めながら言う。
「歳は、僕より少し上で三十歳手前。父親か母親が大企業を経営している富裕層の育ちで、乳母日傘に育てられた苦労知らず。欲しいものは何でも与えられた一人っ子で、理想とプライドが高く、才色兼備で妻としては申し分ないが、夫を自分のカラーに染め、意のままに操縦したがることから、敬遠され続けている。違うか?」
ツカサが女に答えを求めると、女は緑茶を飲む手を止め、一呼吸おいてから言う。
「年齢と家庭環境、それから学の高さについては、その通りですよ。でも、性格に関しては、夫を立てる古風な大和撫子だと伺ってます」
「そりゃあ、そう言うだろうさ。仮に、夫を尻に敷くタイプだったとしてもね」
ずけずけと本音を言うと、ツカサは写真の上に薄紙を被せて二つ折りにして女に返し、マグカップの緑茶に口を付ける。女は、静かに台紙を封筒に戻しつつ、ツカサを見ながら面白そうに言う。
「あらあら。一人前に反対意見を口にするようになりましたね、ツカサさん。昔は、カヨちゃん、カヨちゃんと懐いていたのに。可愛らしかったあの子は、どこへ行ってしまったんでしょう?」
――いつの頃の話だよ、それ。思い出すと、恥ずかしさのあまり、顔から火が出そうだから、やめて欲しい。文集に書いた将来の夢や、通販サイトの購入履歴を、うっかり知り合いに覗かれたようなときのような居たたまれない気分がする。
「悪かったね、もう可愛くなくて」
ツカサが、目を伏せて鶸萌黄色にくすんだ液面を見ながら、拗ねたように小声で言うと、女は、ツカサを元気づけるように陽気に言いながら立ち上がり、風呂敷で簡単に畳みながら簡単に会釈し、その場をあとにする。
「そう、卑屈にならなくてもよろしいのに。まあ、写真は置いて行きますから、しばらく考えてみなさいまし。奥さまも、大事な一人息子の将来を心配してるんですよ。それじゃあ、今日は、この辺で。ごちそうさま。ごきげんよう」
「車だろうけど、気を付けて帰れよ」
――そして、当分、ここへ来るな。
女が玄関を出て部屋から姿を消したのを確認すると、ツカサは、近くの棚に置いてあるノートパソコンとメモ帳をローテーブルの上に置き、ディスプレイを開いてスリープ状態を解除すると、カタカタとキーを叩き始める。





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