037「服に従う」※フミ視点
※本文の最後に、成宮りん様よりいただいた挿絵を掲載しています。
――私の見立てに、狂いはなかったようね。フフフ。笑いが止まらないわ。
「いかがですか、先生」
レジの上にある神棚に飾られた恵比寿天と同じようにニコニコ顔でフミが訊くと、シゲルは腕や脚を曲げ伸ばしたり腰を捻ったりしつつ、納得のいかない顔をしながら答える。
「どうも、落ち着きませんね。袖や裾が、腕や脚に張り付いてくるようで、気になって仕方ありません。やはり、こういう服を着るのは、まだ時期尚早だったのではないでしょうか?」
――それは、そうでしょう。あんなクタクタでオーバーサイズの服を、毎日着ていれば、ジャストサイズの服に慣れなくて当然だわ。
「大学の先生なんですから、かっちりした格好をしないと駄目ですよ。しばらくお召しになれば、身体のラインに合ったその服が、快適に感じられるようになります」
「しかし、気慣れないうちは、思考の妨げになりそうですね。どれくらいの時間で馴染むものでしょう?」
シゲルの問いかけに対し、フミは目線を壁に掛けてある鳩時計に向け、頭の中で針を回転させながら答える。
「そうですね。なにぶん、感覚には個人差がありますけど、仮にこのままお召しになったまま帰られたとして、夕方には気にならなくなってると思いますよ」
「そうですか。まあ、今日は午後から教授会があるだけだから、終わるころには馴染んでるか。それまで、頭を使わなくて良いだろうし」
シゲルが俯いて口元に指を当て、ブツブツと小声で呟くのを、フミは聞こえないふりをしながらセールストークを続ける。
「初めてオーダーメイドされたお客さまは、皆さん、お召しになった直後に違和感をいだかれますけど、次にご来店される際には、ぴったりとフィットしたサイズの服でないと、かえって着心地が悪くなったとおっしゃるかたもおられるくらいなんです」
「贅沢に慣れると、元の質素な生活には戻れないという訳ですか。そう考えると、魔性の服ですね」
――あらあら。学者さまにしては、ずいぶんと詩的な表現をするのね。本当は、ロマンチストなのかしら。
「きっと、学生さんが先生を見る目も、変わってくると思いますよ」
「服を一揃い誂えたくらいで、そこまで変わりませんよ。第一、受講者の七割は男子学生です」
「女子から見ても素敵でしょうけど、男子から見ても憧れるんじゃないでしょうかねえ。どうなさいますか? お召しになったままお帰りでしたら、しつけを取ったりタグを外したりしますけど」
フミが、本音と建前の半々で褒めちぎりつつ問うと、シゲルは、少し恥ずかし気に答えたあと、フミに逆質問をする。
「着て帰ります。いま言ったことが、はたして誇大宣伝でないか、確かめないといけませんからね。――ところで、フミさんがそういうきらびやかな服装をされているのは、チエさんのことと関係があるのでしょうか?」
フミはシゲルの背後に回り、糸切り鋏を持ったまま、一瞬、手を止めたが、そのままサイドベンツの白いしつけ糸を切ったり、襟首のタグを外したりしながら、シゲルと目を合わせないようしながら、声のトーンを落として答える。
「私が派手な格好をするのは、気落ちしないようにというのもあるんですけど、おっしゃる通り、所帯じみた地味な格好をすると、チエに瓜二つであることも関係します。――終わりましたよ」
フミは、営業スマイルを取り繕って正面に回ると、シゲルは、心配そうに言う。
「見た目を変えたところで、声質は同じなんですから、奇抜な服装をする必然性は無いと思いますよ。四宮さんたちのことは気にせず、もっと自由に構えてはいかがでしょう。――オッと。差し出がましいことを申し上げましたね。これで足りますか?」
シゲルは、脱いで掛けてある白衣のポケットから財布を出して数枚の紙幣を抜いてフミに渡し、財布を戻した白衣とスラックスを丸めて持つ。フミは代金を受け取ってすぐ、パタパタと早足でレジに向かう。
「お預かりします。ただいま、お釣りを」
――私にも、本当の意味で好きなことをする自由があるのだろうか。レイちゃんやマサルさんのことを考えなくていいという保障が、もし、あるのだとしたら。
「ああ、足りてるのなら結構です。もう、出ますから」
シゲルは、スイングドアを押して外へ出ようとした。フミは、レジを打つ手を止めて紙幣をカルトンに置き、その上にペーパーウェイト代わりにブロンズ製のエッフェル塔の置物を載せると、卓上カレンダーや付いたペン立てからボールペンと店の名刺を一枚引き抜き、そこに七桁の数字をハイフン付きで書くやいなや、急いで出入り口に駆けて行き、シゲルに両手で名刺を差し出しながら、息を切らせつつ言う。
「せめて、これだけは、受け取ってください」
先程までとは打って変わって、真剣な形相のフミに、シゲルは戸惑いつつも、名刺を受け取って言う。
「たしかに、ちょうだいします。……変わりたい、前に進みたいという思いは、同じだったようですね」
ためらいがちにそう付け加えると、シゲルは商店街の雑踏に消えて行った。フミは、恍惚とした表情でその場にしばらく佇んでいたが、やがて両手で頬をペチッと叩いて気合いを入れると、店の奥へと戻っていく。
――知らず知らずのうちに、過去に囚われていたのね。私らしくもない。やっぱり大学の先生は、凡人とは着眼点が違うわ。すっかり、目が覚めちゃった。





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