033「対象外だけど」※アイ視点
――私の名前は、漆田アイ。四十ウン歳、独身貴族。目下、花婿募集中。募集対象は、誠実で浮気しないハンサム紳士。
「今度からは、見栄を張らずにシングルベッドの部屋にしよう。クイーンサイズだと、起きたときの虚しさが並みじゃない」
テーブルの上に食べ終わった皿とカテラリーを置いた状態で、ビュッフェの窓側の席で、外に広がる曇天に向かって頬杖を突きながらアイが誰にともなく呟いた。すると、これでもかというくらい肉料理やパンを山積みにした皿を両手に抱えた伍代が近付き、料理がこぼれないようにしつつ、アイに何の遠慮もなく尋ねる。
「隣、座って良いすか。どこも空いてなくて。おっとっと」
――乗せすぎよ。いくらバイキングだからって、料理の温度や味の濃淡を考えずに取るもんじゃないわ。
アイは、呆れながら自分の皿を手前に寄せ、スペースを作りながら淡々と言う。
「どうぞ」
「どうもどうも。こんなときでもないと、ホテルの料理を食べられないと思って」
テーブルに料理を満載した皿を置きつつ、自分に言い聞かせるように伍代が大きく独りごちると、アイは、伍代が着ているサイズの合わないスーツを見ながら言う。
「それで、普段は葬式くらいでしか着ない背広を引っ張り出してきたのね?」
アイが指摘すると、伍代は目を丸くして驚きながら言う。
「なんで、それを?」
――図星なのね。そんなに分かりやすい格好をしておいて、誰も気が付かないとでも思ったのかしら。
「肩甲骨の辺りに虫食い穴、締め慣れなくて駒結びになったネクタイ、フラップに残った塩の結晶、寝相が悪くてよれたスラックスの折り目、それから、履きっぱなしの安全靴が何よりの証拠よ」
「わあ。名探偵っすね」
――これで探偵が成り立つなら、明日にでも訪問販売員を辞めるわ。
*
「フロンや、ツツオトシじゃないっすよね? 指輪は、してないみたいっすけど」
最後の一皿をペロリと完食すると、伍代は、出し抜けにアイに質問した。
――そういうことは、たとえ思っていても口に出さないものよ。
「不倫と美人局、かしら? 失礼ね。こんな年増が、そんなことすると思ってるの?」
アイが不愉快そうに言うと、伍代は無邪気に続ける。
「美人だから、もしかしたら、ひょっとするかもしれないと思って。何歳なんすか?」
「よんじゅ、……レディーに年齢を言わせないの」
「美魔女だな。若返りの術でも使ってるんじゃないすか?」
感心している伍代に対し、アイは人差し指を立て、自分と伍代を交互に差しながら説く。
「あのね。そもそも、そういう詐欺まがいに引っ掛けるのが目的なら、私の席に来たあなたに声を掛けるんじゃなくて、私があなたの席にご相伴して声を掛けるのが普通でしょう?」
「ああ。言われてみれば、俺から話すのは変すね」
――ここまで裏表がないと、かえって心配だわ。なんだか、放っておけない。なぜだか、あるはずのない犬耳とフサフサの尻尾が視える。
「あなた、名前は?」
横の篭の中からハンドバッグを掴み取り、中から方眼メモと万年筆を取り出しながら訊くと、伍代は、指で空に文字を書きながら説明する。
「伍代っす。カタカナのイを二つ書いて、一つ目の横には漢字の五、二つ目の横には、まず一を書いて、そこに、こう、シュッピョンと書いて、点を打つ」
――頭の悪い説明ね。ニンベンくらい、覚えておきなさいよ。名前の漢字なんだから。
「この伍代で合ってるかしら?」
書いたメモを見せながら言うと、伍代は軽く頷き、次いでアイに質問する。
「そうそう。それで、お姉さんの名前は?」
――いつもなら、適当にあしらっておいとまするところ、なんだけど。マナーのマの字くらい教えてからにしよう。
「漆田よ。植物の漆に、田んぼの田だけど、……書けそうにないわね」
「えへへ、ビンゴです。うるしに漢字があること自体、初耳で」
伍代が後頭部に片手を当てながら、しまりのない顔で言うと、アイはメモを一枚捲り、自分の苗字と十一桁の数字を書くと、そのページを切り取って渡す。
「こういう字よ。社会人なら、常識として覚えておきなさい」
「へえ、これでシチダって読むんすね。ん? この数字は?」
「そこは、自分で推理しなさい。また私に会いたかったらね」
頭の中に大量の疑問符を浮かべる伍代を残し、アイは、素早くバッグにメモと万年筆をしまい、その場を立ち去る。
――いくら馬鹿でも、それが携帯電話の番号であることくらい、ちょっと考えれば分かるわよね。





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