023「学者と商人」
――水曜礼拝の真っ只中、隣に座るサエから言われた「ところで、文化史のレポートは順調なの?」という問いかけに、私は目から鱗を落した。なぜならば、金曜日の朝イチに提出を控えた状況であることを、この時まで忘却していたからである。という訳で。
「日本の伝統についてのレポートなら、駅前にある教育文化会館がよかろうと言った手前、アドバイスの一つでも出来ればと思って、色々と余計な口出しをしたのだけれど、レポートは書けそうかい?」
「はい。とっても参考になりました。明日までに、何とかなりそうです」
赤煉瓦造りの建物を出て、毛玉が鈴なりになったセーターを着たシゲルと、コットンのブルゾンを羽織ったレイの二人が、うららかな陽気の下で並んで歩きながら、ほのぼのと会話している。
――大学教授なら、どこで何を調べればいいか、よく知ってるだろうと思って、声を掛けてみて正解だったわ。
「そうかい。それなら、少しは役に立てたのかな」
「少しどころか、大いに役立ちましたよ。たまには、締め切りに余裕を持って臨まないといけませんよね。――あっ」
通りの反対側から歩いてくる人影を見て、レイが立ち止まる。一歩遅れてシゲルも立ち止まり、その視線の先を追う。
――あのバブルを彷彿とさせるボリューム満点のソバージュヘアで、縞柄のチュニックとサイケデリックな色合いのタイツという、パリコレモデルも真っ青の奇抜なファッションをしている人物は、市内を探しても二人と居ないに違いない。たとえ、つばの大きなサンバイザーで顔が隠れていたとしても、容易に個人を特定できる。あの白いリュックサックが、ライオンの顔を模ったものであれば、間違いない。
立ち尽くす二人に向かって、フミは片手でサンバイザーのつばを跳ね上げつつ、半径十メートルに居る全ての人間に聞こえるくらいの声で呼びかけ、矢継ぎ早に質問する。
「あ~ら、レイちゃん。いま、学校の帰りなの? こちらの殿方は? 手に白衣をお持ちだけど、先生かしら? 賢そうな顔をしてらっしゃるけど」
――叔母さんは、いつもタイミングが悪いんだから。まず、どの質問に答えれば良いっていうのよ。
レイが返事に悩んでいると、シゲルが先に口を開く。
「僕は、あすなろハイムに住んでいる、一橋シゲルという者です。青木市立大学で教授をしていまして、今日は四宮さんの課題の助力になればと、すぐそこの会館まで行ってきたところなんです」
「ああ。あなたが、一橋さんなのね。レイの叔母で、八幡フミと言います。マサルやチエから、噂はかねがね聞いてましてよ。――お洋服は、クリーニングに出さない主義なのかしら?」
フミが不躾に片手でセーターの裾をつまみながら言うと、レイは慌ててフミを止め、シゲルに対して頭を下げる。
「ちょっと、叔母さん。初対面の相手に、そういうことしないの。――すみません、急に。叔母さんは、ブティックを営んでるものですから、服のことが気になる性格で」
シゲルは、少々戸惑いつつも、手でセーターの袖を持ちながら片腕を捻り、傷んだニット繊維を検めて言う。
「ああ、そうですか。まあ、こと服の使用方法に関しては、相当に杜撰でしょうね。どのように取り扱うのが良いか、よくわかってませんから」
「それなら、私がレクチャーしましょう」
ぐいぐいとシゲルに詰め寄り、強引に腕を引いて歩くフミと、引っ張られるままに連れて行かれるシゲルのあとを、レイは止めるのを諦めてついて歩く。
――早く帰ってレポートを書き上げたいところだけど、このまま叔母さんを暴走させ続ける訳にはいかないからなあ。あーあ。また、締め切りギリギリになりそう。





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